第二十二話 近づく別れの時
リンデ村で過ごす半年も終わりが近づいた頃の、ある日の午後のこと。
恋を自覚してからというもの、クラリスは自分の想いを悟られないよう、これまで以上に慎重に振る舞っていた。
アシュレイと目が合うだけで胸が高鳴り、名前を呼ばれるだけで嬉しくなってしまう。
それでも、この気持ちだけは決して知られてはいけないと、そう自分に言い聞かせながら、以前と変わらぬ態度を装い続けていた。
執務室で、アシュレイが視察の記録を整理しながらクラリスに言う。
「クラリス様は、この半年で目を見張るほどに多くのことを身につけられましたね。本当によく頑張られました」
「いえ……そんな」
クラリスはそう否定しかけた。
けれど、ここへ来てからの日々を振り返ると、確かに自分は変わったと思い直し、途中で言葉を止めた。
けれど、そう思える理由は自分自身の頑張りが理由ではないと思った。そしてそれを目の前の彼に伝えたいとも。
「私の成長は全てアシュレイ様のおかげです。本当にありがとうございます」
自然と笑みが溢れる。
最初は帳簿の見方も、領民との接し方も、農業や商業の知識も何ひとつ分からなかった。
それでも今では、自分なりに考え、意見を口にできるようになっている。
ここまで来られたのは、いつも根気強く教え、見守ってくれたアシュレイのおかげに他ならなかった。
「それでも、まだまだ勉強不足ではありますが」
そう答えると、アシュレイは穏やかに微笑んだ。
「その姿勢こそが、成長するために何よりも大切なことなのでしょうね。クラリス様が、それを証明してくださいましたから」
彼のその言葉に、クラリスの胸がジンと熱くなった。
「ありがとうございます」
その時、郵便を届けに来た使用人が、部屋へ入ってきた。
「クラリス様、ご実家より、お手紙が届いております」
「ええ、分かったわ。ありがとう」
使用人に礼を言って封筒を受け取り、そっと封を開いた。
父らしい端正な文字で、時候の挨拶や領地での暮らしを気遣う言葉が綴られていた。
そのあとに続いていたのは、近く王宮で開かれる舞踏会へ伯爵家の令嬢として出席すること。そして、この領地での仕事は期限の半年でひと区切りとし、今後は王都での仕事を覚えてもらう予定だという内容だった。
何度か読み返すうちに、自然と手紙を持つ指先へ力が入った。
半年間の滞在だということは、最初から分かっていた。
それでも、父からの手紙を通して、その日がもうすぐそこまで来ているのだと改めて実感してしまった。
「何かございましたか」
気遣うようにアシュレイからかけられた声に、クラリスは顔を上げる。
「あ……」
ほんの一瞬ためらってから、そっと手紙を差し出した。
「父からの手紙なのですが……」
アシュレイは目を通すと、小さく頷く。
「王宮の舞踏会ですか」
「はい。そしてそれ以降は、ここには戻らず王都で仕事をするそうです」
クラリスは手紙へ視線を落とした。
「もうすぐ終わってしまうことが、寂しいです」
その言葉を口にした途端、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
アシュレイは静かに手紙を返す。
「ええ、そうですね」
そう言ってクラリスを見つめる淡い青の瞳には、どこか気遣うような色が浮かんでいた。
彼のその表情に、胸の奥に込み上げていた切なさが、いっそう強くなった。
仕事が終われば王都へ戻ることなど、最初から決まっていたことだ。
それなのに、こうして別れが近づいていることを思うと、どうしても寂しさを抑えることができない。
いつの間にか俯いていたクラリスへ、アシュレイが気遣わしげな声で続けた。
「クラリス様、王都へ戻られるまで、まだ少し時間があります」
その声にクラリスが顔を上げる。
「残りの時間で、お伝えできることはすべてお教えしますね」
その声には、沈んでいるクラリスを元気づけようとするような、優しさがあった。
「……はい。最後までよろしくお願いいたします」
彼の優しさが心に沁みて、クラリスは精一杯笑顔を浮かべたのだった。
その日の夕方、クラリスは以前アシュレイと朝の散歩をした、別邸近くの小さな庭園に一人で立ち寄った。
「もうすぐ、ここともお別れなのね」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
ここへ来たばかりの頃は、不安しかなかった。
婚約を失い、自分には本当に何もないのだと思っていた。
けれど、この領地で多くのことを知った。
仕事をする楽しさ、領民の温かさ、自分にも誰かの役に立てることがあるという喜び。
好きなものや、楽しいと思うことも知った。
誰よりも大切だと思える人に出会えた。
そして、叶わない恋の切なさも。
これからも何らかの形で、この領地とは関わっていけると思う。
けれど、これから先、アシュレイと顔を合わせて今のように微笑み合えることは、きっと二度と無いだろう。
そう思うと、言いようのない切ない気持ちが、また静かに押し寄せてきた。




