087話 お前が決めろ
「責務? そんな行動を縛るだけの利益にならない非効率な行いが、何だというのです!」
フェルディナントの叫びに《喜ばせ屋》は舌打ちをする。
フェルディナントは、いまだ肩を落とし、目も虚ろな様子だ。
しかし、剣を握るその腕には、確かな意思が宿っていた。
「計画の前倒しにはなってしまいますが、王太子殿下にはここで死んでいただきます。お二人の派閥が国を分かつ様子をこれからお楽しみください」
《喜ばせ屋》は怒りに顔を歪ませながら、戦斧をフェルディナントの首にあてがおうとする。
それを許すまいと、フェリシエルは魔法を行使して牽制しようとする。
だが、それよりも早く反応した者がいた。
「っ……スペルグ様……!」
スペルグが遠くから氷魔法で戦斧を床に縫い付けて、《喜ばせ屋》の動きを阻害していた。
《喜ばせ屋》は自身の膂力により氷を破壊するが、もう遅い。
フェリシエルの氷の弾丸が、物凄いスピードで《喜ばせ屋》の顔めがけて飛来する。
《喜ばせ屋》は戦斧の斧頭で顔を防御する。
それがいけなかった。
斧頭が目隠しの役割を果たすこととなり、接近する人影に気づけずにいた。
「しっ……!」
ノルンは《喜ばせ屋》に近づくと、体を低くし、掬い斬りを行う。
《喜ばせ屋》の足元から伸びてくる刃は、《喜ばせ屋》とフェルディナントの間を正確に通過する。
そして、フェルディナントを掴んでいる《喜ばせ屋》の右腕を、確実に切断しようとしていた。
《喜ばせ屋》は右腕を放し、体を大きく捻ってその一撃を躱す。
避けられることを想定していたノルンは、斬り上げた状態から手首を返し、《喜ばせ屋》に袈裟斬りを見舞った。
《喜ばせ屋》は戦斧の柄で防御すると、たたらを踏んで後退する。
「まずは《喜ばせ屋》を王太子殿下から大きく引きはがす!」
ノルンの声に呼応したように、フェリシエルとスペルグは動き出す。
フェリシエルは集中するようにその場で目を閉じ、スペルグはノルンを援護するため魔法の準備をする。
ノルンは《喜ばせ屋》をフェルディナントに近づけさせまいと激しく斬りかかる。
《喜ばせ屋》は冷静にノルンの斬撃を防御していく。
《喜ばせ屋》は攻撃と防御のリズムが単調になったタイミングを見計らい、回避を行うことでノルンの体勢を崩すことに成功する。
ノルンは無防備な首を晒すこととなり、《喜ばせ屋》はその首を斬り落とさんと戦斧を振り上げる。
満を持して振り下ろそうとした、その瞬間──。
スペルグが隙間を縫うように土の杭を発生させて、力が入る前の戦斧の柄を押さえる。
《喜ばせ屋》は舌打ちしながら後退するが、それを逃すスペルグではない。
《喜ばせ屋》の足元からいくつもの土の槍が発生する。
それを避けるために《喜ばせ屋》は何度も後退し、ノルンもそれを追いかける。
「足元ばかり注意していていいのか?」
ノルンは視線を上に向けながら、《喜ばせ屋》に問いかける。
その言葉に釣られるように、《喜ばせ屋》は天井を見上げる。
だが、視線の先には何もない。
「すまない。天井じゃなくて壁だった」
突如、壁から垂直に土の壁が発生し、《喜ばせ屋》の脇腹に強い衝撃を与える。
それは、ノルンが口から血を吐きながら生成した土の壁だった。
土の壁に吹き飛ばされて無防備になった《喜ばせ屋》に、ノルンは火の魔法を行使する。
いくつもの火の塊が《喜ばせ屋》に襲いかかるが、彼は戦斧を使ってその悉くを叩き落とす。
魔法を放つたびに、ノルンの口から流れる血の量は増えていく。
そして、最後の火の魔法を使ったかと思うと、それは乾いた音と同時に手元で輝きを失ったように消える。
