第十八話 それ以上に
体調を崩してから五日後、医師から許可がおり、クラリスはようやく以前と同じように執務に戻ることができた。
ただし、それには一つだけ条件がある。
「病み上がりなので、絶対に無理はしないでくださいね」
朝一番、アシュレイは真剣な表情でそう告げた。
「はい、分かっています」
そう答えると、アシュレイは少しだけ疑うように目を細める。
「本当ですか?」
「……はい」
「……今、少し間がありましたね」
何度も念を押してくるアシュレイの様子が、どこかくすぐったくて嬉しくもあり、クラリスは思わず笑みをこぼした。
「以前の私ならきっとすぐに、大丈夫ですと言っていましたが、今は違います。辛い時は、隠さずにお伝えします」
そう言うと、アシュレイも優しく笑った。
「分かりました、信じましょう」
以前の自分とは少し違う、そんな小さな変化を誰よりも近くで見守ってくれている人がいる。
そのことがクラリスはとても嬉しかった。
話を終えた後も、なんだか胸の奥が温かなままで、クラリスは早速業務に取り掛かった。
村で育てている農作物の収穫記録に目を通している時、気になる数字が目に留まった。
「……ぶどうの収穫量が少し落ちていますね」
隣で資料を確認していたアシュレイが顔を上げ、クラリスの手元の資料に視線を落とした。
「本当ですね。昨年と比べて少し減っているようです。他の作物はそれほど変わっていないようですが……」
アシュレイの言葉に頷き、クラリスはもう一度、記録に目を落とす。
他の作物はそれほど変わっていないのに、ぶどうだけ収穫量が落ちている。
そのことを考えているうちに、先日村を歩いた時の景色がふと脳裏に浮かんだ。
「……もしかすると、日当たりが影響しているのかもしれません」
「日当たりですか?」
「先日畑を見て回った時、ぶどうを育てている畑の中には、丘の影になっている場所がありましたよね」
クラリスはそう言いながら、資料の数字を指で追う。
「日照時間の違いによって、実のつき方や成長に差が出ているのかもしれません」
少し考え、さらに言葉を続ける。
「もしそのことが原因なら、日当たりの良い場所で育てることで、収穫量を増やせるかもしれません」
アシュレイは手元の資料からクラリスへと視線を移し、小さく頷いた。
「確かに、その可能性はありますね」
そう言って、アシュレイは穏やかに微笑んだ。
その微笑みを見て、クラリスの胸がまた少し温かくなる。
「では、クラリス様の体調が完全に戻ったら、もう一度ぶどう畑を見に行きましょうか。実際に畑の日当たりや栽培状況を確認して、農家の方たちの話も伺いましょう」
クラリスの表情がぱっと明るくなる。
「はい!」
力強く頷くその姿に、アシュレイは満足そうに微笑んだ。
その後も二人は、残っていた書類の確認を続けた。
すべての書類の確認を終えた後、クラリスはほっと息をついて窓際へと目を向けた。
窓際の棚には、小ぶりな鉢に植えられた白いマーガレットが置かれている。
可憐な花が陽の光を受け、静かに咲いていた。
以前、別邸近くの庭園で見つけて以来、好きだと気がついた花だ。
その姿を眺めると、不思議と心が穏やかになってきて、思わず口元がほころんだ。
そんなクラリスの様子を見ていたアシュレイが柔らかく微笑む。
「そういえば」
何かを思い出したように口を開く。
「村の外れにある公園のマーガレットが、今ちょうど見頃を迎えているそうですよ」
クラリスは顔をアシュレイの方へ向けた。
「そうなのですか?」
「ええ。一面に咲いていて、とても綺麗だと聞きました」
その情景を思い浮かべるだけで胸が弾む。
するとアシュレイは少しだけ言葉を選ぶように間を置き、それから穏やかに続けた。
「……よろしければ、今度ご一緒しませんか」
その言葉に、クラリスはきょとんとする。
「視察ではなく、プライベートで」
一瞬、言葉の意味を確かめるように瞬きをする。
そして次の瞬間、ぱっと表情を輝かせた。
「えっ……いいのですか?」
「ええ、もちろんです。たまには仕事を離れて、ゆっくり過ごしましょう」
「はい!ぜひ行きたいです!」
クラリスは迷いなく返事をした。
そのあまりにも嬉しそうな様子に、アシュレイは少しだけ驚いたように目を丸くして、穏やかに目元を和らげた。
「それでは、約束ですね」
「はい」
クラリスは嬉しそうに頷く。
「今から楽しみです」
その笑顔を見つめながら、アシュレイも穏やかに微笑んだ。
「ええ、私もですよ」
*
その夜、別邸の自室に戻ったクラリスは、窓を開けて夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。
今日も充実した一日だった。
そう思えたことが、少し前の自分には信じられない。
ふと、昼間のやり取りが脳裏によみがえる。
ーーよろしければ、今度ご一緒しませんか。視察ではなく、プライベートで。
思い返すたび、自然と頬が緩んでしまう。
マーガレットが咲く景色を見るのが楽しみだった。
けれどそれと同じくらいに、……いや、それ以上に。
その日をアシュレイと一緒に過ごせることが嬉しいと思った。
そんな自分の気持ちに気づいて、クラリスは少しだけ照れたように笑う。
(……約束の日が、本当に楽しみだわ)
そう思うだけで、胸の奥がふわりと温かくなる。
クラリスは夜空を見上げ、小さく微笑んだ。




