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霧錆びのクローデル ~滅んだ辺境伯家の嫡男は、王立学園で王国を蝕む真実を暴く~  作者: 上止正
3章:価値の在処編

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085話 ごめんね

 《喜ばせ屋》がルクレツィアに向かって戦斧を振り回す。

 軽々と振られた戦斧は、風を切る轟音と共にルクレツィアに襲いかかる。

 その猛攻を彼女はすべて紙一重で躱していく。


 ルクレツィアの宿痕は死の未来視。

 死の起点と終点を結んだ赤い線を、ルクレツィアはただ避けているだけだ。

 そして、隙を見ては《喜ばせ屋》の体を風の魔法で切り刻んでいく。

 《喜ばせ屋》は苛ついた表情でルクレツィアを睨みつける。


「室内なのに土とか破片がいっぱい」


「あなたのせいで清掃が大変です。金にならない無駄な時間が増えていくばかりです」


「そ。じゃあ、お掃除手伝ってあげる」


 ルクレツィアはそう言うと、風の魔法を使って床の破片や土を器用に集めていく。

 そして、それらを自分の手元に浮かせ、風を使って円盤状に高速回転させていく。

 風の円盤は徐々に回転の速度を上げて、キィィンという高音と共に帯電し始める。


「感謝の言葉はいらないよ?」


「本当に、私の天敵すぎて嫌になりますよ……」


 ルクレツィアは二つの風の円盤を両手に浮かせて、好戦的な笑みを浮かべる。

 一方、《喜ばせ屋》は彼女の手元の円盤を見て顔を引きつらせている。

 ルクレツィアは散歩でもするような足取りで、《喜ばせ屋》の懐に飛び込んでいく。


 《喜ばせ屋》は戦斧で防御を試みる。

 風の円盤とぶつかった戦斧は甲高い音を発しながら削れていき、熱を帯びて赤く輝き出す。

 戦斧が無惨に切り裂かれるのも時間の問題だと感じた《喜ばせ屋》は、ルクレツィアから距離を取ろうとする。

 しかしルクレツィアは踊るような仕草で詰め寄り、《喜ばせ屋》を逃がさない。


 見る見るうちに《喜ばせ屋》の傷は増えていく。

 しかし、いまだ致命的な傷を負わせるには至っていない。

 やがて、《喜ばせ屋》は戦斧を手放して壁代わりにすると、土の魔法で壁を生成する。

 壁の奥に隠れた《喜ばせ屋》を、ルクレツィアはむっとした表情で睨みつける。


「やっぱり多少は散らかってないと違和感あるね」


 ルクレツィアは二枚の円盤をV字状に傾け、互いの端を接触させる。

 すると、二つの円盤の中で高速回転していた破片同士がぶつかり合い、接触面から破片が散弾銃のように撃ち出され、土壁に次々と穴を開けていく。

 そして土壁に風の円盤を放り投げ、圧力を解放して爆散させる。

 破壊された土壁の向こう側には、腕で顔を守りながらも、傷だらけの《喜ばせ屋》がいた。


 《喜ばせ屋》は呼吸を荒くしながらも、足元の戦斧を拾い上げようとする。

 それを見たルクレツィアは、主導権を渡すまいと追撃を行おうとする。

 このまま、ルクレツィアが《喜ばせ屋》にとどめを刺し、決着がつくように思われた。

 だが、現実はそう甘くはない。


 突然、ルクレツィアは痛みを我慢するよう目を強く瞑る。

 その結果、彼女の動きは一瞬だけ鈍くなってしまう。

 その隙は見逃されることなく、《喜ばせ屋》に主導権を奪われてしまった。


 今、ルクレツィアは自身の宿痕の副作用に苛まれていた。

 これは長時間使用した際に発生するもので、普段は一本しか見えない線が、複数本に見えていた。

 視界が赤色の濃淡に染まり、集中力を低下させている。

 どれが本物の『死』か分からない状態で、ルクレツィアは《喜ばせ屋》の猛攻を凌いでいた。


「おや? 目にゴミでも入りましたか? 屋敷を散らかすからですよ」


「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ」


 軽口を叩き合うも、互いに警戒は緩めない。

 《喜ばせ屋》は眼鏡を押し上げると、何かを考え込む。

 そして、にやりと口角を上げると、ルクレツィアに親しげに話し始める。


「本当に大丈夫ですか? もちろんあなたのことではなく、あなたのお仲間のことです」


 その言葉に、ルクレツィアは反射的にノルンたちのほうに目を向ける。

 そこには信じられない光景があった。

 ノルンとスペルグはそれぞれ自分の剣を首元に押し当て、フェルディナントはフェリシエルの首を強く絞めていた。



 * * *



 ルクレツィアと《喜ばせ屋》の戦闘音を背景に、ノルンは脳内で自問自答を繰り返していた。

 父の影はどんどん濃くなり、ノルンを悩ませてくる。

 明確な答えを見出せず、ノルンは手元の剣に目を落とす。

 父はノルンにどんな言葉を投げかけてくれるのか。

 褒めるにせよ貶すにせよ、何らかの方向性を示してほしいと強く願っていた。


 ふと、隣に立っているスペルグに視線を移す。

 彼は足元に落ちている剣を拾い上げると、それを自分の首元に押し付けようとしていた。


「な、何をしているんだ!」


 ノルンは慌ててスペルグの腕を掴む。

 スペルグの腕は震えているが、それでもなお自身を傷つけようとしていた。

 ノルンの制止の声を聞き、スペルグは泣きそうな表情で応える。


「妹と婚約者、そして領民を傷つけてまで行った反乱に失敗したんだ。すまない、すまない……」


