第三十二話 あの日、あなたに会ってから①(アシュレイ視点)
それはアシュレイが、まだ八歳の頃のことだった。
当時のアシュレイは、今の姿からは想像もつかないほど、ひ弱で気弱な少年だった。
細い身体は同年代の子どもたちに比べても頼りなく、何かを尋ねられても、すぐには答えを返せない。
自分の意見を口にすることも苦手で、少し強い口調で言われるだけで、たちまち言葉に詰まってしまうような性格だった。
長く伸ばした前髪が淡い青の瞳を覆い、丸めた背中はいつもどこか頼りなげで、人と目を合わせることを避けるように、歩く時でさえ視線は自然と足元へ落ちていた。
アシュレイは、同年代の男の子たちに比べ身体が細く華奢で、同い年の女の子たちと比べても、小さな方だった。
そのうえ、肩に届くほどの長い髪と幼い顔立ちもあって、女の子に間違われることもよくあった。
公爵家の嫡男という立場にありながら、人前に出ることを好まず、誰かに話しかけられても小さな声で答えるばかり。
そんなアシュレイを、面白がってからかう者もいた。
中でも、別の公爵家の嫡男である少年は、大人たちの目が届かなくなると、決まってアシュレイを馬鹿にした。
「おい、みんな、弱虫がこっちに来るぞ。おいお前、弱虫菌がうつると困るから、こっち来るなよ」
そんな少年の言葉に、周囲から笑い声が上がる。
けれど、アシュレイには言い返すことができなかった。
言い返したら、もっと笑われるかもしれないと思うと、何かを言おうとしても、喉の奥が塞がったようになって、声が出てこなかった。
結局いつも、何を言われても黙ったまま身を縮め、相手の気が済んで離れていくのを、ただ耐えることしかできなかった。
アシュレイは、そんな自分が嫌いだった。
けれど、だからといって、どうすれば変われるのかも分からず、縮こまるように背中を丸めて、ただ鬱々とした日々を過ごしていた。
そんなある日のこと。
アシュレイは両親とともに、王都から少し離れた別荘地に、数週間滞在することになった。
そこには親族たちも集まっており、同じ年頃の子どもたちも何人かいた。
大人たちが談笑している間、子どもたちは別荘のすぐ隣にある広い公園で自由に遊んでいた。
親戚の男の子たちは、用意されていたボールを使って遊んでいた。
元気に走り回る楽しげな笑い声が、公園に響く。
けれど、アシュレイはそこに混ざる気にはなれなかった。
また何かを言われるかもしれない。
それに、皆のように上手く遊べなければ、きっといつもみたいに馬鹿にされる。
そう考えると、胸の奥が重くなった。
(……誰にも見つからない場所へ行きたい)
そう思ったアシュレイは、子どもたちの輪からそっと離れた。
公園の隅へ向かうと、そこには人の少ない一角があった。
木々に囲まれた、ひっそりとしたその場所には、小さな花壇がいくつか並んでいる。
ここなら、誰にも邪魔されずに過ごせそうだった。
けれど、その角へ足を踏み入れたところで、アシュレイは一人の少女がいることに気づいた。
その少女は花壇の前にしゃがみ込み、何かをしていた。
誰かいるなら、別の場所へ行こう。
そう思ったアシュレイだったが、少女の様子が少しおかしいことに気づいた。
彼女はずっと俯いたまま、動かなかった。
もしかすると、具合が悪いのかもしれない。
そう思うと、そのまま見なかったことにはできず、アシュレイはおそるおそる少女へ近づいた。
「あの……大丈夫ですか?」
声をかけると、少女がぱっと顔を上げた。
その瞬間、アシュレイは息を呑んだ。
ウェーブのかかった亜麻色の髪がふわりと揺れ、その奥から、澄んだ緑色の瞳がこちらを見つめている。
柔らかな陽射しを受けた可憐なその姿に、こんなに可愛い女の子がいるのかと、幼いアシュレイはただ驚いた。
けれど、よく見ると、その透き通った白い頬には泥がつき、美しいドレスの裾も土で汚れていた。
「え……?」
アシュレイは驚いて目を瞬いた。
「どうしたんですか、その……」
何と尋ねればいいのか分からず、言葉に詰まる。
少女はそんなアシュレイを見て、少しほっとしたような顔をした後、自分の姿に気づいたように、恥ずかしそうに頬を染めた。
「……えっと……お花を、植え直そうと思って……」
小さな声でそう言う少女の手の中には、一本の花の苗があった。
まだ蕾をつけたばかりの、白い花。
その苗は、どこかくたびれたように萎れていた。




