第三十四話 あの日、あなたに会ってから③(アシュレイ視点)
次の日、アシュレイは、また公園の隅にある花壇へと足を運んでいた。
花壇の花が気になったのもあったが、何よりもう一度、彼女に会いたかった。
そしてたどり着いた花壇の前には、あの少女の姿があった。
「あ……!昨日の!」
少女はアシュレイの姿を見つけると、嬉しそうに笑った。
「また来てくれたんですね」
「……はい」
その笑顔を見た瞬間、アシュレイの胸が温かくなった。
少女は、クラリスと名乗った。今は七歳だという。
立って並ぶと、ほんの少しだけ自分よりも背の高い彼女が、一つとはいえ年下だとは思っていなかったため、アシュレイは少し驚いた。
なんとなく、自分よりも背の高い彼女に、自分が年上だと知られるのが照れくさくて、あえて年齢については告げずにいた。
するとクラリスは、アシュレイの方が年下なのだと思ったようだった。
「あなたのお名前はなんていうの?」
彼女から名前を尋ねられ、アシュレイは一瞬、言葉に詰まってしまった。
自分に自信がなくて、彼女に自分のことを知られるのが、どうにも恥ずかしかったのだ。
年齢を隠してしまったせいか、本当の名前を名乗ることにも、ためらいを感じた。
結局、アシュレイは本名を口にすることができず、咄嗟に家族から呼ばれている愛称を名乗った。
「……アシュリーです」
「アシュリー……。あなたにぴったりの、とても可愛い名前ね」
クラリスは優しい微笑みを浮かべながらそう言った。そして、少しお姉さんぶった口調で続ける。
「ねえ、アシュリー。……私たち、もうお友達よね?だったらお互い敬語はやめないかしら。私のことは、クラリスって呼んでちょうだい」
アシュレイは、思いがけない提案に目を丸くした。
「えっと……」
少し迷うようにクラリスを見つめる。
けれど、彼女が嬉しそうに自分を見つめているのを見て、小さく頷いた。
「う……うん。分かった。クラリス」
するとクラリスは、とても嬉しそうな笑顔で微笑んだ。
こうして、アシュレイに、初めての友達ができたのだった。
クラリスには、この歳で、既に侯爵家の許嫁がいるらしい。
ここへは、将来淑女となるための勉強をするために来ているのだという。
それなのに、初日からドレスを泥まみれにしてしまい、案の定、あの後侍女からたっぷり叱られてしまったらしい。
そのことを恥ずかしそうにはにかみながら話すクラリスの姿が、アシュレイには可愛らしく思えた。
それでも、やはり植え直した花のことが気になったらしく、短い休憩時間を縫うようにして、この花壇へ様子を見に来たのだと教えてくれた。
「そうしたらアシュリーにまた会えたから、見に来てほんとうに良かったわ」
そう言って嬉しそうに笑うクラリスが、とても眩しく見えた。
それから二人は、そのわずかな時間を、いつもここで過ごすようになり、少しずつ仲を深めていった。
特にクラリスは、アシュレイの銀色の髪を綺麗だと褒めて髪を結ったり、せっかく綺麗な瞳なのだから隠しているのは勿体無いと、伸びた前髪を可愛らしい花のついたヘアピンで留めたりした。
「ほら、やっぱり可愛い」
そう言って、満足気に微笑みながら覗き込んでくるクラリスに、「クラリスの方がずっと可愛いよ」と思ったけれど、どうにも恥ずかしくて、アシュレイはそれを口にすることはできなかった。
それからもクラリスはずっと、まるで仲の良い姉妹か女友達のように接してきた。
別荘地に来ていて、気取らないラフな服装だったこともあり、彼女は完全にアシュレイのことを、女の子だと思い込んでいるようだった。
最初にアシュリーと名乗ってしまった後ろめたさと、何より、男だとはっきり明言してしまったら、今の親しい距離感が終わってしまうのではないかという思いから、アシュレイは、自分が男だと伝えることなく、過ごしてしまっていた。
