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心を無くした伯爵令嬢は、新たな土地で本当の自分を取り戻す  作者: 陽ノ下 咲


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第十六話 頑張りすぎです

 それからというもの、クラリスの毎日は、以前にも増して慌ただしくなっていた。

 朝からアシュレイとともに領内を巡り、領務館へ戻れば、すぐにその日の視察内容を報告書へまとめる。

 一息つく間もなく過去の記録へ目を通し、気になったことを手帳へ書き留め、アシュレイに相談する。

 夜になって別邸へ戻った後も、一日は終わらない。

 その日学んだことや気になったことを再度確認し、その日やり残した仕事に手をつけて、気づけば夜更けになっていることも珍しくなかった。


 疲れていないわけではない。

 それでも、その努力が誰かの役に立つのだと思うと、不思議と苦にはならなかった。


(もっと皆さんのお役に立ちたい。私に出来ることなんて、まだまだ少ないけれど、少しでも何かしたいもの)


 その思いだけが、クラリスを前へ進ませていた。



 その日も一行は村を訪れ、用水路や畑の様子を見て回っていた。

 農夫から話を聞き、クラリスは手帳へ次々と書き留めていく。


「去年は下流側の修繕を優先しましたから、今年は上流側も確認しておきましょう」


 アシュレイの言葉に、農夫は安心したように頭を下げた。

 その表情を見ていると、クラリスは嬉しい気持ちになった。


 領務館へ戻った後も、クラリスは机へ向かい続けた。

 用水路の件、収穫状況、村人たちから聞いた要望……、忘れないうちに書き留めようと、羽根ペンを走らせ続ける。


「クラリス様、少し休憩なさってください」


 侍女が紅茶を運んできた。


「ありがとう。このページだけ終わったらいただくわ」


 だが、その一ページを書き終える頃には、さらに気になることが浮かび、気づけば紅茶はすっかり冷めてしまっていた。


 夕方になり、仕事を終えたアシュレイが静かに机の前へ立つ。


「クラリス様、今日はここまでにしましょう」

「もう少しだけ、まとめたい資料がありまして」

「明日でも間に合います」


 クラリスが困ったように笑うと、アシュレイは穏やかな表情のまま続けた。


「クラリス様は、本当によく頑張ってくださっています。提案も以前よりずっと的確になりました」

「ありがとうございます」

「ですが、少し頑張りすぎです」


 少し力の宿った声でアシュレイにそう言われ、クラリスは目を瞬かせた。

 そんなクラリスを見ながら、アシュレイは続ける。


「あなたが休憩している姿を、このところほとんど見ていません。夜も遅くまで勉強を続けていると聞いています」

「まだまだ知らないことばかりですから。皆さんのお役に立てるようになりたくて」


 その言葉に、アシュレイは優しく目を細めた。


「そのお気持ちは、とても素晴らしいと思います」


 そして、すぐにその表情を心配そうなものに変えた。


「ですが、無理だけはなさらないでください」


 クラリスは小さく笑った。


「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから」


 その笑顔に、アシュレイは小さく息をつく。


「……どうか、ご自身のお身体も大切になさってください」



 翌朝、目を覚ましたクラリスは、身体の重さに眉をひそめた。

 手足は鉛のように重く、立ち上がるだけで視界が揺れる。


(少し疲れが残っているだけね)


 そう自分に言い聞かせ、身支度を整えて領務館へ向かった。


 顔を合わせたアシュレイは、一目見るなり静かに眉を寄せた。


 けれど、何も言わなかった。

 昨夜あれだけ伝えたのだから、これ以上は本人を信じるしかないと、そう思ったのだった。


 午前の視察が始まってしばらくすると、身体の異変は少しずつ大きくなっていった。

 視界が霞み、文字が滲む。

 熱を帯びた身体は思うように動かず、息をするだけでも苦しい。


(あと少しだけ……)


 そう思って前を向いた瞬間、景色がぐらりと揺れ、足元から力が抜けた。


「あっ……」


 倒れ込むより早く、力強い腕に身体が支えられる。


「クラリス様!」


 今まで聞いたこともないほど切迫した声だった。

 アシュレイはすぐ額へ手を当て、その熱に表情を変える。


「熱い……」


 眉間に皺を寄せ、焦りを滲ませた表情で告げる。


「クラリス様、馬車まで移動します。少し揺れますよ」


 そう言うと、アシュレイはクラリスの身体をそっと横抱きにした。

 ふわりと身体が浮き上がり、クラリスは驚いたように彼の胸元へ手を添える。

 けれど、力を入れることさえできず、そのまま身を預けた。


「申し訳……ありません……」


 かすれた声でそう呟くと、アシュレイはすぐに答えた。


「今は話さなくて結構です」


 その声はどこまでも優しかった。けれど、その奥には悔しさが滲んでいる。


「……やはり、無理にでも休んでいただくべきでした」


 そう呟きながら、アシュレイはクラリスを抱いたまま、馬車へ向かって歩き出した。

 遠のいていく意識の中で、クラリスが最後まで感じていたのは、自分を包み込むように支える腕の温もりだった。




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