「なんと、もう魔力切れですか。いささか残念です」
《喜ばせ屋》は構えを解くと、ノルンにゆっくりと近づこうとする。
それを見たノルンがにやりと笑う。
次の瞬間、《喜ばせ屋》の全身は巨大な熱の塊に包まれる。
「真空の壁を通した。炎は消えるが、熱放射だけはお前に届く」
《喜ばせ屋》は熱を逃すように地面をのたうち回る。
そして、ゆっくりと立ち上がると、殺意を込めた視線でノルンを睨みつける。
急激な熱変化でひび割れた眼鏡を投げ捨て、ノルンに近づこうとする。
その時、《喜ばせ屋》の熱を冷ますような冷たい声が響き渡る。
「『アイス・イレブン』」
フェリシエルの周囲に、無数の氷の弾が浮遊している。
フェリシエルが右手を前に突き出すと、それに呼応したように氷の弾丸が《喜ばせ屋》に襲いかかる。
「なめるなぁぁぁっ!!」
《喜ばせ屋》は氷の弾丸を次々と叩き落としていく。
氷の弾丸を受けながらも、《喜ばせ屋》は一歩ずつノルンたちに近づいていく。
「この程度の攻撃で、私が怯むと思っているのか!」
「人間の戦いにおいて重要なのは知性。その意見は私も賛成です。知性を固定化するあなたのやり方も有効です」
《喜ばせ屋》の怒りの咆哮を、フェリシエルは涼しい顔で受け流す。
その顔には先ほどまでのような不安な表情はなく、普段通りの余裕の笑みが浮かんでいる。
「なので、私も真似させてもらうことにしました」
ガンッ、という大きな音が響く。
《喜ばせ屋》の戦斧は大きく弾かれ、彼自身も体を仰け反らせる。
そして、無防備な体に、次々と氷の弾丸が撃ち込まれる。
《喜ばせ屋》はただの氷の弾を防いでいただけだ。
いずれも均一な攻撃だったため、均一な力で防御していた。
だが、突如巨大な岩の塊が紛れ込んだような衝撃を感じた。
「氷というのは条件次第で様々な性質を持ちます。通常の氷と比べて密度が高く、重量や硬度が数倍以上になるもの。特定の環境下でないと安定状態を維持できないもの。火にくべても溶けないもの」
《喜ばせ屋》は防御を諦め、回避に専念する。
すると、氷の弾が目の前で突如爆発する。
細かい氷の針が《喜ばせ屋》に突き刺さる。
「ですが、見た目上はすべて同じ氷です。──さて、この氷の弾ですが、それぞれどんな性質を持っているのでしょうか?」
《喜ばせ屋》は飛んでくる氷の弾を、疑心暗鬼に陥りながら対処していく。
回避をしたかと思えば、爆発する氷が行く手を遮り、防御したと思えば重い氷が襲いかかる。
《喜ばせ屋》はフェリシエルの猛攻により、徐々に傷を負い、疲労を蓄積させていく。
そして、氷の嵐がやむ。
《喜ばせ屋》はノルンたちから大きく離れた場所に立っていた。
息を切らせながらも、彼はノルンたちを睨みつけていた。
そんな彼に、ノルンはゆっくりとした足取りで近づく。
充血した目のまま、口元の血を拭うと、おもむろに口を開く。
「『世界檻』」
ノルンと《喜ばせ屋》を囲むように魔力の檻が形成される。
《喜ばせ屋》は手に持っていた戦斧を取り落とす。
巨大な重量を誇っていた戦斧は、豪快な音を立てて床に落下する。
「お前の膂力の正体は、ただの魔力だろ? 悪いが魔力は奪わせてもらった」
「……ああ、これがあなたの宿痕ですか。《呼び込み屋》から話は伺っていました」
ノルンの言葉を無視するように、《喜ばせ屋》は自分の手をじっと見つめる。
床に落ちた戦斧を拾おうとせず、彼は周囲をゆっくりと見回す。
ノルンは苦しそうに胸を押さえながら、《喜ばせ屋》に挑発的な笑みを向けている。
