074話 弱者の刃
「すまないが、事が終わるまで眠っていてもらう」
(殺すことが目的ではないか……)
スペルグの話を聞き、ノルンはその意図を考える。
これまでの話から、彼は捕縛することにこだわっていた。
殺す理由がないのか、はたまた殺したくないのか。
ノルンはそれをこの戦いの中で確かめようと考えていた。
「ただ、俺は弱いからな……加減はできない」
そう言うとスペルグは土魔法を展開し、ノルンの足場から土の槍を発生させる。
ノルンは、石畳を突き破って迫りくる槍を回避しながら、スペルグに向かって走り出す。
しかし、加速する前に、前方に巨大な土壁を作られ、回り道を余儀なくされる。
「お前が剣術を得意としていることは知っている。そうやすやすと間合いに入れると思ったか?」
スペルグの魔法の連続行使の影響を受けて、ノルンの胸に強い痛みが走る。
スペルグの魔力に反応して呪いが「解放しろ」と暴れ出しているからだ。
ノルンは胸を強く叩き、ポーチから痛み止めを取り出すと、それを一気に飲み込む。
「なるほど、魔力が充満している環境だと何らかの痛みを発するのか。思えば魔力測定の時も辛そうにしていたな」
「……こんな下々の人間のことにまで目を配っていてくれたなんて、感謝に堪えないよ」
「この世界は王族と貴族だけで回っているわけではない。むしろ平民が大多数を占めているのだ」
スペルグの観察眼に驚きながらも、ノルンは軽口を叩く。
スペルグには一向に近づけない。
ノルンはどうにかして打開策を探る。
「それに、貴族学園に入学してくるような平民を注意深く観察するのは当然だろう?」
ノルンの走る先々で土の壁が出現する。
今や周囲は簡単な迷路のようになっている。
だが、それを好機と見たノルンは気配を隠し、スペルグの隙を伺う。
ノルンの足元の石畳はとうに役目を失い、剥き出しの土がノルンの足を汚している。
「どこに隠れているかは分からんが……」
そのスペルグの一言と共に、ノルンは自身の影の色と形が変化したのを感じた。
全体的に暗くなったかと思えば、ところどころで光が揺らめいている。
ノルンは慌てて空を見上げる。
そこには巨大な水球が鎮座していた。
「こうすれば関係はあるまい?」
水球が支えを失ったかのように落下してくる。
ノルンは落下してきた水塊の質量に押し潰され、地面に這いつくばった後、水の浮力と水流により上下左右の感覚を喪失させられる。
しばらくして、ノルンは咳き込みながら肺に入った水を吐き出し、肩で息をしながら立ち上がる。
足元は泥水で満たされ、その水位はノルンの足首まで達している。
「王女殿下の真似事で大変恐縮だが……」
スペルグはそう呟くと、再度魔法を発動する。
季節が冬に変わったかのように、周囲が急に冷え込んでくる。
かと思えば、足元の泥水が徐々に凍り付いていく。
ノルンは慌てて足を引き抜こうとするが、泥の粘りがそれを阻む。
結局、足元の泥水はすべて凍り付き、ノルンをその場で縫い留めることに成功する。
スペルグがゆっくりとノルンに近づいてくる。
ノルンは抜け出そうと必死にもがくが、泥水の氷は通常の氷とは比較にならないほど固く、簡単に壊せる代物ではない。
「弱者の刃だ。許せ」
スペルグはノルンの目の前に立つと、腰に差したナイフでノルンの左手の皮膚を撫でる。
一本の細い赤線が走ったかと思うと、ノルンは徐々に体の感覚を失っていく。
──麻痺毒か!
その考えに至った後、ノルンは足元を縫い留められたまま、力なくその場に座り込んだ。
* * *
「ヴィクトル、昔みたいな顔してる」
「む……すまない……」
横に立つネリネに窘められたヴィクトルは、顔を触りながら表情を戻す。
ヴィクトルに蹴り飛ばされたアマルガムは、さほどダメージを受けた様子もなく、平然と立ち上がる。
「さっき蹴ったときの感触だが、中身が金属みたいだった。おそらくあいつは人間じゃない……魔物だ」
「魔物が人間に味方することなんてあるの?」
「そういった事例はいくつか聞いたことがある」
ヴィクトルの所感を聞いて、ネリネが驚きの声を上げる。
人間に味方する魔物──王国の禁書庫に座するライブラリアンがその例に当てはまる。
ヴィクトルは困ったように相手の出方を伺う。
(あの魔物、よほど強い思いで自分を縛っているのだろうな……)
ヴィクトルは目の前のアマルガムを静かに見つめる。
すると、アマルガムは左手を前に突き出し、それに合わせる形で右手も突き出す。
そして、半身になると、左手が弓のように変形する。
右手でその弓を引き絞り、手を離すと、何本もの金属の矢がヴィクトルに向けて飛来する。
(こいつ……弓も使えるのか!?)
