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心を無くした伯爵令嬢は、新たな土地で本当の自分を取り戻す  作者: 陽ノ下 咲


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第三十五話 あの日、あなたに会ってから④(アシュレイ視点)

 別荘から帰った翌日、アシュレイはそれまで長く伸ばしていた髪を短く切った。

 鏡の前に立ち、これまで自分の顔を覆い隠していた髪がなくなった姿を、じっと見つめる。


 見慣れない自分の顔を晒すことには、やはり少しばかり怖さがあった。

 けれど、それ以上に強く胸にあったのは、自分を変えたいという思いだった。

 いつか胸を張って彼女の前に立てる自分になりたいと、強くそう思ったのだった。


 背筋を伸ばし、相手の目を見て話すことを心がける。

 胸の内に浮かんだことも、できるだけ自分の言葉で伝えるようにする。


 どれも、それまでのアシュレイにとっては簡単なことではなかった。

 長年、自分を押し殺すようにして生きてきた少年にとって、それまでの自分を変えることは、思っていた以上に難しかった。

 それでも、もう俯いているだけの自分には戻りたくなかった。


 突然変わった息子の姿を見て、アシュレイの両親は大いに喜んだ。

 以前は人前に出ることさえ嫌がっていた息子が、自分から髪を切り、人と向き合おうとしている。

 そんな息子の姿を、二人は感慨深げに見つめていた。


 それだけでなく、母親には、アシュレイの変化が単なる心境の変化ではないことを、あっさりと見抜かれてしまった。


「アシュリー、あなたの想い人は、一体どこのご令嬢なのかしら」

「母上、私のことはアシュレイと呼んでくださいと前にも言ったはずですよ……。それに、そのような方は居ないと言っているじゃありませんか」

「もう、何も隠さなくてもいいじゃない。好きな子がいるのは、もうとっくに分かっているのよ。良い加減、誰なのか教えてくれても良いと思うのだけど」

「……いえ、本当に居ませんよ」


 もう想いを寄せる相手がいることは、確信を持たれてしまっているけれど、何度尋ねられても、アシュレイは頑として口を閉ざした。

 けれど、気持ちを口にするつもりはなくとも、だからといって、忘れることもできなかった。

 行き場を失った不毛な恋心だけが、胸の奥で募っていった。


 身体も鍛えなければならないと思い、父に頼んで剣の師をつけてもらい、剣の稽古も始めた。

 初めのうちは、思うようにはいかなかった。

 剣を握る手はすぐに痛くなり、稽古が終わる頃には身体中が重く、立っていることさえ辛いほどだったが、アシュレイは一度も弱音を吐くことはなかった。


 クラリスに恥じない自分になる。

 ただその一心で、剣の稽古にも、身体を鍛えることにも、そして人と向き合うことにも、全力で取り組み続けた。

 そうして努力を重ねるうちに、少しずつ周囲の反応が変わっていった。


 以前のように、アシュレイを面白半分に馬鹿にする者はいなくなった。

 それどころか、もともと公爵家の嫡男という高い身分にあったこともあり、今度は彼に取り入ろうとする者たちが増えていった。


 そして成長期を迎えると、一気に背が伸び、身体付きもしっかりしていった。女の子と間違われる心配など、もう一切なくなった。

 どうやら自分の容姿はかなり整っていたようで、同年代の令嬢たちから声をかけられることも、次第に増えていった。

 以前は誰からも相手にされなかったのに、見た目と態度を変えると、周囲から向けられる視線はこれほどまでに変わるのかと、アシュレイは内心驚いた。


 しかし、どれほど美しい令嬢に好意を寄せられても、アシュレイの心は動かなかった。

 不毛な恋だと分かってはいたが、忘れようとしても、あの時、共に過ごしたクラリスの笑顔が、頭から離れてくれることは一度もなかった。

 

 むしろ、会えない時間が長くなるほど、クラリスが自分にとってどれほど大切な存在だったのかを、アシュレイは嫌というほど思い知った。 

 その度にアシュレイは、より理想の自分に近づけるよう、必死の努力を重ねた。


 それから、アシュレイは父に伴われて領地の仕事を学ぶようになった。

 領地を巡って農地の様子を確かめ、領民たちから話を聞く。

 税や産業、街道や水路の整備など、領地を維持し、人々の暮らしを守るために必要なことを、父の仕事を間近で見ながら一つずつ覚えていった。

 そうして経験を積んでいくうちに、アシュレイには、領政の才覚があることが分かってきた。


 目の前で起きていることを冷静に見極め、その原因を探り、どうすればより良い形にできるのかを考える。

 幼い頃には、自分の意見を口にすることさえできなかった少年が、周囲の意見にも耳を傾けながら、自ら考え、判断を下せる青年へと成長していった。


 穏やかで人当たりがよく、公爵家の嫡男として確かな力を持つ青年。

 いつしかアシュレイは、周囲からそんなふうに評されるようになっていた。


 それでも、胸の奥にある想いだけは、幼い頃から何一つ変わらなかった。

 

 自分に向けてくれた、あの優しい笑顔。

 今度こそ、胸を張ってクラリスの前に立ちたい。

 ただその想いだけを胸に、アシュレイは努力を重ね続けた。


 そして、あの日から何年もの歳月が流れた頃。

 ようやく、彼女に会っても恥ずかしくないと思えるほどに成長したアシュレイは、思いがけず、かつての面影を残しながらも、大きく変わったクラリスの姿を目にすることになる。




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