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心を無くした伯爵令嬢は、新たな土地で本当の自分を取り戻す  作者: 陽ノ下 咲


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第十四話 白いマーガレット

 領地で迎える朝は、王都より少しだけ早い。

 朝日が昇り始める頃、クラリスはベッドから起きて、寝室の窓を開けた。

 ひんやりと澄んだ空気が頬を撫で、ゆっくりと息を吸い込む。

 朝の静けさが心地よく、自然と胸が弾む。

 クラリスは薄手の上着を羽織ると、別邸を出た。


 別邸のほど近くには、領民にも開放されている小さな庭園がある。

 朝の涼しいうちに歩きに行こうと思ったクラリスは、そちらへ足を向けた。

 朝露をまとった草花が朝日に照らされ、木々の間では小鳥のさえずりが聞こえる。

 ゆっくりと庭園を歩いていると、不意に聞き慣れた声が耳に届いた。


「クラリス様、おはようございます」


 驚いて振り向くと、そこには、同じように驚いた様子のアシュレイが立っていた。


「アシュレイ様、おはようございます」

「クラリス様も朝の散歩ですか?」

「はい。ここに来てから、朝の空気がとても好きになりまして」


 そう答えると、アシュレイは穏やかに微笑んだ。


「それは良いことですね。私も時間がある日は、こうして外を歩くことが多いんです」

「そうなのですか?」

「ええ。頭の中を整理するには、ちょうどいい時間ですから」


 その言葉に、クラリスは少し意外そうに目を瞬かせた。

 アシュレイといえば、朝から執務室で書類に向かっている姿ばかりを思い浮かべていたからだ。


「ご一緒しても?」


 アシュレイの問いかけに、クラリスは笑顔で頷いた。


「ええ、もちろんです」


 そして二人は並んで歩き始めた。

 急ぐわけでもなく、だからといって無理に会話を続けるわけでもない。

 ただ同じ景色を眺めながら歩くだけなのに、その静かな時間は不思議と心地よかった。


 庭園の奥の方には、小さな花壇がある。

 色とりどりの花々が咲き誇る中で、クラリスの足はふと止まった。

 視線の先で、風に揺れていたのは白いマーガレットだった。

 色鮮やかな花々の中で、ひときわ目立つわけではない。

 それでも、白い花びらが朝日に照らされる様子がなんだか可愛く思えて、気づけば目で追ってしまっていた。

 その様子に気づいたアシュレイが、小さく微笑んだ。


「気になりますか?」

「……ええ」


 クラリスはそっとしゃがみ込み、小さな花へ目を向ける。

 風に揺れる花びらを眺めていると、不思議と胸の奥まで穏やかな気持ちになっていった。


「マーガレットって、改めて見ると、とても可愛らしい花ですよね」

「ええ、そうですね」


 思ったままを口にすると、アシュレイも花へ視線を向ける。


「あまり豪華さはありませんが、素朴な愛らしさがありますよね」


 アシュレイがクラリスを見ながら、優しく微笑んで言った。

 クラリスは静かに頷く。


「はい。なんだか……花びらが可愛らしくて、見ているだけで優しい気持ちになってきます」


 同じ花を見つめ、自分が感じたことを言葉にする。

 そして、それをアシュレイも同じように感じてくれている。

 そんなことが、なぜだかクラリスには嬉しかった。

 しばらく花壇を眺めていると、アシュレイが穏やかな声で問いかける。


「クラリス様は、マーガレットがお好きなんですか?」


 思いがけない質問だった。


「え、私が……ですか?」

「ええ」


 クラリスは困ったように笑う。


「……これまで考えたことがありませんでした」


 小さい頃は、確かに花を見ることが好きだったと思う。

 けれど、ルシアンに否定されてからは、花を好きだと思うこと自体をやめてしまっていた。

 だから、好きなのかと聞かれても、何と返せば良いのか分からなかった。

 クラリスの戸惑った様子に気づいたアシュレイは、急かすことなく微笑んだ。


「すぐに答えを出す必要はありません」


 そう言うと、花壇へ視線を向けたまま続ける。


「今日は、他の誰かの為ではなく、ご自身が惹かれる花を探してみてはどうでしょうか」


 その言葉に、クラリスは思わず息を呑んだ。

 自分自身が惹かれる花。

 そんなふうに何かを選んだことが、これまで一度でもあっただろうか。

 じんわりと胸にあたたかなものが溢れる。


 改めて花壇を見渡した。

 鮮やかな赤い花も、美しい紫の花も、それぞれに違った魅力がある。

 けれど視線はもう一度、あの白いマーガレットへ戻っていた。

 見つめているだけで胸の奥が穏やかになり、自然と心が引き寄せられていく。

 そんなクラリスの様子を見て、アシュレイが小さく笑った。


「もう、はっきりしているようですね」

「え?」

「クラリス様、先ほどから、あのマーガレットばかりご覧になっていますよ」


 クラリスは言われて初めて、いつの間にかあのマーガレットへ心を奪われていたことに気づいた。

 そして、少し照れたように笑う。


「……そうみたいです」


 誰かに勧められたからでも、決められたからでもない。ただ、自分の心が自然と惹かれた。

 その小さな「好き」を見つけられたことが、今のクラリスには何よりも嬉しかった。

 そんなクラリスを、アシュレイは何も言わず見つめていた。

 



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