076話 水銀騎士団《アマルガム》①
「ヴィクトル、少しの間だけ時間を稼いでくれる?」
「考えがあるんだろ? 任せろ」
ヴィクトルはそう言うと、迷わずアマルガムに向かって突き進む。
ネリネはそれを見送ると、その小さな体を花園の中に隠す。
アマルガムは左手を弓に変形させ、ヴィクトルの足元に矢を放つ。
矢は地面に驚異的な威力で突き刺さり、周囲に土埃を舞わせる。
ヴィクトルは一瞬、アマルガムの姿を見失ってしまう。
その隙が命取りとなった。
殺気も何も感じない。
気がつけば、アマルガムはヴィクトルの真横にいた。
そして、そうあるのが自然なように、ヴィクトルの腹に刃を滑らせる。
腹から血が噴き出し、ヴィクトルはたまらずしゃがみ込む。
そしてアマルガムは流れるような動作で、介錯人のように刃を振りかざす。
その一部始終を見ていたネリネは叫び出すのを必死に堪える。
ヴィクトルを信じながら、己の役割を全うしようと奔走する。
焦る気持ちを抑えながらも確実に仕事をこなしていく。
ヴィクトルはアマルガムから放たれる断頭台のような一撃を転がりながら躱す。
その際に背面に回り込み、アマルガムの膝裏を蹴り抜く。
アマルガムが体勢を崩したことを確認し、腹を押さえながら距離を取る。
その瞬間、ネリネが花園から飛び出してくる。
右手を使って腰に下げている小瓶の蓋──筆を抜き取り、アマルガムに振りかける。
紫色の染料が大きな水の塊となってアマルガムに飛散する。
「『紫の孤独』!」
紫の染料がアマルガムの体に纏わりつく。
アマルガムはそれを必死に払おうとするが、離れることはない。
次第にアマルガムの動きはぎこちなくなり、普段の精緻さを発揮できなくなる。
「紫色は冬の寒空の指の色。その水は、氷点下でも凍らない」
紫色の水は、零度を下回ってなお液体のままである。
そして、それは確実にアマルガムを蝕んでいた。
アマルガムの体から冷気が立ち上る。
アマルガムはネリネに向かって腕を伸ばす。
それは槍へと姿を変え、確実にネリネを突き殺そうとする。
しかし、ヴィクトルが間に割り込み、槍の軌道を剣で逸らす。
「金属は急激に冷やされると硬くなると同時に、脆くなる」
完全に逸らし切ることはできず、ヴィクトルの肩口に突き刺さるが、槍は半ばから簡単に折れてしまう。
ヴィクトルは痛みに耐えながらも不敵に笑う。
腹と肩から大量の血を吹き出しながらも、後方に跳躍し、ネリネの横に並び立つ。
「そして、その状態で急激に熱されると容易くひび割れる!」
ネリネは左手に持っていたものを前に掲げる。
それはバラの花束。
ネリネの宿痕は、その色が濃ければ濃いほど効果が高くなる。
ネリネは手に持った深紅のバラの花束をアマルガムに向け、大声で叫ぶ。
「『赤の衝動』!!」
* * *
「この戦争、負けかもな……」
白銀の鎧に身を包んだ男がぽつりと呟く。
美しかったであろうその鎧は所々が砕けており、往時の輝きを失っている。
白銀の鎧はいくつもの血の赤に彩られており、その持ち主である男も、血を流しすぎて鎧のように白い顔をしている。
「同盟国のヴァルトモル将軍もあの魔族にやられたらしい……」
「嫌われ者の渡り鳥。アリアージュ傭兵団もいよいよ解散か」
「ほんと、クソみてぇな人生だった。最後に見るのもお前らの汚ぇ顔とか、やっぱりクソみてぇな人生だよ」
赤銅の鎧に身を包んだ大柄な男も、白銀の鎧の男につられて呟く。
周りにいる仲間たちも次々と愚痴をこぼす。