「なるほど、今まで体に感じたことのない痛みがあります。感覚を共有するというのは本当なんですね」
《喜ばせ屋》は胸を押さえながら冷静に状況を分析し、体をほぐすように動かしていく。
そして、傷のない左腕をさすり、ノルンを見据える。
「ですが、何も問題はありません。ただ痛い。それだけのことです」
そう言うと、両手の拳をゆっくりと前に構える。
ノルンは剣を持って、《喜ばせ屋》に近づいていく。
距離が縮まるにつれて痛みが強まっているはずだが、《喜ばせ屋》は痛みを感じていないかのように表情を変えない。
ノルンは走り出し、《喜ばせ屋》に斬りかかる。
《喜ばせ屋》はノルンの斬撃を紙一重で避け、牽制するようにジャブを浴びせてくる。
《喜ばせ屋》はノルンから距離を取り、フットワークをしながらノルンを見据える。
ノルンは再度《喜ばせ屋》を斬りつける。
今度はフェイントを織り交ぜながらの攻撃で、《喜ばせ屋》の攻撃を誘発し、カウンターを狙っていく。
カウンター自体は成功するが、結果は《喜ばせ屋》の太腿を浅く斬り裂くだけに終わる。
《喜ばせ屋》は、ノルンの攻撃に力が乗り切る前に、その剣を足で制し、大きく開いた懐に拳打を打ち込む。
ノルンは《喜ばせ屋》の顔に向けて突きを放つが、当然避けられる。
それを見越していたノルンは突きの構えから半歩横にずれ、そのまま斬り払いを行う。
《喜ばせ屋》はそのまま前に踏み込み、剣を持つノルンの手を握り、小手返しを行う。
ノルンは受け身を取るように床に転がり込む。
「力だけじゃなくて技術もあるのかよ。本当、嫌な奴だな」
「努力すれば誰でもこの程度はできます。世の中には努力しない人間が多すぎるのです」
ノルンは立ち上がりながら、《喜ばせ屋》に向かって愚痴をこぼす。
《喜ばせ屋》はフットワークをしながら、涼しい顔で受け流す。
「純粋な剣技だけで勝てればと思ったが、やめた」
ノルンは持っていた剣を《喜ばせ屋》に向かって投げつける。
《喜ばせ屋》はその不意の一撃を軽々と避ける。
ノルンは懐をまさぐり、一本のナイフを取り出す。
「ナイフですか? それならば剣のままのほうが勝算はあったのでは?」
「いや、こうするんだよ」
ノルンは右手を顔の前に掲げ、《喜ばせ屋》に手の甲を見せる。
そして、手の甲にナイフをあてがい、思い切り横に斬り裂く。
手の甲に赤い線が走り、やがて血が流れていく。
《喜ばせ屋》は呆れたようにその様子を見ていた。
「自分を傷つけるなど、あなたは馬鹿ですか? ……っ!」
「気づいたようだな?」
《喜ばせ屋》は右手の感覚を確かめるように動かし始める。
ノルンが使用したナイフは、元はスペルグが所有していたもの。
つまり、麻痺毒が塗られている。
今、ノルンの体には麻痺毒が駆け巡り、徐々に全身の感覚を奪っていく。
そして、毒が全身に回り、体の自由が利かなくなっていく様を、《喜ばせ屋》も追体験している。
「おまけだ」
ノルンは左太腿にナイフを突き立てる。
それと同時に、《喜ばせ屋》は体勢を崩し、膝から崩れ落ちていく。
それを見届けたノルンも、床に倒れ伏す。
そして、最後の力を振り絞るように、左手のナイフを《喜ばせ屋》に投げつけ、彼の肩口に傷をつける。
やがて、『世界檻』は役目を終えたように消えていく。
《喜ばせ屋》は麻痺した体で何とか立ち上がろうとする。
意識が朦朧とする中、ノルンは大声で呼びかける。
「スペルグ! お前が決めろ!」
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