第三十七話 あの日、あなたに会ってから⑥(アシュレイ視点)
リンデ村にいる間、アシュレイは密かにルシアンの動向を探っていた。
そして、ルシアンとエスメラルダの婚約が解消されたことを知った。
いずれそうなるだろうことは、初めから予想がついていた。
ルシアンがクラリスに向けている感情が、歪んだ執着や独占欲の類であることは、遠目から見ているアシュレイにも分かるほどだった。
婚約者となったエスメラルダが、それに気付かないはずがない。
仕入れた情報によると、エスメラルダは、「ルシアン様は、最初から私のことなんて見ていなかったのよ。結婚してしまう前に、それに気づけて良かったわ」と話していたという。
それから、ほどなくして別の男性と婚約を結び直したらしい。
ルシアンがクラリスを諦めていない以上、いずれ彼は再び彼女の前に現れる。
そしてその時、きっとまたクラリスを苦しめるだろうことも、ありありと目に浮かんだ。
その時には、今度こそ、自分が彼女を守りたいと、強く思った。
彼女を守りたいというこの気持ちは、決して正義感から生まれたものではない。
誰かを救わなければならないという使命感でもない。
ただ、自分が大切に思う女性が、これ以上傷ついてほしくない、それだけだった。
アシュレイは、クラリスの婚約者という立場にあったルシアンが、当然のように彼女の自由や尊厳を奪い、自分の思い通りに従わせようとすることが、どうしても許せなかった。
婚約者だからという理由だけで、彼女の意思を無視していいはずがない。
そんな相手から、自分が彼女を守りたい。
この感情が、ただの自分勝手なエゴだというとこも分かっている。
クラリスを守るためなら、どれほど自分勝手な感情であろうと、アシュレイは構わなかった。
その一方で、クラリスが本来の姿を取り戻していく過程を、アシュレイはずっと近くで見守り、支え続けた。
領地へやって来たばかりのクラリスは、何をするにもどこか遠慮がちだった。
自分の考えを口にすることをためらい、いつも周囲の顔色ばかりを窺っている。
そんな姿を見るたび、アシュレイの胸は締めつけられるようだった。
幼い頃に出会ったクラリスは、本当はもっと素直で、よく笑う人だった。
その姿を知っているからこそ、アシュレイは決して急がなかった。
直接答えを教えることもしなければ、無理に前を向かせようともしない。
ただ、彼女が自分の力で考え、自分の意思で歩き出せるように、ほんの少し隣で支えることだけを選んだ。
そしてクラリスは、そんな中でも努力を惜しまなかった。
知らないことを一つずつ学び、できないことにも懸命に向き合う。
少しでも領民の役に立てるようにと、ひたむきに努力する彼女を見ているうちに、アシュレイの胸には深い尊敬が積もっていった。
同時に、その姿を見るたびに、何度でも彼女に惹かれていった。
ドレスが泥で汚れることさえ気にせず、困っている人のもとへ迷わず駆けていったあの日も、そうだった。
泥にまみれながら荷馬車を押す彼女の背中を見つめた時、目の前の彼女の姿が幼いあの日と重なり、胸の奥が熱くなった。
幼い頃からずっと抱き続けてきた想いは、時間を重ねるほどに深くなっている。
そのことが嬉しくて、愛おしくて、そしてとても切なくもあった。
そうして日々を重ねるうち、二人の距離は少しずつ近づいていった。
そんなある日、婚約が解消された今なら、もう伝えてもいいだろうと考えたアシュレイは、長年胸の内に燻らせていたルシアンへの本音を、クラリスへと打ち明けた。
「あなたの元婚約者は、大馬鹿者だと言ったのです」
すると彼女は、最初は少し戸惑ったものの、そのうち堪えきれないといったように、声を上げて笑った。
肩の力を抜き、何の遠慮もなく笑うその姿を目にした瞬間、アシュレイは思わず息を呑んだ。
記憶の中に残っていた、幼い彼女の笑顔そのもの……いや、それ以上だった。
穏やかな時間の中で咲いたその笑顔は、記憶に残る幼い日の面影よりもずっと美しく、思わず見惚れてしまうほどに眩しかった。




