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霧錆びのクローデル ~滅んだ辺境伯家の嫡男は、王立学園で王国を蝕む真実を暴く~  作者: 上止正
3章:価値の在処編

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066話 出征前日

「そういえば、レツィってヴィクトル先生と仲いいの?」


「剣術の授業で顔を合わせるくらい。ちゃんと話したことはない」


「じゃあ、ある意味では今日が初対面になるってことか」


 ヴィクトルの家への道すがら、ノルンとルクレツィアは雑談に興じる。

 ルクレツィアとヴィクトルは同じ講師として、ある程度の接点はあるとノルンは考えていた。

 しかし、両者の対人への積極性のなさは想像以上で、ここまで会話らしい会話はしてこなかったようだ。

 そんな二人が向かい合って会話をしている姿を想像し、ノルンは思わず笑いが込み上げてきた。


 ヴィクトルの家に到着したノルンとルクレツィアは、目の前の扉をノックしようとする。

 その時、ルクレツィアが何かを警戒するように周囲を探ると、腰を屈めて戦闘態勢に入る。

 遅れてノルンも、何者かの縄張りに足を踏み入れてしまったような感覚に苛まれる。


「……レツィ」


「……」


 やがて、家の陰から木剣を手にしたヴィクトルがぬっと姿を現した。

 流れる汗と白く立ち上る湯気が、先ほどまで家の裏で稽古をしていたことを物語っている。

 表情は読めないが、相変わらず目つきは鋭く、身に纏う気配は尋常なものではない。

 ヴィクトルは二人の姿を認めると、気配を抑えて静かに口を開く。


「なんだ、お前らか……何の用だ?」


 ヴィクトルは懐から手拭いを取り出し、汗を拭き取る。

 その様子を見たルクレツィアは、小さく息をついて警戒を解く。


「ヴィクトル、たぶん初めまして」


「ルクレツィア嬢、こうやって話すのは初めてだな」


 ルクレツィアとヴィクトルが互いに挨拶をする。

 場の空気が弛緩したことに安堵し、ノルンはヴィクトルに用件を伝える。


「ヴィクトル先生に頼みたいことがありまして」


「俺にか……?」


「王女殿下の依頼で、ヴェルザーク家に幽閉されている令嬢の救出と、クラックと思しき人物の捕縛を命じられました。ヴィクトル先生の力をお借りしたいのですが……」


 ノルンの言葉を聞き、ヴィクトルは考え込むように目を閉じる。

 ノルンはヴィクトルを見つめながら、彼の言葉をじっと待つ。

 ヴィクトルの汗が頬から顎に伝い、やがて水滴となって地面に落下する。


「力を貸すことは構わん。だが……」


 やがて、ヴィクトルはゆっくりと口を開く。

 だが、何か気にかかることがあるのか、その答えははっきりとしたものではない。

 ヴィクトルは心配そうに視線を家のほうに向ける。

 その視線の動きで、ヴィクトルの懸念をノルンは察した。


「それ、私もついてく」


 玄関の扉が開いたかと思うと、家の中で耳を澄ませていたのか、ネリネが姿を現す。

 ネリネは口をへの字に曲げてヴィクトルを睨みつける。


「ヴィクトル、私のこと置いてこうとしたでしょ」


「む……」


 ネリネからの非難の声に、ヴィクトルが後ろめたそうにたじろぐ。

 ネリネに強く出られないヴィクトルを援護するように、ノルンは言い聞かせるようにネリネに語りかける。


「ネリネ、これは遊びじゃない。戦争なんだよ。君みたいな少女が戦場に行くことの意味、分かってる?」


 戦場にネリネのような少女がいた場合、捕虜になるのであればまだマシだ。

 最悪の場合、敵兵の慰み者になったり、遊び道具になったり、奴隷として売り飛ばされることだってあり得る。

 ノルンは優しく、ネリネの説得を試みる。


「……知ってるよ。争いによる狂乱も、憤怒も、愉悦も」


 ネリネは俯きながら、強く拳を握り締める。

 唇を強く噛み締め、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「私はそれを檻の中から見てきた」


 彼女はすべてを理解したうえでノルンの目を見つめる。

 ネリネの瞳には、子ども特有の無邪気さや好奇心の光はなかった。

 だが、ノルンには彼女の瞳の奥に映るものが何なのかは分からなかった。


「それでも私はついていく。今、踏み出すことが重要だから」


「……」


「それに、遊びは過去に置いてきた」


 ヴィクトルは黙ったままネリネを見つめている。