ヴィクトルは剣でその矢を叩き落とすが、その隙をついてアマルガムが肉薄してくる。
すぐに切りかかってくるものと予測したヴィクトルは、返す刀で迎え撃つ。
しかし、アマルガムはあえて一拍置いた後に、足に向かって横薙ぎを繰り出してくる。
この一拍がヴィクトルの隙を作り出すことになり、彼は右足に斬撃を喰らうことになる。
「ネリネ! こいつの注意を逸らすようなサポートを頼む!」
「了解!」
アマルガムは影のようにヴィクトルの周囲を動き回りながら攻め立てる。
ヴィクトルは必然的に怪我をしている足を動かさざるを得なくなり、防戦一方となる。
(こいつは、『分かっている者』の動きだ!)
ヴィクトルが攻めあぐねていると、緑色の何かがアマルガムに巻き付く。
それは、ネリネが背後から放り投げた蔦だった。
しかし、所詮はただの蔦。
アマルガムは力任せにそれを引きちぎろうとする。
その瞬間──。
「『緑の諦念』」
アマルガムに巻き付いた蔦は途端に腐敗し、どろどろに溶けていく。
そしてそれは、アマルガム本人にも伝わったようで、苦しそうに蔦が巻き付いていた場所を押さえている。
それを好機と見たヴィクトルは、一気に詰め寄り、攻勢に転じる。
両者一歩も譲らない剣戟に、ネリネは思わず見惚れてしまうが、首を大きく横に振って思考を加速させる。
(ぼーっとするな! 私ができることを! ヴィクトルは有利な状況を作ることを考えているって言っていた。それなら、私が彼にとって有利な状況を作り出すんだ!)
ネリネは周囲を見回しながら状況を整理していく。
ヴィクトルの言葉、ルクレツィアの言葉、そしてノルンの言葉を思い出す。
敵、地形、環境を見ながら作戦を考え、勝機を伺う。
今もなお、ヴィクトルとアマルガムの打ち合いは続いている。
小技で牽制を続けていたヴィクトルは、やがて相手の隙を作り出すと、大技を叩き込もうと強く踏み込んだ。
アマルガムはそれを見越していたのか、同じように大技を叩き込んでいく。
両者の剣が音を立てて激しくぶつかる。
その軍配は、カウンターを狙っていたアマルガムに上がることとなる。
アマルガムの剛剣を受けたヴィクトルは後ろにたたらを踏み、体勢を崩す。
それを見逃すアマルガムではなく、左手で鋭い突きをヴィクトルの顔に見舞ってくる。
ヴィクトルは間一髪でその突きを剣で受け止める。
反撃に転じようと前を向いたヴィクトルだが、目の前にアマルガムの姿はなかった。
突きを繰り出した左手があるのに、その本人が目の前にいない。
ヴィクトルは慌てて視線を下に向ける。
そこには低い姿勢のまま、左手を起点に、右手を弓のように引き絞ったアマルガムの姿があった。
──まずい!!
ヴィクトルは咄嗟に首を捻る。
その瞬間、狙いを逸らされた矢が天へ向かって放たれる。
ヴィクトルは頬を浅く裂かれながら、体を捻って避ける回転運動を使い、アマルガムの左手を巻き込んで引きずり倒す。
そして自身は転がりながらアマルガムから距離を取る。
その瞬間、ノルンたちの戦っている場所から大量の水が流れ出し、ヴィクトルとアマルガムたちの周囲も濡らしていく。
(まるで、何人もの異なる相手と戦っているみたいだ……こいつの正体は一体何だ?)
ヴィクトルは頬の傷に手を当て、激しく息をしながら考える。
物凄い力強さの剛剣を使ってきたと思ったら、素早い動きで舐めるように切り付けてくる。
そうかと思えば弓矢などの飛び道具を使ってきて、牽制してくる。
額の汗を乱暴に拭い、ヴィクトルはアマルガムを睨みつける。
「ヴィクトル、気付いたことはある?」
「……最初に言ったことと変わらない。強いて言うなら、金属のように体を変えて戦ってくる」
ネリネがヴィクトルのもとに駆け寄ってきて、語りかけてくる。
ヴィクトルはアマルガムから目を離さず、ネリネの問いに答える。
それを聞いたネリネは、真剣な表情でヴィクトルに提案する。
「もし、本当に金属の性質を持つのなら、試してみたいことがある」
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