067話 旅立ちの朝
空の色が漆黒から群青色に変わり、徐々に陽の光が街を照らしていく。
眠気眼の鳥たちが、羽ばたきながら一日の始まりを告げている。
朝の冷たく青い風の中、城門前には四人の人影が集まっている。
「おはようございます。無事集まれたようで何よりです」
「ノルン、すごい大荷物……」
ノルンは地面から泥をすくい、年老いた馬の脚や胴体へ塗り込んでいた。
その横には、小型の荷馬車が停められている。
荷馬車には大量の小瓶や革袋が積載されている。
ルクレツィアは不思議そうにノルンを見つめている。
「馬は近くの農民から買い取らせていただきました。我々は商人に偽装してヴェルザーク領に行きます」
「少人数の利を活かすのであれば、潜入のほうがいいのでは?」
ノルンの考えに、ヴィクトルが疑問を呈す。
ヴィクトルの言うことは正しく、ノルンも当初は潜入を試みるつもりだった。
ノルンは馬の前足をぽんぽんと叩きながらその疑問に答える。
「今回は進軍行路の確保も目的とします。つまり、我々が先んじて敵陣に乗り込み、安全性を確認し、その道を王国軍が進軍に使う──そんな感じの方針ですね」
「でも、それだと街道から外れた森とか茂みに伏せられた兵は分からない気がします」
馬が前足を持ち上げたのを確認したノルンは、そのまま泥を塗り込んでいく。
ノルンたちの役割は斥候も兼ねており、進軍ルートの候補はすべてフェリシエルに共有済みである。
ノルンとヴィクトルの会話の中で疑問が浮かんだのか、ネリネは小首を傾げる。
その言葉に反応してか、馬も疑問を呈するように鼻を鳴らす。
「うん、ネリネの言う通りだよ。そこで、レツィとヴィクトル先生に探知をお願いしたいと考えている。大量の兵がいる場合、小動物が逃げ出したり、大量の鳥が一斉に羽ばたいたりと、不自然な『穴』が出来上がることが多いからね」
「よゆー。任せて」
馬がじゃれつくようにノルンの首元に鼻を近づけてくる。
それにくすぐったさを覚えながらも、ノルンはネリネの疑問に答えていく。
ルクレツィアはまだ眠気があるのか、普段以上にぽやぽやした様子で返事をする。
「ノルン、この荷物はなんだ?」
「ポーションとは名ばかりの色付き苦水と、塩と食料です。関所で間違いなく挑発されますからね」
ヴィクトルが荷馬車に乗せられた荷物を触りながら質問する。
ノルンは物資徴発を見越して、著しく質の低い物資を用意していた。
「よし、荷馬車の準備はこれで完了! ……それと、ヴィクトル先生にはこれを」
ノルンは近くの手桶で手の泥を落とすと、腰を伸ばして立ち上がる。
そして、首元から冒険者プレートを外すと、それをヴィクトルに手渡す。
ヴィクトルはプレートを手に持つと、不思議そうにそれを眺める。
「僕とネリネは行商人の兄妹です。レツィとヴィクトル先生はその護衛。明日のために生きる健気な行商人兄妹。情に打たれた冒険者は、少ない報酬にもかかわらず依頼を引き受けたのです」
ヴィクトルは、「なるほど」と言いながら冒険者プレートを首元にぶら下げる。
ノルンが考えた設定を聞いたルクレツィアとネリネは、ノルンに呆れたと言わんばかりの視線を向ける。
「次から次へとよく思いつきますね……」
「ああ、わが妹ネリネ。僕のことはお兄ちゃんと呼んでくれていいんだよ?」
「ノルン、気持ち悪い」
女性陣からの視線がナイフのようにノルンに突き刺さる。
群青色だった空は白みがかり、一日の始まりを告げる。
東の空から太陽の光が降り注ぎ、四人を少しずつ照らしていく。
そして、正門がギギギと大きな音を立てて、ゆっくりと開き始める。
ノルンはこほんと咳ばらいをすると、三人に向かって宣言する。
「それでは、ヴェルザーク領への潜入作戦を開始します」
* * *
広い草原の中の一本の道を、四人と一頭が風に吹かれながら歩いている。
ノルンは馬の手綱を引きながら、少し早足で道を先導している。
荷馬車の両隣にはルクレツィアとヴィクトルが陣取り、荷馬車を軽く押しながら周囲を警戒して歩いている。
ネリネは荷馬車の後ろに腰かけて、足を外に投げ出しながら後方を警戒している。
「かなりの強行軍にはなりますが、夕方には王都側の宿場町に到着する予定です。本番は明日ですね」
幸いにもここ数日は晴れが続いていたため、道にぬかるみはなく、順調に進んでいる。
貿易用の主要な道のため、地面は人と馬の脚で踏み鳴らされており、快適な移動ができていた。
