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霧錆びのクローデル ~滅んだ辺境伯家の嫡男は、王立学園で王国を蝕む真実を暴く~  作者: 上止正
3章:価値の在処編

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087話 お前が決めろ

「責務? そんな行動を縛るだけの利益にならない非効率な行いが、何だというのです!」


 フェルディナントの叫びに《喜ばせ屋》は舌打ちをする。

 フェルディナントは、いまだ肩を落とし、目も虚ろな様子だ。

 しかし、剣を握るその腕には、確かな意思が宿っていた。


「計画の前倒しにはなってしまいますが、王太子殿下にはここで死んでいただきます。お二人の派閥が国を分かつ様子をこれからお楽しみください」


 《喜ばせ屋》は怒りに顔を歪ませながら、戦斧をフェルディナントの首にあてがおうとする。

 それを許すまいと、フェリシエルは魔法を行使して牽制しようとする。

 だが、それよりも早く反応した者がいた。


「っ……スペルグ様……!」


 スペルグが遠くから氷魔法で戦斧を床に縫い付けて、《喜ばせ屋》の動きを阻害していた。

 《喜ばせ屋》は自身の膂力により氷を破壊するが、もう遅い。

 フェリシエルの氷の弾丸が、物凄いスピードで《喜ばせ屋》の顔めがけて飛来する。

 《喜ばせ屋》は戦斧の斧頭で顔を防御する。

 それがいけなかった。

 斧頭が目隠しの役割を果たすこととなり、接近する人影に気づけずにいた。


「しっ……!」


 ノルンは《喜ばせ屋》に近づくと、体を低くし、掬い斬りを行う。

 《喜ばせ屋》の足元から伸びてくる刃は、《喜ばせ屋》とフェルディナントの間を正確に通過する。

 そして、フェルディナントを掴んでいる《喜ばせ屋》の右腕を、確実に切断しようとしていた。

 《喜ばせ屋》は右腕を放し、体を大きく捻ってその一撃を躱す。

 避けられることを想定していたノルンは、斬り上げた状態から手首を返し、《喜ばせ屋》に袈裟斬りを見舞った。

 《喜ばせ屋》は戦斧の柄で防御すると、たたらを踏んで後退する。


「まずは《喜ばせ屋》を王太子殿下から大きく引きはがす!」


 ノルンの声に呼応したように、フェリシエルとスペルグは動き出す。

 フェリシエルは集中するようにその場で目を閉じ、スペルグはノルンを援護するため魔法の準備をする。

 ノルンは《喜ばせ屋》をフェルディナントに近づけさせまいと激しく斬りかかる。

 《喜ばせ屋》は冷静にノルンの斬撃を防御していく。


 《喜ばせ屋》は攻撃と防御のリズムが単調になったタイミングを見計らい、回避を行うことでノルンの体勢を崩すことに成功する。

 ノルンは無防備な首を晒すこととなり、《喜ばせ屋》はその首を斬り落とさんと戦斧を振り上げる。

 満を持して振り下ろそうとした、その瞬間──。

 スペルグが隙間を縫うように土の杭を発生させて、力が入る前の戦斧の柄を押さえる。


 《喜ばせ屋》は舌打ちしながら後退するが、それを逃すスペルグではない。

