077話 水銀騎士団《アマルガム》②
馬車を囲むようにアリアージュ騎士団は馬を走らせている。
アルジェンは背後に向けて矢を放つ。
しかし、『それ』は怯むことなく馬車を追い続ける。
ヴェルザーク侯は失陥領域に隣接する領地の視察に訪れていた。
そこは領地とは名ばかりで、統治する者がいない空白地帯だった。
人が移住可能か調査する必要があり、その白羽の矢が立ったのがヴェルザーク侯だった。
調査は順調に進み、人が住める領域と住めない領域の確認がある程度取れた。
あとは報告のために帰還するのみ、というタイミングで『それ』に出くわした。
「走れ! 走れ! 奥様と坊ちゃまだけは何としても守り通せ!」
闇夜に溶ける黒い鱗と、闇夜にあってなお輝く黄色い目。
森を覆い隠すほどの巨大な体躯と、一振りで木々を薙ぎ倒す長い尻尾。
岩を紙のように切り裂く鋭い爪と、全ての物を磨り潰す巨大な牙。
巨大な翼を広げて襲いかかる『それ』はドラゴンだった。
ドラゴンの討伐には千人規模の人員が必要になる。
しかし、今のヴェルザーク侯の手勢はアリアージュ騎士団数十人のみ。
決して勝てるような相手ではなかった。
一も二もなく撤退を行うが、ドラゴンは獲物を逃がさない。
今もなお執拗にヴェルザーク侯が乗っている馬車を追い回している。
やがて、木の根っこに車輪が引っ掛かり、馬車は激しく横転する。
騎士たちは馬車に駆け寄り、母子の無事を確認すると、ドラゴンから守るように馬車の前に立ち塞がる。
団長であるオールは先頭に立ち、仲間たちに背中を向けて語りかける。
ドラゴンは低いうなり声をあげてオールを威嚇する。
「お前ら、こんなところまで付き合ってくれて悪いな。泥にまみれて酒を飲み交わしたあの日々が懐かしいよ。……俺はどうしても妻と子を生かしたい。俺の我が儘に付き合ってくれるか?」
オールの言葉を聞いて、仲間たちが愉快そうに笑い出す。
「まったく、ひどい貧乏くじを引かされた。それに、団長の我が儘は今に始まったことじゃないだろ?」
「違いない。腐れ縁ってやつだ。生きる時も死ぬときも一緒さ」
「ヴェルザーク侯には恩義があるしな。あの時死んでいた俺たちだが、それがちょっと後ろにずれただけだ」
仲間たちの声を聞いて、オールはにやりと笑う。
先輩騎士たちの覚悟を聞いたアマルガムは、手をぎゅっと握り締める。
そして、眼前で様子を見ているドラゴンに向かって力強く咆哮する。
「我らは一人に非ず! 我らこそがアリアージュ騎士団! 一騎当千の古強者なり! その恩義は千年先も消えはしない!」
その声でキヴルが突撃する。
ドラゴンは虫を払うように片手を振るうが、彼は羽虫などではない。
彼こそはアリアージュ騎士団の誇る赤銅の騎士。
左腕を潰されながらも、その身をもってドラゴンの一振りを防いでみせる。
それと同時に、アルジェンがドラゴンの眼前に躍り出る。
ふわっと浮き上がったかと思うと、凄まじい剣捌きでドラゴンの片目を切り刻む。
ドラゴンは堪らず首を持ち上げる。
それを見たオールはドラゴンの左前足の腱に向かって己の刃を滑らせる。
片腕の支えを失ったドラゴンは、音を立てて横転する。
片手だけとなったキヴルだが、普段と変わらぬ剛剣をドラゴンの顔に叩き付ける。
ドラゴンの牙が折れて宙を舞う。
それを見て何人もの騎士たちがドラゴンに襲いかかる。
アマルガムもその中に混ざり、鱗で覆われていないドラゴンの腹に剣を突き立てる。
やがて、怒りを瞳に宿したドラゴンは、翼を羽ばたかせて騎士たちを吹き飛ばす。
そして、その場に踏ん張っているオールに向かって力任せに腕を叩きつけてくる。
刹那、キヴルがオールを突き飛ばし、致命の一撃をその身に受ける。
その一撃に一瞬だけ耐えるキヴルだが、あっけなくドラゴンの前足に押し潰される。
下半身がぐしゃぐしゃになったキヴルは息も絶え絶えの状態だが、オールに向かって笑いかける。
「団長……俺の意思を……あなたに託します」
そう言ってキヴルはナイフを自分の胸に突き立てる。
やがて、その傷口からは光を灯す魔石が現れる。
オールは口を固く結びながらその魔石を手に取ると、自分の胸に押し当てる。
魔石はオールの胸の中で溶けるように吸い込まれていった。
「……キヴル。お前の意思、確かに受け取った」
オールは静かにそう言うと、ドラゴンに向かって歩き出す。
ドラゴンはなおも前足を振り上げて押し潰そうとしてくる。
オールはその腕に合わせるように、自身の剣を叩きつける。
その剛剣はまさしくキヴルのものだった。
その姿を見て、騎士たちは覚悟を決めてドラゴンに突撃する。
騎士たちは次々と命を失っていく。
されど、その意志は誰かに受け継がれ、決して消えることはない。
アマルガムも何度も立ち向かっては吹き飛ばされていく。
ドラゴンの片目を奪い、喉を大きく切り裂く八面六臂の活躍を見せていたアルジェンだが、彼も暴れるドラゴンの尻尾の餌食になった。
右腕を押し潰され、爪により胸元を大きく抉られた彼は、ゆっくりと地面に倒れ伏す。
