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心を無くした伯爵令嬢は、新たな土地で本当の自分を取り戻す  作者: 陽ノ下 咲


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第二十話 マーガレットの花畑

 馬車が公園へ到着すると、アシュレイが先に降り、クラリスへ手を差し伸べた。


「クラリス様、どうぞこちらへ」

「あ……ありがとうございます」


 その手を借りて馬車を降りる。

 木漏れ日が降り注ぐ園内には、穏やかな風が吹き抜け、小鳥のさえずりがあちらこちらから聞こえてきた。

 休日ということもあって、親子連れや夫婦らしき人々が思い思いに散策を楽しんでいる。

 どこかゆったりと時間が流れていて、その空気に触れるだけで心まで軽くなるようだった。


 二人は並んで園内の小道を歩き始めた。

 足元には小さな花が咲き、やわらかな風が木々の葉を揺らしている。

 肩を並べて歩く穏やかな時間が、とても心地よく感じられた。

 季節の花々が咲き誇る花壇を眺めながら歩いていると、風がそっと頬を撫でる。


「とても気持ちの良いところですね」


 思わずそう零すと、アシュレイも穏やかに頷いた。


「ええ。本当に」


 その横顔を見て、クラリスもつられるように微笑む。

 仕事の話をしている時とはどこか違う、一人の青年として穏やかな時間を楽しんでいるようなその姿が、クラリスにはどこか新鮮に映った。


 やがて見えてきた景色に、クラリスは思わず足を止めた。


「……わぁ」


 一面に咲き誇るマーガレット。

 白い花びらが風を受けるたび、陽の光を反射してきらきらと揺れている。

 黄色い花芯とのコントラストは愛らしく、それでいてどこまでも清らかだった。

 風が吹き抜けるたび、花畑が白い波のようにゆっくりと揺れる。

 その景色はあまりにも穏やかで、見ているだけで胸の奥の力がふっと抜けていくようだった。


「綺麗……」


 自然と零れた声に、アシュレイも静かに頷く。


「ちょうど見頃ですね」


 クラリスはゆっくりと花畑へ近づいた。

 風に揺れる可愛らしくも幻想的なその姿を、ただじっと眺め続けた。


 しばらく花を眺めているうちに、胸の奥がじんわりと温かくなっていく。

 綺麗な景色を見られたからだろうか。

 それとも、こんな穏やかな時間を、アシュレイと一緒に過ごしているからだろうか。

 その答えは、自分でもよく分からない。

 ただ、今、この瞬間がとても幸せだと思った。


 そっと隣へ視線を向ける。

 するとアシュレイも、いつの間にかクラリスの方を見つめていた。

 目が合うと、柔らかな笑みが向けられた。

 その優しい眼差しに胸がどきりと鳴り、クラリスは慌てて視線を逸らした。


(どうして……)


 その視線に見つめられると、どうしても心が落ち着かなくなってくる。

 この妙な緊張を悟られたくなくて、クラリスは気持ちを紛らわせるように再び歩き出した。

 その時、足元の柔らかな土に靴を取られ、身体がぐらりと傾いてしまった。


「あっ……」


 転ぶ、と思った次の瞬間、そっと腕が支えられた。


「大丈夫ですか」


 耳元で聞こえた穏やかな声に、クラリスははっと顔を上げた。

 すぐ近くにある淡い青の瞳と目が合う。


「あ、ありがとうございます」


 慌てて姿勢を立て直すと、咄嗟に頭を下げた。


「申し訳ありません」

「いいえ、謝る必要はありませんよ」


 アシュレイは優しく微笑みながら、そっと腕を離した。

 けれど離れたあとも、彼に支えられていた腕には、しばらく温もりが残っているような気がして、クラリスは思わず自分の腕へ視線を落とした。

 そんな彼女を見つめながら、アシュレイがふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、クラリス様は白いマーガレットの花言葉をご存知ですか?」


 クラリスは顔を上げ、首を横に振る。


「花言葉……いえ、存じません」

「そうですか」


 アシュレイは穏やかな眼差しのまま、ゆっくりと言葉を続けた。


「“誠実”や“信頼”という意味があるそうですよ」

「そうなのですか。素敵な花言葉ですね。……何だかアシュレイ様みたい」


 クラリスが微笑みながらそう言うと、アシュレイは少し驚いたように目を見開いた。


「アシュレイ様……?」


 クラリスがきょとんと首を傾げる。

 そんなクラリスに、アシュレイが何かを言い淀みかけ、一瞬だけ視線を逸らしたあと、再びクラリスへ目を向けた。

 そこにあったのはいつもと変わらない穏やかな笑顔だった。


「いえ、なんでもありませんよ」


 風が吹き抜け、白いマーガレットが揺れる。

 アシュレイの柔らかい笑顔に、クラリスの胸の奥がまた小さく高鳴った。

 その胸の高鳴りの正体を、クラリスはまだ知らない。


 


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