第十九話 どうしたのかしら
久しぶりに迎えた、丸一日の休日。
その朝、クラリスは目を覚ました瞬間から、胸の奥がそわそわと落ち着かなかった。
今日は、以前アシュレイと約束した公園へ出かける日だった。
村の外れにあるその公園では、マーガレットが今ちょうど見頃を迎えているらしい。
約束した日からずっと、今日のことを思い浮かべるたびに胸が弾んでいた。
その気持ちは朝になっても変わらず、支度を始める前から自然と頬が緩んでしまう。
(こんなに楽しみで仕方ないと思うのは、生まれて初めてな気がするわ)
これまでにも、ルシアンに伴われて観劇や食事会へ出かけたことは何度もある。
けれど、それらは侯爵夫人になるために必要な務めの一つだった。
失礼があってはいけない、粗相をしてはいけないと、そんなことばかりを考えて過ごしていたから、楽しみだと思えたことなど一度もなかった。
それなのに今日は、全く違った。
何を着て行こうかと悩んだり、公園ではどんな景色が見られるのだろうと想像したりするだけで、自然と頬が緩んでしまう。
クラリスは衣装棚の前に立ち、一着ずつドレスを取り出しては鏡の前へ立った。
「こちらの方がいいかしら……」
そう呟いてみるものの、首を傾げて着替え直す。
もう一着羽織ってみても、何となくしっくりこない。
気づけば、同じことを何度も繰り返していた。
その様子を見ていたメイドが、くすりと笑う。
「クラリス様、今日は随分とお悩みですね」
「え?」
言われて初めて、自分がずいぶん長い間鏡の前に立っていたことに気づいた。
「今日は特別なお出掛けですものね」
楽しそうに微笑むメイドの言葉に、クラリスは頬を少し赤らめた。
「そ、そんなこと……」
思わず否定しかけたものの、その先の言葉は口へ出てこない。
何故か照れくさくなってはにかみながら、再び鏡へ視線を向けた。
結局、最初に手に取った薄水色のドレスへ戻ってくる。
歩きやすく、動きやすい軽やかな仕立てでありながら、上品さも感じられる一着だった。
「やっぱり、これにするわ」
そう決めると、どこかほっとした気持ちになる。
メイドに髪を整えてもらい、淡く化粧を施してもらう。
最後に姿見へ映る自分を見ると、胸の奥がまた少しだけ高鳴った。
(……変ではないわよね?)
もう一度だけ姿見を見つめ、乱れがないことを確かめる。
今日はなぜだか、いつもより身だしなみが気になって仕方がない。
その理由は、自分でもよく分からなかった。
*
やっと支度を終えて一階へ降りると、既に到着していたアシュレイが待っていた。
「おはようございます、クラリス様」
穏やかな声に顔を上げた瞬間、クラリスは思わず足を止めた。
アシュレイはいつもの執務服ではなく、仕立ての良い濃紺のジャケットに白いシャツを合わせた軽やかな装いで、穏やかな笑みを浮かべて立っている。
いつもよりも柔らかな印象の装いだったが、その立ち姿から漂う気品は少しも変わらず、クラリスはつい、目線を奪われてしまった。
(……素敵)
そう思った瞬間、自分でも驚くほど長く見つめてしまっていたことに気づき、慌てて視線を逸らした。
「お、おはようございます、アシュレイ様」
少しだけ声が上ずってしまい、気づかれていないだろうかと考えていると、アシュレイは柔らかく微笑んだ。
「クラリス様、そのドレス、とてもお似合いですね。お綺麗です」
あまりにも自然に褒められて、胸がどきりと鳴る。
頬へ熱が集まっていくのが自分でも分かった。
「ありがとうございます」
一呼吸置いてから、照れ隠しのように言葉を返す。
「アシュレイ様も、とてもお似合いです」
そう言うと、アシュレイは少しだけ目を細めた。
「ありがとうございます」
その笑顔は、いつもと同じ穏やかなものだった。
それなのに、どうしてか、彼に見つめられるだけで、胸の鼓動が少しだけ速くなってしまった。
安心する笑顔なのは確かなのに、胸の奥はどこか落ち着かない。
そんな相反する気持ちを抱くのは初めてだった。
「それでは、行きましょうか」
差し出された腕へ、クラリスはそっと自分の手を添えた。
その時、またわずかに鼓動が速くなった。
(どうしたのかしら、私……)
そう思いながら、クラリスはアシュレイと並んで馬車へ向かった。
二人はそのまま馬車へ乗り込み、アシュレイはクラリスの向かいの席へ腰を下ろした。
二人を乗せた馬車は、ゆっくりと公園への道を走り始めた。




