069話 伏兵
翌日、ノルンたちは宿場町を後にし、ヴェルザーク領へ続く街道を進んでいた。
すれ違う馬車はほとんどなく、遠くに見える山から吹き下ろす風が、草原を優しく撫でる。
戦時中とは思えないほど穏やかな様子に、気が抜けてしまいそうだった。
「まもなく例の橋ですね」
ノルンは地図を片手に三人へ声をかける。
その言葉に、ルクレツィアとヴィクトルは目を細め、警戒を強める。
ネリネも緊張感が高まったのか、手をぎゅっと握りしめる。
「ノルン、左手にある丘、ちょっと見てくる」
「了解。レツィなら大丈夫だと思うけど、何かあったらすぐに戻ってきて」
ノルンが了承の言葉をかけると、ルクレツィアは左手に見える小高い丘に向けて一気に駆け出す。
風のように自由な彼女は、冒険者ギルドの中では想像できないほど生き生きとしている。
「一応、この辺りは大勢が地面を踏みならしたような跡はないな」
「ええ、王国側に兵を伏せている可能性は低そうですね」
ヴィクトルの所感に、ノルンも同意する。
道には馬車の轍と商人の足跡、周囲の草原は踏み潰された様子もなく青々と茂っている。
「みなさんって、こういう時はどういうことを考えているんですか?」
ルクレツィアの帰りを待つ間、張り詰めた空気だけが辺りを支配していた。
すると、突然の質問がネリネから飛んでくる。
ノルンはしばらく唸るように考え、やがてゆっくりと口を開く。
「僕だったら、自分が敵ならどういう作戦で攻めるか、とかかな? ヴィクトル先生は?」
「地形、天候、時間などを利用し、どのように動けば有利な状況を作れるか、だな」
「もちろん、僕らの答えは正しいとも正しくないとも言えない。その人がどういう立場の人間かによって、答えは変わるからね」
ネリネが感心したように口を開けている。
ネリネはこの旅を通して何かを見つけようとしているようだった。
ヴィクトルは何も言わず、静かにネリネを見つめていた。
やがて、丘の様子を見に行っていたルクレツィアが帰ってきた。
スキップをするかのように軽やかに駆け下りてくるが、何やら難しい顔をしている。
「レツィ、どうだった?」
「まず、橋は情報通り破壊されてた。それと、川のこちら側に兵を隠せる場所はなかった。ただ、地形に関しては意見をもらいたいから直接見てほしい」
ルクレツィアの言葉を聞き、ノルンたちは荷馬車を道の端に寄せて丘を登る。
見た目以上の勾配で、ネリネは息を切らせながら登っている。
頂上付近に到着し、体を伏せながらルクレツィアが指差す方向に目を向ける。
川の向こう岸にも平原が広がっていたが、その左手側には切り立った崖と、その下に鬱蒼とした森が広がっていた。
「伏兵にはもってこいですね……」
「ただ、あからさますぎるな……」
破壊された橋の近くの森。
十人中九人が伏兵を提案しそうな場所だった。
そしてヴィクトルの言う通り、あからさまな場所過ぎて、逆に兵を置きたくない場所でもある。
「……しばらく、様子を見ましょうか?」
「そうだな」
四人は丘の上で腹ばいになりながら森に目を向ける。
森は平和なもので、風に吹かれて木々が気持ちよさそうに揺れている。
ただ、伏兵がいる場合は何らかの異変が起きるため、しばらく観察することにした。
「ちなみに、ノルンさんだったらあそこに兵を置きますか?」
「僕は置きたくないかなぁ。橋を直す前に斥候を送られる第一候補の場所だし、奇襲を見破られた時に統率が取れずに部隊が混乱しやすい」
「ああ、火でも放たれたらそれだけで終わりだな。炙り出された兵を各個撃破で戦闘終了だ」
「他の軍が見えてないと効果半減」
ネリネの質問に、三人が思い思いの答えを出す。
共通していることは、三人とも森に兵を置くのは反対だということだ。
ネリネはふむふむと頷きながら森を凝視している。
「まあ、さすがに敵もそれくらいは考えているでしょう。この状況であそこに兵を置くのは、よほどの馬鹿か、功名心に駆られた猪くらいですよ」
「そういうものなんですね……っ?」
「ネリネ、どうかしたか?」
ノルンの話を聞いていたネリネが突然目の前に手を掲げる。
ヴィクトルが不安そうにネリネに問いかける。