こういった旅では、野営のための道具や補給用の水で運搬重量が増加するが、魔法による代替が可能なことで軽量化が実現できている。
一般的には無謀な移動距離でも、馬への負担を軽減でき、ある程度の無茶が効く。
とは言え、多少の申し訳なさを感じているノルンは懐からリンゴを出して、ナイフで小さくカットして馬に食べさせてあげる。
馬は嬉しそうに首を上下に振り、ノルンの手からリンゴを奪っていく。
その様子を、ノルンは微笑ましげに眺めている。
「そういえばノルン、関所での商人の証明はどうするつもりだ?」
「それでしたら、これを見せるつもりです」
ヴィクトルからの質問を受けて、ノルンは懐から一枚の紙を取り出す。
それはギルドが発行する依頼書だった。
中身は護衛の依頼であることと、ノルンが商人であることを証明する文言が記載されている。
「中立であるギルドからの証明書も兼ねています」
「いつの間に……依頼を発行する時間なんかあったか?」
ノルンが取り出した紙を見ながら、ヴィクトルが不思議そうに尋ねてくる。
明らかに嘘の内容が含まれており、ギルドが承認するわけがないと考えていた。
それに対してノルンは、何てことはないとでも言いたげな様子で答える。
「ええ、昨日夜遅くまで作ってました。何十枚と作った中での力作の一枚ですよ? ギルドの印章を真似て作るのが一番苦労しました」
「ノルン、文書偽造は重罪……」
「後でしっかりと燃やすよ」
「見つかったら死罪ですよ……」
ルクレツィアとネリネからの呆れた声が聞こえてくる。
太陽までもがノルンを非難するように照らしているようだ。
二人の反応を、ノルンは笑って誤魔化すしかなかった。
* * *
太陽がてっぺんに差し掛かり、初夏の日差しが容赦なく四人に襲いかかる。
近くから川のせせらぎが聞こえてきたため、ノルンは休息を提案する。
大きな木陰を探して馬を繋ぎ、四人は休息の準備をする。
ヴィクトルは地図を見ながら進行状況を確認している。
ネリネは馬に近寄り、馬のための食事を準備する。
ルクレツィアは川に足を投げ出し、だらしなく涼んでいる。
「ねえ、ノルンさん」
ネリネが馬にリンゴを食べさせながらノルンに問いかける。
馬は手のひらをぺろぺろと舐め、ネリネはくすぐったそうにしている。
「ん? どうしたの?」
「……ノルンさん、どうやって冒険者になったの?」
ネリネは馬の鼻を撫でながらノルンに問いかける。
優しい目をしているが、どこか思いつめた表情をしている。
「申請すれば誰でもなれるはずだよ。ネリネは冒険者になりたいの?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど……」
そう言うとネリネは、ちらりとヴィクトルのほうに目を向ける。
その視線に気づいたのか、ヴィクトルも顔を上げる。
「ヴィクトルはすごく強いのに、私のせいで邪魔しちゃってるのかなって思って」
「む……そんなことはない。ネリネにはいつも助けられている。俺は一人じゃ何もできないからな」
ネリネの不安そうな顔を見て、ヴィクトルはむっとした表情で答える。
顔つきは険しいが、ヴィクトルなりの慈しみが感じ取れる。
「だったら、二人とも冒険者になれば?」
ルクレツィアが素足のままぺたぺたと近づいてきて、話に割り込んでくる。
そして、すっとノルンの隣に座り込む。
「邪魔してると思うなら強くなればいい。一人じゃ何もできないなら一緒にいればいい。それだけのこと」
ルクレツィアの一言は的を射ている。
ただ、的を射ているからと言って、だれもがその通りに動けるわけではない。
「ヴィクトルは強いから、すぐ私と同じランクになると思うよ」
「ルクレツィア嬢にそう言ってもらえるとは、光栄だな」
「怖い顔してなければ、レツィみたいに対人能力でランクアップに引っかかることはないと思いますよ」
ルクレツィアからの評価を聞いて、ヴィクトルが小さく微笑む。
そして、ノルンの余計な一言は、ルクレツィアの怒りを買うのに十分だった。
ルクレツィアはぽかぽかとノルンを殴りつける。
ヴィクトルは優しげな表情でネリネを見つめている。
ネリネも遠慮がちにヴィクトルを見ると、顔を下に向けて小さな声を漏らす。
「……うん。少し、考えてみる」
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