「団長、すまねぇ……俺もここまでみたいだ。俺の、意思を……」
口から血を流しながらオールに話しかける。
オールはそっと座り込み、アルジェンの左手を力強く握る。
「……アマルガムのやつ、相変わらずへっぴり腰だなぁ。もっと厳しく訓練してやらないと……」
アルジェンは横目でアマルガムを見つめている。
荷物持ちだった少年はいつしか青年になり、そして今、立派に戦っていた。
アルジェンは血を流しながらも、その口元には笑みが浮かんでいた。
「安心しろ。その思いも俺が必ず連れて行ってやる」
「……ありがとよ、団長。……あぁ、クソみてぇに楽しい人生だったよ……」
そう一言残し、アルジェンは永い眠りについた。
オールはアルジェンの目をそっと閉じると、胸元に輝く魔石を自身に取り込む。
騎士たちはもう片手で数えられるくらいになっていた。
それでも、誰一人として諦めずに強敵に立ち向かっている。
オールは怒りを胸に抱きながらも冷静にドラゴンに対峙する。
そして、隙を見て走り出し、ドラゴンの右前足の腱を断ち切る。
ドラゴンは堪らず顎から地面に倒れ伏す。
それを見たアマルガムはドラゴンに向かって駆け出し、残る片目を抉り取る。
視界をすべて奪われたドラゴンは狂ったように暴れ回り、騎士たちを蹂躙していく。
残された騎士はオールとアマルガムだけになった。
「団長、敵は視界を封じられ、移動の自由も効かない状態です。今なら撤退が可能です」
「……ああ」
アマルガムはオールに撤退の進言をする。
それを聞いたオールは悔しそうに頷くと、馬車の中で気絶している妻と子どもを見る。
そして、アマルガムに撤退の指示を出そうとするが、その目を大きく見開くことになる。
ドラゴンが口を大きく開いている。
その奥には火の塊が見える。
──これまで火が吹けることを隠していたのか!?
ドラゴンの口の直線上にはアマルガムと愛する家族がいた。
オールは無意識のうちにアマルガムを突き飛ばし、家族を守るように仁王立ちする。
ドラゴンは嘲笑うように存在しない目を細めると、口から火の奔流を噴き出す。
アマルガムは倒れ伏した体でその光景を見ていた。
火がオールの体を舐めるように包み込んでいく。
されど、その火は彼の愛する家族に届くことはない。
永遠のような、しかしその一瞬をアマルガムは見ていることしかできなかった。
やがて、火の奔流は溶けるように消えていく。
そこには黒く焦げた地面と全身に火傷を負ったオール、そして焦げ跡すらついていない馬車があった。
オールはゆっくりと地面に倒れ込む。
アマルガムは慌てて駆け寄り、地面にオールが打ちつけられる前に支える。
「……お前は、我々の中で誰よりも若く、誰よりも弱く、そして誰よりも諦めの悪い男だ」
端正な顔はもはや見る影もない。
肉の焦げる臭いが鼻につく。
しかし、その声はいつもと変わりなく、落ち着きのある低い声だった。
アマルガムは泣きながら団長の手を握る。
「赤銅のように粘り強く、白銀のように繊細で、黄金のように眩い……だから──」
死の間際でも彼は正しく団長だった。
心を落ち着かせ、勇気づけ、立ち上がらせてくれる。
アマルガムは涙を強引に拭い、オールの顔を見る。
「アマルガム……我らが意思をお前に託す」
そう言い残すと、オールの手から力が失われる。
それでもアマルガムは手を握り続ける。
彼の、彼らの思いを決して忘れないように。
そして、アマルガムはオールの胸元に輝く魔石を、自身に取り込む。
アマルガムは立ち上がり、ドラゴンに向き直る。
その目には力強い決意の光が宿っている。
アマルガムはゆっくりとドラゴンに向けて歩き始めると、思いをぶつけるように駆け出していく。
ドラゴンはそれに応えるように首を持ち上げて応戦する。
それからどれだけ時間が経ったのだろう。
ヴェルザーク侯が気絶から目を覚ます。
慌てて自身の腕の中にいる子どもの無事を確認すると、今置かれている状況を確認する。
すぐに横転している馬車の中に自分がいることを察し、彼女は馬車から顔を出す。
その光景を、彼女は生涯忘れることはないだろう。
執拗に自分たちを追いかけてきたドラゴンが倒れ伏し、その生命を終えている。
その傍らには、いつも騎士団のメンバーからからかわれていた青年が立っていた。
全身に火傷を負い、腕は千切れかけ、腹には大きな穴が開いている。
しかしその手には、赤銅の、白銀の、黄金の鎧のかけらがしっかりと握られていた。
青年はヴェルザーク侯に気づくと、優しく微笑みかける。
「奥様……坊ちゃま……ご安心ください。ヴェルザーク家は我らアリアージュ騎士団が、永劫守り続けますゆえ……」
そう言って、かつて半人前の少年だった騎士は、静かに息を引き取った。
ヴェルザーク侯はその青年をそっと抱き寄せる。
彼女の瞳には誓いの涙が流れていた。
彼らに誇れる歴史を作り、彼らの意思を途切れさせない。
そして彼はその後三百年に渡り、確かにヴェルザーク家を守り続けている。
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