彼らもひどい有様で、立ち上がる気力もないかのように地面に座り込んでいる。
周囲は血と汗の臭いが蔓延しており、明確な死の気配が辺りを支配している。
申し訳程度に巻かれた包帯は真っ赤に染まっており、もはや役目を放棄している。
「ちょっと皆さん、何弱気なこと言ってんですか! 俺たちアリアージュ傭兵団には見慣れた地獄じゃないですか!」
荷物持ちの少年が、大きな声で檄を飛ばす。
そんな少年も傷だらけだが、健気に両の足を地面に立たせ、倒れるまいと踏ん張っている。
痛みをこらえて平気なふりをしているのが丸分かりで、それが周りの人間からは痛々しかった。
「たまにはまともなこと言うじゃないか、アマルガム」
そんな少年の頭をぽんと叩きながら、黄金の鎧を身に纏った偉丈夫が話しかける。
端正な顔立ちで、鎧など着ていなければどこぞの国の貴族と間違われるだろう。
しかし、身に纏う気配と顔立ちは紛れもなく武人のそれで、彼を侮る者などこの場にはいなかった。
「オール団長!」
「アルジェン! 副団長が弱気なこと言ってんじゃねぇよ! キヴル! デカいガタイのくせに縮こまってんな!」
荷物持ちの少年──アマルガムは嬉しそうに見上げる。
オールと呼ばれた男はにっと笑いながら、アマルガムの目を見る。
そして、アルジェンと呼んだ白銀の鎧の男とキヴルと呼んだ大柄の男を叱り飛ばすと、地面に倒れ伏した仲間たちに目を配って不敵な笑みのまま語りかける。
「アマルガムの言う通り、こんなのは俺たちには見慣れた地獄だ。そして俺たちはその地獄から何度も生還してきた」
オールの声は大きくはなかった。
しかし、彼の落ち着きのある低い声は、不思議と聞いている者の胸に響く。
「つまり、いつも通りってことだ。いつも通り立ち上がって、いつも通り敵を蹴散らし、いつも通り酒を酌み交わすぞ!」
オールの檄を聞き、団員たちは顔を見合わせながら苦笑する。
やがて、面倒臭そうに立ち上がると、各々の得物を肩に担いでオールを見る。
そして、彼らはいつも通り団長の命令を待つ。
「俺たちの役割は撤退する王国軍の殿だ。ある程度時間を稼いだら戦場を離脱する。使い捨ての道具に黄金の価値があることを知らしめてやるぞ!」
オールは剣を前に掲げて団員たちに発破をかける。
見慣れた団長の姿と聞き慣れた団長の命令。
団員たちは苦笑しながら歩き出す。
ただ一人、アマルガムだけが嬉しそうに叫んでいた。
* * *
「団長、後どのくらい耐え続ければいいんです?」
「三十分だ。そこまで時間を稼げば王国軍は撤退できるだろう」
「目の前の魔物の数を見て、可能だと思いますか?」
副団長であるアルジェンは肩で息をしながらオールに話しかける。
彼らの目の前には数百体にも及ぶ魔物の群れが押し寄せてきている。
その様子は黒い津波のようで、心を折るには十分な光景だった。
「俺たちはそれを可能にするんだ。それに、ひよっこのアマルガムを見ろ。あいつはまだ諦めてないぞ?」
オールの目には弱々しくも健気な半人前の姿が映っている。
大きな荷物を抱えながら、迫りくる魔物を切り付けている。
腰に力が入っていないため、踏ん張りが効いていない。
上半身がぶれているため、剣に振り回されている。
だけど彼の眼はしっかりと眼前の敵を捉えていた。
恥か、怒りか、はたまた別の何かか。
アルジェンの胸に熱いものが沸き上がり、弓を引いてアマルガムを援護する。
その一撃をきっかけに、団員たちは次々と敵の前に踊り出る。