「いえ、森の中で何かが光ったような……すみません、川の反射かもしれないです……」
「ノルン」
「……ええ、もうしばらく待機しましょう」
ヴィクトルの短い呼びかけに、ノルンも呼応する。
ネリネ以外の三人は緊張感を高めて森の中をさらに観察する。
ネリネは焦ったように三人に話しかける。
「あの、私の気のせいかもしれませんよ……?」
「ネリネ、気のせいでもそういう違和感は大切にしたほうがいい。森の中で何かが光るってのはどういうことだと思う?」
「……武器や鎧などの金属の反射ですか?」
「上出来」
ノルンの問いかけにネリネは不安そうに答える。
それを聞いたルクレツィアが短く褒める。
ネリネが嬉しそうに頬を赤らめるのを見て、ヴィクトルも嬉しそうに口角を上げる。
それから三十分、四人は森を観察し続ける。
やがて、森に変化が訪れた。
「えぇ、マジかよ……」
「人間、お腹が空くのは当然、だけど……」
「伏兵なら、炊事の煙くらい対策しろ……」
森の中から何本もの白い煙が立ち昇る。
乾燥しきっていない枝に火をくべたことが原因だろう。
三人は呆れたような目で森を見つめる。
「煙の本数から三百から五百名くらい」
「私たちの存在に気付いて、わざと煙を上げた、とかはありますか?」
「むしろそうであることを願うよ……」
フェリシエルには敵軍の士気と練度が低いというのは聞かされていた。
しかし、ここまでとはノルンも想像していなかった。
ノルンは頭を押さえながらため息をつく。
「いったん荷馬車まで戻って、橋の調査をしようか」
四人は丘を駆け降りて荷馬車のもとに戻る。
そしてそのまま、何食わぬ顔で商人一行として破壊された橋に向かう。
丘から見えていた通り、石材を積み上げて造られた橋は見事に破壊されていた。
足元に転がっている石のかけらは焦げており、魔法による爆破か何かで破壊されたことを物語っていた。
川幅は十メートル程度で水深は深いところで七十センチほど。
流れは緩やかなため、気を付ければ荷馬車でも渡れそうだった。
「ノルンさん、これ」
川の様子を眺めていたネリネが何かに気が付いたように指を差す。
そこに目を向けると、川の壁面の色が変わっており、縞模様のようになっている。
上側は色が薄いが、下側は色が濃く、植物が生えていない。
「ネリネ、お手柄だよ」
ノルンはネリネを見てにやりと微笑む。
褒められたことに照れているのか、ネリネは口元を緩めながら俯く。
ノルンは左手側、川の上流に当たる山を見ながら三人に告げる。
「敵の狙いが分かりました。水攻めによる分断ですね」
「向こう岸で分断し、指揮系統が乱れた王国軍を森の奥に潜んだ奇襲部隊で殲滅か」
「ここ一週間晴れてたから水量自体はそこまで多くないのが幸い」
ノルンは左手の山から森に目を移すと、地図を広げる。
森からノルンたちを監視している者がいれば、商人が道を確認しているように見えるだろう。
「レミングにはならずに済みそうだね。レツィ、何度も申し訳ないんだけど、一キロほど後退した場所に水魔法を使って伏兵用の魔力痕を残してくれない?」
「分かった」
ルクレツィアは小さく頷くと、元来た道へと駆け出していく。
その間もノルンは地図を眺めながら、進行ルートを検討する振りをする。
「ノルン、ここで足止めを食らった商人は、街道を外れて右に向かっている者が多い」
「ヴィクトル先生、ありがとうございます。レツィが戻ってきたら右手側に進みましょうか」
ヴィクトルが、草むらにできた轍と足跡を指差す。
それを確認し、三人はルクレツィアの帰還を待つ。
時間がかかると思っていたが、ルクレツィアは五分も経たずに戻ってきた。
ルクレツィアに労りの声をかけると、四人は街道を外れて下流側へと歩き出す。
下流は川幅が広がっており、水深も三十センチ程度と浅瀬だった。
渡河のために川に足を踏み入れようとしたところ、ルクレツィアは猫のような動きで荷馬車に乗っているネリネの隣に座る。
靴を濡らしたくないのであろう彼女の強かさを見て、ノルンとヴィクトルは顔を見合わせて苦笑する。
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