073話 庭園での戦い
遠くから地響きが聞こえてくる。
地震だろうかとノルンは足元を見ようとしたが、それより先にヴィクトルが遠くを指差す。
その方向に目を向けると、巨大な火の塊が空に向かって打ち上げられていた。
遅れて、ノルンの胸の奥に何かが触れたようなかすかな痛みを感じた。
ルクレツィアは長い耳をピクピクと動かし、何かを見つけ出そうとしている。
小さく暴れる馬の首を、ネリネがよしよしと優しく撫でる。
「始まったみたいだな」
「うん。魔力の波がこっちまで届いた」
ヴィクトルとルクレツィアが何かを察したように頷き合っている。
ノルンもなんとなく状況を察し、ヴィクトルに問いかける。
「火蓋が切られた、みたいな感じですか?」
「実際に切られたのは、川の堰のようだがな」
「まあ、フェリシエルなら大丈夫でしょう」
実際に戦火が開かれたため、四人に緊張が走る。
ネリネはどうすればいいか分からず、ノルンの目を見つめる。
ノルンは深呼吸をすると、決心したような目つきで三人を見る。
「さて、ここからが本番です。荷馬車はここに置いていきます。最低限の荷物を持って、このまま一気にヴェルザーク家に潜入し、囚われの姫を救出しましょう」
「……お馬さんも置いてくんですか?」
ネリネが不安そうにノルンに問いかける。
ネリネに撫でられている馬も、寂しそうに嘶く。
ノルンは馬を置いていくつもりだったが、ネリネの悲しそうな顔を見て気持ちを変えた。
「作戦が成功して、余裕ができたら一緒に連れて帰ろうか」
ネリネはほっとした様子で胸を押さえ、馬の鼻を触り始める。
場違いな質問ではあるが、おかげで四人の力がいい具合に抜けた。
よし、と気合を入れて、ヴェルザーク家がある方向を向く。
「それでは、作戦を開始します」
* * *
ヴェルザーク家に向かう道中、敵兵らしき姿は見当たらなかった。
そのため、特に障害らしい障害もなく、ノルンたちにはすでに屋敷が見える距離まで近づいている。
ヴェルザーク家の屋敷は戦時下にあっても美しく、庭園には季節を問わない様々な花が咲き乱れていた。
ノルンたちは身を屈めながら、慎重に庭園へと足を踏み入れる。
石畳でできた庭園から聞こえるのは噴水の流れる音。
蝶が花の蜜を吸いに音もなく飛び回り、小さな虫を食べていた鳥が花園から飛び出てくる。
その瞬間、周囲に小さな風の渦が出来上がり、花の香りをまき散らす。
ノルンたちは濃厚な花の香りに包まれながら、ゆっくりと進み続ける。
すると──。
「──やはり、屋敷に侵入してくる輩がいるか。業腹だがあの家令の話を聞いておいてよかった」
どこからか声が聞こえてくる。
ノルンは声の出所を慎重に探る。
すると、ルクレツィアがノルンの服の裾をちょいちょいと引っ張り、指を差す。
指を差した方向は屋敷の二階で、そこにいたのは──。
「やあ、スペルグ殿。ご機嫌麗しゅう」
隠れるのが無駄だと思ったノルンは立ち上がり、パイライトのリーダー──スペルグに向かって挨拶する。
ノルンの不敵な笑顔を見て、スペルグは舌打ちをする。
「ご機嫌麗しく見えるなら、相当の節穴だな。帰って頭と目の治療を受けてくるといい」
皮肉で返されてしまったため、ノルンは困ったように笑いながらスペルグを見る。
スペルグは目を細めながらノルンを睨みつける。
「その顔、見覚えがあるぞ。実地研修で王女殿下と一緒にいた魔力ゼロの平民だな。ここにいるということは、お前は王女殿下の一派か?」
「……」
スペルグは二階から飛び降りると、音もなく着地する。
そして、ゆっくりと歩きながらノルンに語りかけてくる。
腰には剣を佩き、左手には杖を持っている。
マントをはためかせながら歩く姿には覚悟が滲んでいた。
「さて、何用でここに来た?」
「……囚われのお姫様がここにいるって聞いてね」
スペルグは無表情で杖をノルンに向けて質問する。
想像以上の威圧感に、ノルンは唾を飲み込みながら答える。
「ああ、囚われの姫──我が妹エルメルダは確かにここにいる。だが、貴様らに易々と渡してなるものか」
「……では、どうすれば渡していただけますか?」
「こういう場面で言うことは決まっているだろう? ──俺たちを倒してから考えろ」
スペルグはそう言うと、持っていた杖をカツンと地面に突き立てる。
その音を合図に、大勢の男たちが屋敷からぞろぞろと出てくる。
その男たちは首元に何か光るものをぶら下げていた。
「……冒険者?」
(家令がギルドを歩き回っていた理由は、これか……?)