「我ら一騎当千のアリアージュ傭兵団! 迫りくる魔物など何するものぞ! 我らの鋼の意思を見せつけてやれ!」
団長の声に従い、団員たちは決死の覚悟で突き進む。
半人前の子どもに格好悪い姿は見せられない。
ここで死ぬかもしれないが、自身の意地と誇りがそれを許さない。
全員が覚悟を決めたその時──。
「アリアージュ傭兵団の諸君。援軍は必要かな?」
一頭の白馬が戦場に舞い降りた。
その馬の上には槍を構えた妙齢の女性。
「ヴェルザーク伯……」
若くしてヴェルザーク家を継いだ智勇兼備の才媛。
その彼女が今、戦場に降り立っている。
「な、なぜ……」
「君たちのような優秀な戦士たち。それを戦場で見捨てる理由を探すほうが難しい」
ヴェルザーク伯は不敵な笑みを浮かべてオールに話しかける。
アリアージュ傭兵団の背後からは地鳴りのような音が聞こえる。
ヴェルザーク伯の私兵が、命令違反を省みずに共に戦うため戦場に駆け付けてきたのだ。
「さあ、アリアージュ傭兵団の諸君! 共に地獄を生き残ろう!」
金色の髪を靡かせて、一人の戦乙女がアリアージュ傭兵団に手を差し出した。
* * *
「あの戦争から三年。月日が経つのは早いもんだな」
「ですね……」
アルジェンは空に流れる雲を眺めながらぽつりと呟く。
横に並ぶアマルガムも同じように空を見上げる。
「しかし、団長もうまいことやったよな。ヴェルザーク伯……おっと今は侯爵か。ヴェルザーク侯と結婚するなんてな」
「しかも子供まで作って……」
「尻に敷かれてるのは想像通りで笑えるけどな」
あの日、アリアージュ傭兵団を救い出したヴェルザークは、そのままの勢いで迫りくる魔物を殲滅した。
命令違反を差し引いても余りある貢献をしたことにより、彼女は伯爵から侯爵に陞爵された。
そんな彼女でも恋には抗えなかったのか、オールに一目惚れし、とんとん拍子で結婚、そして子供まで授かっている。
「でも、まさか騎士になれるなんて思ってもいませんでしたよ」
「俺もだ。あの日、死んでいたであろう俺たちを救い出してくれたヴェルザーク侯には、返しきれない恩義があるな」
「団長は勝手に生き残るでしょうが、奥様と坊ちゃまだけは何としてもお守りしたいですね」
アリアージュ傭兵団は、今やヴェルザーク領で騎士団として認められている。
空を眺めているアルジェンとアマルガムは騎士としての訓練の最中だった。
「でもいいよなぁ、俺も団長やアルジェンさんみたいに黄金の騎士とか白銀の騎士って呼ばれてぇよ」
「お前は鎧だけは立派なくせに、訓練ですぐにボコされて水たまりみたいに地面に這いつくばってるからな。水銀の騎士って呼んでやるよ」
「なんだよそれ……」
アルジェンにからかわれたアマルガムは、不貞腐れたように唸る。
オールやアルジェンは顔が整っており、領内の若い女性から人気である。
そのため、二つ名をつけて親しまれており、アマルガムはそれが羨ましかった。
「おーい、お前ら。また訓練サボってんのか」
遠くから野太い声が聞こえてくる。
赤銅の騎士と名高いキヴルが、大柄な体を揺らしながら近づいてくる。
アマルガムとアルジェンは顔を見合わせながら苦笑する。
「ま、ともあれ、ヴェルザーク侯と生まれたばかりの坊ちゃまの助けになるためにも、訓練を再開するぞ」
「うーす」
そう言って二人は互いに向き直り、剣を構えて訓練を再開した。
これは、彼らが非業の死を遂げる、ちょうど半年前の出来事である。
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