けれど、彼女にいつまで経っても男の子だと気づいてもらえないのも、それはそれでなぜか悔しいものがあった。
そこでクラリスと会う時には、持っている服の中でも、できるだけ男の子らしいものを選ぶようになった。
それでも、クラリスの態度が変わることはなかった。
どうやら、少しくらい服装を変えたところで、彼女の中では自分は女の子のままのようだった。
クラリスは年頃の女の子らしく、恋愛の話をすることもあった。
「ねえ、アシュリーは好きな人っていないの?」
きらきらした瞳でそう尋ねられたアシュレイは、驚いたように目を瞬かせ、それから頬を赤らめて首を横に振った。
「ううん!好きな人なんていないよ!」
好きな人どころか、人と関わること自体が苦手な自分に、これから先、そんな相手ができることがあるのだろうかと思った。
「そうなのね」
クラリスはそう言って頷いた。
そして、少し恥ずかしそうに頬を染めて、ゆっくりと口を開いた。
「私はね、ルシアン様っていう婚約者がいるの」
その言葉を聞いた瞬間、アシュレイの胸が、なぜか急に痛くなった。
けれど、どうしてそんな気持ちになるのか、その時のアシュレイには分からなかった。
「ルシアン様は、ほんのちょっぴり怖いところもある方だけれど……でも、いつかきっと、お互いを尊重し合える、素敵な夫婦になれると思っているわ」
「……そうなんだ」
アシュレイは、ポツリと呟くように答えた。
幸せそうに語るクラリスの笑顔を見ていると、また胸が痛くなってきてしまい、アシュレイは、そのことを悟られないように、そっと視線を逸らした。
それ以外にも、クラリスはいろいろな話をしてくれた。
別荘の庭に咲いていた綺麗な花のこと、以前読んだ面白い本のこと、これからやってみたいこと。
そんな他愛のない話をしながら、二人で笑い合った。
公園へ向かえば、クラリスはいつも嬉しそうに笑ってくれる。
その笑顔を見ることが、アシュレイには嬉しかった。
別荘に滞在している間、アシュレイは何度も花壇へ足を運んだ。
公園へ向かうとき、彼女に会えると思うだけで自然と胸が弾んだ。
クラリスの姿を見つければ、それだけで嬉しくなる。
そして、自分を見つけた彼女が笑ってくれると、胸の奥がふわりと温かくなった。
その気持ちが何なのか、幼いアシュレイには分からなかったけれど、クラリスと一緒に過ごす時間が、何よりも嬉しかった。
そして、別荘を離れる日。
これが最後になるのだと思うと、寂しさを感じながら花壇へ向かったアシュレイは、そこで思わず目を見開いた。
あの日、二人で植え直した白いマーガレットが、綺麗な花を咲かせていた。
「アシュリー、……お花が咲いたわよ……!」
クラリスが嬉しそうに声を上げる。
咲いたばかりの白い花を見つめるクラリスの弾けるような明るい笑顔を見た、その瞬間だった。
アシュレイは、ようやく自分の胸にある気持ちが何なのかを知った。
クラリスの笑顔を、もっと見ていたい。
クラリスのそばに、ずっといたい。
クラリスが好きだ。
ずっと抱いていたこの気持ちが、恋だったのだということに気づいた。
そして、それは同時に、アシュレイにとって、長く辛く、決して叶うことのない片思いの始まりでもあった。
別れ際、クラリスが泣きそうな顔で言った。
「まるで歳の近い妹が出来たみたいで、とっても楽しかったわ」
やっぱり完全に男として見られていないとはっきり分かった時、アシュレイはとても切ない気持ちになった。
これまでだって女の子に勘違いされることはよくあったのに、こんなふうに切なく感じるのは、これが初めてのことだった。
そしてその時初めて、アシュレイには叶えたい目標ができた。
たとえ彼女に特別な感情を向けてもらえなくても、次に会った時に、「頼りになる」と思ってもらえるような男になりたい。
そのために、もっと強くなろうと、アシュレイは心に決めたのだった。




