083話 交わらない思想
《呼び込み屋》に刺された傷跡が、ちくりと痛む。
人を小馬鹿にしたような態度でからかい、背後からノルンを刺し貫いてきた神出鬼没の男。
ノルンに右腕を切り落とされ、怒りを露わにした男。
ノルンに対して憎悪を募らせ、復讐を誓った男。
その男の頭部が目の前に転がっている。
彼の虚ろな瞳は、ぼんやりとノルンを見つめている。
ノルンを罵った口は、何かを言いたげにぽっかりと開いている。
顔に貼りついた表情は、最期に何を思ったのか読み取ることはできない。
ノルンは血の気を失った白い顔で立ち尽くす。
そして、何か大事なものを奪われたように、《呼び込み屋》の顔を見ていた。
フェリシエルはショックを受けたように、《呼び込み屋》と《喜ばせ屋》を交互に見ている。
ルクレツィアは何を考えているのか、《喜ばせ屋》をじっと見つめている。
他の面々は目の前で起こっていることが理解できておらず、顔を青くして息を吞んでいる。
「おや? 喜んでいただけると思ったのですが……」
ノルンの様子を見ていた《喜ばせ屋》は、悲しそうな声で語りかける。
テーブルの上の《呼び込み屋》の髪を整えると、眉尻を下げてノルンを見つめてくる。
「《呼び込み屋》を、殺したのか……?」
ノルンの振り絞るような声が、部屋の中で小さく響いた。
その掠れた声は冷え切っており、確かな怒りを孕んでいた。
「ええ、もちろんでございます。《呼び込み屋》はノルン様を傷つけた宿敵とも言える存在。きっと喜んでいただけると思っていたのですが……」
《喜ばせ屋》は本気でノルンを喜ばせようとしていた。
だが、彼とノルンとでは、致命的な『何か』が食い違っている。
ノルンは吐き気を我慢しながら《喜ばせ屋》を睨みつける。
「……なぜ?」
「なぜというのは、プレゼントを贈った理由のことでしょうか? それとも、《呼び込み屋》を殺した理由のことでしょうか?」
《喜ばせ屋》は、本当に何も分かっていないかのように問い返す。
およそ同じ人間の思考回路とは思えない様子に、ノルンは大声で怒鳴りつける。
「なぜ《呼び込み屋》を殺した! お前の仲間じゃないのか!」
ノルンの言葉に《喜ばせ屋》はようやく合点がいったのか、ぽんと両手を合わせる。
そして、薄気味悪い笑顔を張り付けたまま、嬉々として語り始める。
「殺した理由は、重要な仕事に失敗したからです。元々ヴァルトモルは今回の反乱に投入する予定だったのですが、あんなところで消費してしまうなんて……」
《喜ばせ屋》は心底詰まらなさそうな表情で《呼び込み屋》の首を見る。
その目は、もう存在しない彼を軽蔑するような目だった。
「それに、殺したとしても、代わりに優秀な人材を補充すればいいだけの話です。両殿下ならお分かりになると思いますが……」
《喜ばせ屋》の言葉を聞いて、スペルグの手がぴくりと動く。
そんなことに気づかない《喜ばせ屋》は、王族なら自分の考えを理解しているはず、とフェルディナントとフェリシエルに視線を移す。
フェリシエルは口を開いて反論しようとするが、何か思うことがあったのか、その声は機会を失ったように引っ込んでしまう。
彼女の様子を見て、《喜ばせ屋》は満足したように頷く。
「やっぱり、《呼び込み屋》の死は喜ばしいことではないですか」
《呼び込み屋》につけられた傷が痛み、脈打つ。
《呼び込み屋》は確かにノルンにとって殺してやりたい仇敵であった。
だが、こんな結末を望んでいたわけではなかった。
《喜ばせ屋》は、ノルンの決意も、《呼び込み屋》の復讐心も、ただの資源として消費していった。
「……ふざけるなっ!」
──俺の物語を勝手に終わらせるな!