 スペルグのこれまでの行いが、彼自身に重くのしかかっていた。

 うわごとのように謝罪の言葉を述べ、剣に込める力を強める。


「この行いが彼女たちを守ることに繋がると信じていた。でも、結果は……。きっと彼女たちは俺を許さないだろう。それならいっそ……」


「まだ彼女たちは生きているだろ! 彼女たちの声を聞くまで早まった真似はするな!」


 スペルグの弱音を聞き、ノルンは説得を試みる。

 しかし、あまり目立った効果はなく、スペルグの力を緩めるには至らなかった。


「……そういうお前はどうなんだ?」


 スペルグはノルンに問いかける。

 ノルンの左腕はスペルグを死なせまいと、しっかりと彼の腕を握っていた。

 そして右腕は、自身の首元を切り裂かんと剣をあてがっていた。


「お、俺は違う! 父に、父に会いに行くんだ!」


 今、この剣を下に引くだけで、ノルンは父に会いに行ける。

 父に会って、自分の行いを評価してもらえる。

 ノルンはそう信じていた。

 そして、ゆっくりと剣を持つ手に力を込める。

 その時──。


「ノルン!」


 銀髪のエルフの少女がノルンに飛び込んでくる。

 そして、ノルンが持っている剣を握り締める。

 彼女の手から血が流れ、剣を伝って床にぽとりと落ちる。

 そんなことを気にもせず、彼女は心配そうな目でノルンを見つめている。


「やはりそうですか。承認欲求がほとんどないあなたの、わずかに残っていた承認先。やはり彼だったんですね」


 彼女の背後に戦斧を振りかぶる男が見える。

 そしてそのまま戦斧を振り下ろしていく。

 その光景がやけにゆっくりに見えた。

 銀髪の少女が一歩前に踏み出し、ノルンの胸を優しく押す。

 彼女の背中が戦斧に切り裂かれ、美しい銀髪がゆっくりと赤に染まっていく。

 ああ、そうだ、彼女の名前は──。


「レツィ!!」


「あなたは大変価値のある資産でしたが、もう除却しましょう。そこで廃棄の機会を待っていてください」


 《喜ばせ屋》はルクレツィアへと戦斧を突き立てる。

 コフッ、と彼女の口から血が溢れ出る。

 それを確認した《喜ばせ屋》は、ノルンたちから離れていき、王族二人の元へと向かっていく。


 ルクレツィアがノルンの胸に寄りかかるように倒れてくる。

 彼女の背中からは血が止めどなく流れ落ち、床に血の水たまりを作っていく。

 ノルンは震える手を押さえながら、ポーチからポーションを取り出し、ルクレツィアに振りかけていく。


「赤い線、見えてたのに飛び込んじゃった……」


「レツィ……喋らないで……血が、止まらない……」


 ルクレツィアはノルンに体を預けながら、柔らかな笑みを向ける。

 スペルグは目の前で起きた光景にショックを受け、剣を落として立ち尽くす。

 ノルンは泣きそうな声で応急手当を進めていく。


「もう……これくらいじゃ、私は死なないよ……まったく、ノルンにはまだまだ私の引率が必要だね……」


「……そうだね、まだまだレツィの助けが必要だよ」


 ノルンは笑いながら泣いていた。

 ルクレツィアはそんな彼の顔を見て、おかしそうに微笑んでいる。


「私ね……ノルンに謝らないといけないの。ヴァルトモルのときは怖がってて、力になれなかったよね? ネルのときもノルンを傷つけちゃったね? ここに来るときだってノルンに頼りっぱなし……」


「……違う」


「私、先輩なのにノルンの役に立ってないよね? ごめんね?」


「……違う、違う!」


 ルクレツィアはいつも重要な場面でノルンに救いの言葉を与えてくれた。

 それに何度助けられただろうか。

 思考が定まらないノルンは言葉を形にすることができず、駄々をこねる子供のように同じ言葉を繰り返す。


「どうしてもノルンの役に立ちたくて頑張ったんだけどね。それを敵に利用されちゃった……今回も足を引っ張っちゃったね……」


「違う! 僕は……俺は……!」


 ルクレツィアの後悔の言葉がノルンの胸を抉る。

 彼女は確かにノルンの役に立っていた。

 しかし、彼女にはそれでもなお足りていないようだった。


「ノルン? まだお父さんの影を追いかけてるの?」


「……え?」


「それは確かに大事な思い出。でも、もっと大事なものを貰ってるでしょ? ノルン、手紙には何て書いてあった?」


 ルクレツィアは微笑みながら、ノルンの胸を押さえる。

 ドクン、と思い出したかのように心臓が大きく脈打つ。

 ──そうだ、手紙には……。


「……俺は、シルヴァン・クローデルの自慢の息子。自信を持つにはそれだけで十分だ」


「なんだ、分かってるじゃない。もう答えは見つかってるね?」


 血液が体中を駆け巡り、余計な考えを洗い流してくれる。

 覚悟が漲る。

 決断を正しかったものにする覚悟が。

 ──やはり彼女は、大事な場面でいつもノルンを助けてくれる。

 ノルンの顔つきが変わったのを見て、ルクレツィアは安心したように微笑む。


「ノルン……多分だけどあいつ、武器を構えたまま魔法を使えないみたい。ノルンならこれだけで何とかできるよね?」


「……ああ、任せておけ!」

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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