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心を無くした伯爵令嬢は、新たな土地で本当の自分を取り戻す  作者: 陽ノ下 咲


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第二十六話 強い思い

 その言葉に、クラリスの胸の奥が、静かに冷えていく。


 この人は、一体どこまで身勝手なのだろうと憤りを覚えた。

  彼に対して、こんなふうに怒りを感じたのは、これが初めてのことだった。

 けれど、その時クラリスは気が付いた。

 これまでもずっと、自分は彼の身勝手さに腹を立てていたのだということを。

 そして、改めて、自分は変われたのだと確信を持つことができた。


 以前の自分であれば、戻ってこいというその言葉を聞いただけで、心が揺れたかもしれない。

 けれど、今は明確に違う。

 その時、クラリスの心の中に思い浮かんだのは、領地で過ごした日々だった。

 領地で出会った人々との時間、自分で考え、自分で選び、その力で誰かの役に立てた喜び。

 失敗しても責められることなく、次はどうすればいいのかを一緒に考えてもらえた日々。


 そして、自分という人間を一人の人として認め、信じてくれた、アシュレイの存在。


 叶うことなど無いと分かっていながら、いつの間にか募ってしまっていた、深い恋心。

 目の前の元婚約者に対しては、一度たりとも抱いたことのない、この強い思い。

 今の自分を作ってくれた、数々の大切なものを知った今、もう以前の自分には戻れなかった。

 クラリスは静かに息を吸い、ルシアンを見据えた。


「……申し訳ありませんが、そのお話は、お断りいたします」


 ルシアンの眉がぴくりと動く。


「……何?」


 ルシアンは信じられないというように目を見開く。


「私はもう、以前の私ではありません。あなたの婚約者に戻るつもりはございません」


 穏やかに告げられたその言葉に、ルシアンはしばらく呆然と立ち尽くした。


「ああ……そういうことか」


 ポツリと呟き、小さく笑う。そして、どこか愉しそうに口元を歪めた。


「クラリス……お前、俺が婚約破棄をしたことを恨んでいるんだろう」


 そう言われ、ふとクラリスは考える。

 確かにルシアンの身勝手な行動に憤りを感じるのは確かだ。

 けれど、婚約破棄されたことを恨んでいるのかと聞かれると、それは違うと思った。


 ……むしろ。


 自分の気持ちがはっきりと分かり、クラリスは静かに首を横へ振った。


「いいえ。恨んではおりません」

「嘘をつくな」


 ルシアンが言葉を遮り続ける。


「そうでもなければ、お前が俺を断るはずがない」


 まるで自分に言い聞かせるような口調で言うルシアンに、クラリスは静かに息をついた。


「いいえ、ルシアン様。私は本当に、あなたを恨んでなんかいません」


 穏やかな声音のまま続ける。


「むしろ、あの時婚約を解消していただいて良かったと思っています」

「……何だと?」


 ルシアンの眉間に深い皺が寄る。

 そんな彼へ、クラリスはふわりと微笑みかけた。

 その瞬間、ルシアンは息を呑んだ。そしてどこか眩し気に目を細める。


「あのままでしたら、私は何も知らないままでした。自分で考えて行動することも、誰かの役に立てる喜びも、自分らしく生きることも」


 クラリスは、ゆっくりと言葉を重ねる。


「……今の私は、自分の人生を心から幸せだと思えています」


 その笑顔は、婚約者だった頃には決して見せることのなかったものだった。

 無理をして作る笑顔ではない。

 自分で選んだ道を歩んできたからこそ浮かべられる、自然な笑みだった。

 そんなクラリスに対し、ルシアンが低く呟く。


「……違う。そんなはずがない」


 その目が、徐々に険しさを帯びていく。

 自分に言い聞かせるように、繰り返した。


「お前は俺を恨んでいるだけだ。……そうでなければ、お前が俺を拒む理由なんてないんだ」


 クラリスは静かに首を振る。


「ルシアン様」


 真っ直ぐに彼を見つめ、はっきりと告げた。


「私はもう、あなたのために生きるクラリスではないのです」


 クラリスのその一言が、ルシアンの最後の拠り所を打ち砕いた。

 ルシアンの中では、クラリスはどれほど傷つけても最後には自分を選ぶ存在だった。

 だから、クラリスから拒絶されるという現実を受け入れられるはずもなかった。

 黒い瞳が怒りに染まり、その表情から理性が少しずつ失われていった。


  


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