 《喜ばせ屋》の足元からいくつもの土の槍が発生する。

 それを避けるために《喜ばせ屋》は何度も後退し、ノルンもそれを追いかける。


「足元ばかり注意していていいのか?」


 ノルンは視線を上に向けながら、《喜ばせ屋》に問いかける。

 その言葉に釣られるように、《喜ばせ屋》は天井を見上げる。

 だが、視線の先には何もない。


「すまない。天井じゃなくて壁だった」


 突如、壁から垂直に土の壁が発生し、《喜ばせ屋》の脇腹に強い衝撃を与える。

 それは、ノルンが口から血を吐きながら生成した土の壁だった。

 土の壁に吹き飛ばされて無防備になった《喜ばせ屋》に、ノルンは火の魔法を行使する。


 いくつもの火の塊が《喜ばせ屋》に襲いかかるが、彼は戦斧を使ってその悉くを叩き落とす。

 魔法を放つたびに、ノルンの口から流れる血の量は増えていく。

 そして、最後の火の魔法を使ったかと思うと、それは乾いた音と同時に手元で輝きを失ったように消える。


「なんと、もう魔力切れですか。いささか残念です」


 《喜ばせ屋》は構えを解くと、ノルンにゆっくりと近づこうとする。

 それを見たノルンがにやりと笑う。

 次の瞬間、《喜ばせ屋》の全身は巨大な熱の塊に包まれる。


「真空の壁を通した。炎は消えるが、熱放射だけはお前に届く」


 《喜ばせ屋》は熱を逃すように地面をのたうち回る。

 そして、ゆっくりと立ち上がると、殺意を込めた視線でノルンを睨みつける。

 急激な熱変化でひび割れた眼鏡を投げ捨て、ノルンに近づこうとする。

 その時、《喜ばせ屋》の熱を冷ますような冷たい声が響き渡る。


「『アイス・イレブン』」


 フェリシエルの周囲に、無数の氷の弾が浮遊している。

 フェリシエルが右手を前に突き出すと、それに呼応したように氷の弾丸が《喜ばせ屋》に襲いかかる。


「なめるなぁぁぁっ!!」


 《喜ばせ屋》は氷の弾丸を次々と叩き落としていく。

 氷の弾丸を受けながらも、《喜ばせ屋》は一歩ずつノルンたちに近づいていく。


「この程度の攻撃で、私が怯むと思っているのか!」


「人間の戦いにおいて重要なのは知性。その意見は私も賛成です。知性を固定化するあなたのやり方も有効です」


 《喜ばせ屋》の怒りの咆哮を、フェリシエルは涼しい顔で受け流す。

 その顔には先ほどまでのような不安な表情はなく、普段通りの余裕の笑みが浮かんでいる。


「なので、私も真似させてもらうことにしました」


 ガンッ、という大きな音が響く。

 《喜ばせ屋》の戦斧は大きく弾かれ、彼自身も体を仰け反らせる。

 そして、無防備な体に、次々と氷の弾丸が撃ち込まれる。


 《喜ばせ屋》はただの氷の弾を防いでいただけだ。

 いずれも均一な攻撃だったため、均一な力で防御していた。

 だが、突如巨大な岩の塊が紛れ込んだような衝撃を感じた。


「氷というのは条件次第で様々な性質を持ちます。通常の氷と比べて密度が高く、重量や硬度が数倍以上になるもの。特定の環境下でないと安定状態を維持できないもの。火にくべても溶けないもの」