ノルンは怒りの表情で《喜ばせ屋》に飛びかかろうとする。
だが、それに待ったをかけた者がいる。
「ノルン」
ルクレツィアは小さな声で、しかしはっきりとノルンの名前を呼ぶ。
その手はしっかりとノルンの服の裾を掴んでいた。
「敵のペースに巻き込まれちゃダメ。冷静に物事を考えるのがノルンの持ち味」
ノルンは振り返り、ルクレツィアの顔を見る。
彼女は勝気な笑みを携えて、ノルンを見つめ返す。
──ああ、彼女はいつもそうだ。
大事な場面でいつもノルンを落ち着かせてくれる。
頼りになる相棒の顔を見つめ、ノルンは拳を握ったまま、大きく息を吐く。
「……エルメルダはどうした? 鍵はお前が管理していたはずだよな?」
スペルグは腕を震わせながら、低い声で質問する。
《喜ばせ屋》はスペルグに視線を移し、慇懃無礼な態度で彼の質問に答える。
「これはこれはスペルグ様。妹君でしたら、我々の計画のために場所を移っていただきました」
「……どこだ?」
「それはもちろん……内緒です。すぐにお分かりになることですので、お気になさいませぬよう」
《喜ばせ屋》は勿体ぶった間を作るが、エルメルダの居場所は教えなかった。
彼はわざとらしく片目を瞑り、スペルグに微笑みかける。
スペルグは舌打ちをしながら、眉間に皺を寄せて睨みつける。
(『我々の計画』ということは……)
《喜ばせ屋》の発言を聞いて、ノルンはフェリシエルに目配せをする。
フェリシエルも理解していたようで、小さく頷いた。
「クラックにとって、エルメルダさんは重要な人物のようですね」
「おっと、喋りすぎましたかね? あくまで小さな計画の予備要員程度の役回りですが、丁重に扱ってますのでご心配なく」
フェリシエルの問いかけは軽く受け流されてしまう。
ノルンたちにとって重要なのは、エルメルダの生死に関してだった。
だが、《喜ばせ屋》の言葉を信じるのであれば、エルメルダが生きている可能性は高くなった。
「どこに、いらっしゃるのでしょうか?」
「……」
フェリシエルの質問を《喜ばせ屋》は笑顔で躱す。
教えてもらえるとは思っていなかったが、笑顔の沈黙はノルンたちを苛立たせるのに十分な効果を持っていた。
「冒険者ギルドには何の目的で来た?」
「特に目的はないですよ。強いて言うなら、有望な方がいれば勧誘しようかと」
「嘘だな。お前が訪れてから冒険者の様子がおかしくなった」
これはノルンのはったりである。
確信があったわけではない。
だが、予想が外れても問題がない、聞くだけ得な質問だった。
「おや、ご存じでしたか。ちょっとばかし心を弄っただけですよ。冒険者の数が想定よりも多かったので」
ノルンの餌に食いついた《喜ばせ屋》は、困った顔をしながら語り出す。
それでも余裕ありげな表情で、ノルンたちに笑いかける。
「……やっぱりそうなんだ。弄ったのは名誉欲とか承認欲求?」
ルクレツィアからの指摘に、初めて《喜ばせ屋》の表情が変化する。
困ったような薄ら笑いは鳴りを潜め、無表情でじっとルクレツィアを見つめる。
「あなたから片付けなかったのは私の失態ですね……」
《喜ばせ屋》は全身から殺気を膨らませる。
ノルンたちは慌てて身構える。
だが、《喜ばせ屋》は殺気を抑えると、表情を笑顔に戻して口を開く。
「応接室で暴れるのはやめましょう。部屋の清掃は金にならない。清掃している時間と人員を別のところに充てたほうが有意義です」
《喜ばせ屋》は立ち上がると、応接室を歩き回る。
そして、ぴたりと止まると、足を揃えてノルンたちのほうに向き直る。
「いかにも、私の能力は他人の承認欲求を操ることです。ヴェルザーク侯のような人間は非常に御し易い」
《喜ばせ屋》はヴェルザーク侯の目をじっと見つめる。
ヴェルザーク侯はびくりと肩を揺らすと、焦りを見せたように目を泳がせる。
「今のヴェルザーク侯は私からの承認を求めている状態です。ですが、これまでのやり取りで私からの承認を得られないことは明白です。そういった場合──」
《喜ばせ屋》が指を鳴らす。
それを合図としたのか、ヴェルザーク侯は走り出し、壁に頭を何度も打ち付ける。
壁は見る見る間に血で染まっていく。
スペルグは慌ててヴェルザーク侯を押し倒し、羽交い絞めにする。
ノルンはポーチから睡眠用の薬を取り出し、ヴェルザーク侯の鼻に押し当てる。
やがて、ヴェルザーク侯は気絶するように眠りについた。
「絶望して自分を傷つける、承認先を攻撃する、といった行動を示します。ヴェルザーク侯は自己肯定感の低い方ですので、自分を傷つけることを選んだようです」
《喜ばせ屋》はいつの間にか玄関ホールに繋がる扉の前にいた。
ヴェルザーク侯に気を取られていたことが原因ではない。
《喜ばせ屋》の移動に、誰も気づけずにいた。
そして、ノルンたちに向かって挑発するように口を開き、扉を開ける。
「さて、皆様の承認欲求は何でしょう。楽しみですね」
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