男たちはにやにや笑いながらノルンたちを見ている。
何人かはルクレツィアやネリネを好色そうに見ており、その嫌悪感に二人は鳥肌が立つ。
彼らの首には、鉄、銀、金と様々な素材で作られたプレートが揺れている。
「よう、坊ちゃん。こいつら倒したらヴェルザーク家の騎士に取り立ててくれるって本当かよ?」
「倒したらではない。家を守り抜いたらだ。そこを間違えるな」
スペルグがそう訂正するが、冒険者は興味がないのか耳に指を突っ込んで掻いている。
スペルグは疲れた顔をすると、冒険者たちに命令する。
「敵は四名。可能なら捕縛しろ」
「あいよ!」
その号令と共に、冒険者たちが駆け出す。
ノルンは迎撃の構えを取るが、それより先にルクレツィアが前に出る。
表情は窺えないが、後ろ姿だけでも怒っているのが分かる。
「ノルン、この雑魚たちの相手は私がする。多人数相手なら私の得意領域」
「レツィ、分かったよ。お願い」
ルクレツィアの私怨たっぷりの言葉に、思わず苦笑する。
ノルンの言葉を皮切りに、ルクレツィアが冒険者の集団に突撃する。
彼らは戦いやすい場所に移動するように庭園を離れていった。
「悪いが手札はこれだけじゃない」
スペルグはため息をつきながら彼らを見送ると、改めてノルンに目を向ける。
そして、胸に手を置いて目を瞑ったかと思うと、その場にしゃがみ込み地面に触れる。
「出てこい。水銀騎士団 《アマルガム》」
その瞬間、時が止まったようにすべての音が消える。
噴水の流れる音も、風の吹く音も、音という現象を忘れたように静かな世界が広がる。
やがて、スペルグの足元に何か金属のようなものが液体のように集まってくる。
そしてそれはゆっくりと人型を取り始め、一人の騎士の姿になった。
「アマルガム。苦労をかけるね。また、私たちのわがままを聞いてくれるかい?」
「……」
スペルグはその金属の騎士に労わるように優しく語りかける。
それはまるで、家族のように大事な人に対する扱いだった。
アマルガムと呼ばれた騎士は片膝をついたまま小さく頷く。
そして立ち上がると、主を守らんとゆっくりとした足取りでノルンたちに近づいてくる。
──瞬間、アマルガムの姿が消える。
何が起こったか分からないノルンは呆然と前を見ていた。
だが、すごい勢いで後ろに突き飛ばされる。
何とか体勢を立て直したノルンが見たものは、剣を抜いたヴィクトルと、アマルガムの鍔迫り合いの様子だった。
「ノルン! 離れていろ! ……こいつは格が違う」
あのヴィクトルが額に汗を流しながら剣を受け止めている。
アマルガムは鍔迫り合いのまま刃を滑らせるようにして、踊り子のような動きでヴィクトルの側面を切りつける。
ヴィクトルもそれを見切っていたのか、不利な体勢で受け止める。
対するアマルガムは踊り子のような動きから獅子のような動きに変貌し、飛び上がって剣をヴィクトルに叩きつける。
それを受け止めたヴィクトルだが、足元の石畳が大きく砕けていることから、相当の力がかかっていることが分かる。
そして力を込めていたかと思うと、ふっと力を緩め、暗殺者のようにヴィクトルの胸元に入り込み、首を掻き切ろうとしてくる。
ヴィクトルはそれを間一髪で避け、アマルガムの胸に蹴りを一発お見舞いして距離を取る。
ノルンはこの一連の攻防に驚いていた。
ヴィクトルではなく、アマルガムに対してだ。
アマルガムは超生物的な速さや力ではなく、純粋な技としてヴィクトルと渡り合っている。
アマルガムは、再度ヴィクトルに攻撃を仕掛けようと突撃の構えをする。
足に力を籠め、今にも襲い掛かろうとした瞬間、アマルガムの目の前に赤い花びらが舞い散る。
ゆっくり、ゆっくりと花びらが視界を覆う。
──その時。
「『赤の衝動』」
目の前の赤い花びらは、オレンジ色の火に変わった。
アマルガムは混乱したようにその火を払おうとする。
しかし、次に発せられた言葉がその行動を無に帰した。
「『橙の慟哭』」
目の前の火は、突如爆発を起こし、アマルガムを怯ませる。
ヴィクトルの背後では、緊張と興奮が入り混じった様子のネリネがいる。
彼女は息を切らせて手を前に突き出している。
「ヴィクトル、私もいるよ!」
その言葉に、ヴィクトルは口角を上げる。
それを見て、ネリネは決意を込めた眼差しで笑みを作る。
それから、ヴィクトルはノルンに向かって叫ぶ。
「ノルン! ここは俺たちに任せろ! お前はスペルグの相手だ!」
ノルンはヴィクトルの声に背中を押されるように、スペルグに向かって駆け出す。
それを横目で確認しながら、ヴィクトルはアマルガムと相対する。
ヴィクトルは、ノルンたちにも見せたことのない笑顔でアマルガムに話しかける。
「さて、アマルガムと言ったか? 二対一の不作法は許せ。これより先は仕合に非ず。互いに磨き上げた技で存分に殺し合おう」
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