 《喜ばせ屋》は防御を諦め、回避に専念する。

 すると、氷の弾が目の前で突如爆発する。

 細かい氷の針が《喜ばせ屋》に突き刺さる。


「ですが、見た目上はすべて同じ氷です。──さて、この氷の弾ですが、それぞれどんな性質を持っているのでしょうか?」


 《喜ばせ屋》は飛んでくる氷の弾を、疑心暗鬼に陥りながら対処していく。

 回避をしたかと思えば、爆発する氷が行く手を遮り、防御したと思えば重い氷が襲いかかる。

 《喜ばせ屋》はフェリシエルの猛攻により、徐々に傷を負い、疲労を蓄積させていく。


 そして、氷の嵐がやむ。

 《喜ばせ屋》はノルンたちから大きく離れた場所に立っていた。

 息を切らせながらも、彼はノルンたちを睨みつけていた。


 そんな彼に、ノルンはゆっくりとした足取りで近づく。

 充血した目のまま、口元の血を拭うと、おもむろに口を開く。


「『世界檻』」


 ノルンと《喜ばせ屋》を囲むように魔力の檻が形成される。

 《喜ばせ屋》は手に持っていた戦斧を取り落とす。

 巨大な重量を誇っていた戦斧は、豪快な音を立てて床に落下する。


「お前の膂力の正体は、ただの魔力だろ? 悪いが魔力は奪わせてもらった」


「……ああ、これがあなたの宿痕ですか。《呼び込み屋》から話は伺っていました」


 ノルンの言葉を無視するように、《喜ばせ屋》は自分の手をじっと見つめる。

 床に落ちた戦斧を拾おうとせず、彼は周囲をゆっくりと見回す。

 ノルンは苦しそうに胸を押さえながら、《喜ばせ屋》に挑発的な笑みを向けている。


「なるほど、今まで体に感じたことのない痛みがあります。感覚を共有するというのは本当なんですね」


 《喜ばせ屋》は胸を押さえながら冷静に状況を分析し、体をほぐすように動かしていく。

 そして、傷のない左腕をさすり、ノルンを見据える。


「ですが、何も問題はありません。ただ痛い。それだけのことです」


 そう言うと、両手の拳をゆっくりと前に構える。

 ノルンは剣を持って、《喜ばせ屋》に近づいていく。

 距離が縮まるにつれて痛みが強まっているはずだが、《喜ばせ屋》は痛みを感じていないかのように表情を変えない。


 ノルンは走り出し、《喜ばせ屋》に斬りかかる。

 《喜ばせ屋》はノルンの斬撃を紙一重で避け、牽制するようにジャブを浴びせてくる。

 《喜ばせ屋》はノルンから距離を取り、フットワークをしながらノルンを見据える。


 ノルンは再度《喜ばせ屋》を斬りつける。

 今度はフェイントを織り交ぜながらの攻撃で、《喜ばせ屋》の攻撃を誘発し、カウンターを狙っていく。

 カウンター自体は成功するが、結果は《喜ばせ屋》の太腿を浅く斬り裂くだけに終わる。


 《喜ばせ屋》は、ノルンの攻撃に力が乗り切る前に、その剣を足で制し、大きく開いた懐に拳打を打ち込む。

 ノルンは《喜ばせ屋》の顔に向けて突きを放つが、当然避けられる。

 それを見越していたノルンは突きの構えから半歩横にずれ、そのまま斬り払いを行う。

 《喜ばせ屋》はそのまま前に踏み込み、剣を持つノルンの手を握り、小手返しを行う。

 ノルンは受け身を取るように床に転がり込む。


「力だけじゃなくて技術もあるのかよ。本当、嫌な奴だな」


「努力すれば誰でもこの程度はできます。世の中には努力しない人間が多すぎるのです」


 ノルンは立ち上がりながら、《喜ばせ屋》に向かって愚痴をこぼす。

 《喜ばせ屋》はフットワークをしながら、涼しい顔で受け流す。


「純粋な剣技だけで勝てればと思ったが、やめた」


 ノルンは持っていた剣を《喜ばせ屋》に向かって投げつける。

 《喜ばせ屋》はその不意の一撃を軽々と避ける。

 ノルンは懐をまさぐり、一本のナイフを取り出す。


「ナイフですか? それならば剣のままのほうが勝算はあったのでは?」


「いや、こうするんだよ」


 ノルンは右手を顔の前に掲げ、《喜ばせ屋》に手の甲を見せる。

 そして、手の甲にナイフをあてがい、思い切り横に斬り裂く。

 手の甲に赤い線が走り、やがて血が流れていく。

 《喜ばせ屋》は呆れたようにその様子を見ていた。


「自分を傷つけるなど、あなたは馬鹿ですか? ……っ!」


「気づいたようだな?」


 《喜ばせ屋》は右手の感覚を確かめるように動かし始める。

 ノルンが使用したナイフは、元はスペルグが所有していたもの。

 つまり、麻痺毒が塗られている。

 今、ノルンの体には麻痺毒が駆け巡り、徐々に全身の感覚を奪っていく。

 そして、毒が全身に回り、体の自由が利かなくなっていく様を、《喜ばせ屋》も追体験している。


「おまけだ」


 ノルンは左太腿にナイフを突き立てる。

 それと同時に、《喜ばせ屋》は体勢を崩し、膝から崩れ落ちていく。

 それを見届けたノルンも、床に倒れ伏す。

 そして、最後の力を振り絞るように、左手のナイフを《喜ばせ屋》に投げつけ、彼の肩口に傷をつける。


 やがて、『世界檻』は役目を終えたように消えていく。

 《喜ばせ屋》は麻痺した体で何とか立ち上がろうとする。

 意識が朦朧とする中、ノルンは大声で呼びかける。


「スペルグ! お前が決めろ!」

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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