第二十四話 ルシアンとの再会
王都へ戻った翌日、クラリスは久しぶりに、エーデルベルク伯爵家の自室で目を覚ました。
見慣れた天井に、見慣れた家具。幼い頃から暮らしてきた部屋のはずなのに、どこか落ち着かなかった。
窓を開けると、遠くから馬車の行き交う音が聞こえてきた。
穏やかな風に乗って鳥のさえずりが響いていた領地の朝とは違い、王都には朝から人々の活気が満ちている。
(帰ってきたのね……)
その光景を眺めているうちに、胸の奥へ静かな寂しさが広がっていった。
あの穏やかな領地での日々は、もう終わってしまったのだ。
朝になれば執務室へ向かい、アシュレイとともに仕事をする。
そんな毎日が当たり前のように続くものだと思っていたわけではない。
それでも、もう以前のように顔を合わせることはないのだと思うと、胸の奥がきゅっと締めつけられるようだった。
その時、扉が控えめにノックされた。
「お嬢様、お支度のお時間でございます」
「ええ」
今日は王宮で舞踏会が開かれる。
王都中の貴族が集う、一年でもひときわ華やかな催しだ。
いつまでも感傷に浸っているわけにはいかないと、クラリスは深く息を吸うと、小さく頷いた。
*
王宮の大広間は、眩いシャンデリアの光に照らされ、多くの貴族たちの談笑で華やいでいた。
色鮮やかなドレスが行き交い、楽団の奏でる優雅な音色が広間を包み込む。
以前のクラリスなら、この空間に足を踏み入れただけで息苦しさを覚えていただろう。
けれど今は、不思議と心が落ち着いていた。
領地で過ごした日々が、いつの間にか自分を強くしてくれたのかもしれないと思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「クラリス」
父が穏やかに声を掛ける。
「久しぶりの王都はどうだ?向こうとはいろいろと違うだろう」
「はい、本当に。……ですが、リンデ村に行く以前よりずっと、落ち着いた気持ちでここにいることが出来ています」
素直に答えると、父は優しく目を細めた。
「ああ、そうだな。以前のお前よりも随分と逞しくなったように感じるよ」
父は嬉しそうに目を細めた。
「お前はリンデ村で多くのことを学び、自分で考えて行動できるようになった。もう、誰かの期待に応えようと無理をする必要はない」
その言葉に、クラリスは目を瞬かせる。
「ありのままのお前でいなさい」
静かな声で言われたその言葉が、胸の奥へ温かく染み込んでいく。
“ありのままの自分でいい”と、そう言ってくれる父の言葉が、何よりも嬉しかった。
「はい、お父様」
クラリスは自然と笑みを浮かべた。
その後、クラリスは父と別れて一人で会場を歩いた。
久しぶりに顔を合わせる貴族たちが、次々と声を掛けてきた。
「クラリス様、お目にかかれて嬉しゅうございます」
「お元気そうで何よりですわ」
婚約破棄の直後、自分へ向けられていた同情や憐れみの視線はもうどこにもなかった。
交わされるのは、ごく自然な笑顔と穏やかな挨拶ばかりだ。
その変わりように、クラリスは最初少し驚いた。
けれど、変わったのは周りではなく、自分自身の態度なのだと気がついた。
(自分の立ち居振る舞いが変わると、周りの人たちの態度もこんなに変わるものなのね)
以前は、人の視線ばかりを気にしていた。
どう思われているのか、失望されてはいないか。そればかりを考えて、いつも肩に力が入っていた。
けれど今は、そんな視線に心を揺らされることもなく、背筋を伸ばし、立つことが出来ている。
そんな変化を嬉しく感じながら歩いていると、ふと、一人の青年から声を掛けられた。
「クラリス嬢、お久しぶりです」
その男性は、かつてルシアンとよく一緒にいた、伯爵家の嫡男だった。
ルシアンと婚約していた頃は、他の男性とこうして言葉を交わすことがほとんどなかった上に、かつてルシアンの友人たちから向けられた言葉や態度を思い出し、クラリスはわずかに緊張を覚えた。
けれど軽く息を吸い、静かに背筋を伸ばすと、穏やかに一礼した。
「お久しぶりでございます」
以前のように、どう振る舞えばいいのか分からず相手の顔色を窺うことはなく、落ち着いて目の前の男性に向き合うことが出来て、内心でホッとした。
その仕草に男性は少しだけ頬を赤く染め、クラリスに微笑みかける。
「リンデ村へ行かれたと伺いましたが、以前とはどこか変わられましたね。ですが相変わらずお美しい……」
青年がさらに言葉を続けようとした、その時だった。
「クラリス……!」
わずかに焦ったような声が、二人の間に割って入った。
クラリスは足を止め、ゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、一人の男性だった。
茶色の短い髪に、鋭い黒い瞳。
見間違えるはずもない。元婚約者のルシアン・ヴァイスハルト、その人だった。
その姿を目にした瞬間、クラリスの胸がどくりと鳴った。
けれど、以前のように足がすくむことはなかった。
ルシアンがちらりと、クラリスと話していた男性へ視線を向ける。
それに気づいた男性は、どこか気まずそうな表情を浮かべたあと、軽く会釈をしてその場を離れていった。
クラリスは男性へ会釈を返すと、ルシアンへ向き直った。
背筋を伸ばすと口元に笑みを浮かべ、一礼する。
「お久しぶりです、ルシアン様」
その落ち着いた様子に、今度はルシアンの方がわずかに目を見開いた。
「久しぶりだな」
「はい」
短いやり取りのあと、二人の間に静かな沈黙が流れる。
以前のクラリスなら、その沈黙に耐えられず、目線を伏せていただろう。
けれど今は、毅然とした態度で、ルシアンと向かい会うことができた。
そんなクラリスを見つめながら、ルシアンは探るような眼差しを向ける。
「……お前、少し変わったな」
その言葉に、クラリスは小さく微笑んだ。
「そう見えますか?」
「ああ」
ルシアンにも分かるほどに、自分は変われたのだと思うと、胸の奥にじんわりと喜びが広がった。
彼と向き合っているのに、以前のような恐れはない。
彼の言葉に怯えることも、顔色を窺うこともなく、ただ目の前にいる彼を、ひとりの人間として見ることができている。
自分がここまで変われたことが、とても嬉しく、同時に誇らしくもあった。