 ネリネも負けじとヴィクトルを睨みつける。

 二人の視線が、静寂と緊張の空気を作り出す。

 やがて、そんな空気を壊すように、ヴィクトルが大きなため息をつく。


「ノルン、俺はネリネを連れて行くことについて、反対だ」


「ええ……」


「その上で、ネリネを一緒に連れて行きたい」


「え?」


 ヴィクトルの矛盾した発言に、ノルンの思考は一瞬停止する。

 ノルンはヴィクトルの意図が理解できなかった。

 そして、慌てたようにヴィクトルに反論を述べる。


「ですが、子どもを戦場に連れて行くのは……」


「ノルン、ヴィクトルから見ればノルンもネリネちゃんも、同じ子ども」


「……」


 今まで黙っていたルクレツィアが、口を開く。

 それは、ノルンとネリネの境遇が同じだということ。

 ノルンは反論しようと口を開いたが、それは形にならず、やがて宙に解けていった。


「子どもは守るべき対象。でも、守ってばかりいることは、その子どもを傷つけるのと一緒」


「っ……」


「私たちがすべきことは檻に閉じ込めることじゃない。覚悟を決めるのは大人だけの特権じゃないんだよ」


 その言葉はノルンの傲慢さを自覚させるのに十分だった。

 ノルンは肩を落とすように首を下げると、ネリネのほうに目を向ける。

 ネリネの腰元にはいくつもの小瓶がぶら下がったベルトが巻き付けられていた。

 それを見て、ノルンは自虐するような笑みを浮かべる。


「概ねルクレツィア嬢の言った通りだ。大人というものは守ることに固執するあまり、成長の機会を奪ってしまうこともある。それに、俺のように檻の中で飼われる猟犬のままでいてほしくない……」


 ヴィクトルは遠くを見ながら、自身の過去と重ねるように言葉を紡ぐ。

 その言葉に、ノルンは降参したように両手を上げる。

 ネリネは嬉しそうな笑みを浮かべ、ヴィクトルを見上げる。


「……分かりました。正直まだ反対の気持ちはありますが、ネリネにも同行をお願いします。レツィ、僕にはない視点だったよ。ありがとう」


「私は冒険者としてノルンよりも先輩だからね」


 ルクレツィアは得意げに胸を張る。

 ヴィクトルは口元に笑みを作ってその光景を見ている。

 ノルンはヴィクトルとネリネを見ながら、これまでのことを思い返す。


(婆さんは覚悟がない子どもを守ることを決めた。そしてヴィクトルは覚悟がある子どもと共にいることを決めた。どちらが正しいか、という問題ではないのだろう。大人とも子どもとも言えない俺は……)


 ノルンはその思考を振り払うように首を振る。

 余計な考えは自身の決心を鈍らせる気がした。

 そして、決心したように三人に向かって口を開く。


「出発は明日の明け方、城門前に集合。クラックとの戦闘の可能性があります。各自、万全の準備をお願いします」



 * * *



 三人と別れを告げ、ノルンは学園に向けて歩みを進めていた。

 西の空では太陽が眠りにつこうとしていた。

 昼間は混沌としていた大通りだが、ある程度の避難が済んだのか、隙間が見える程度には落ち着いていた。


 ノルンは誰かを探すように周りを見回しながら歩き続ける。

 やがて学園に到着したノルンは、すっかり人の気配が少なくなった校舎を見上げる。

 つい先日までは生徒たちの楽しげな声がそこかしこに聞こえていた。

 物思いに耽るように立っていたノルンの背中から声がかかる。

 振り返ったノルンは、茜色に染まった空を背景に目当ての人物を見つける。


「あ! ノルン様! 探しましたよ~。どこに行ってたんですか?」


 ネルが大きく手を振りながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。

 その元気な様子に、ノルンも手を振って応える。


「やあ、ネル。僕も探していたよ」


「え? ホントですか! もしかして、相思相愛ってやつですか!?」


 ネルは嬉しそうに体をくねらせる。

 ノルンは苦笑しながらネルを見ていたが、やがて真剣な顔つきでネルを見る。

 ネルもノルンの変化に気が付いたのか、背筋を正してノルンを見つめ返す。


「ネル、君に頼みたいことがある。僕はこれからヴェルザーク領に行って、クラックと思しきメンバーと対峙してくる」


「え! じゃあ、ボクも連れて行ってください! ボクの能力は役に立ちますよ!」


 ヴェルザーク領へ赴くこと。

 それはつまり、いつ命を落としてもおかしくはない最前線に行くことと同義だった。

 ネルはその言葉を聞いて、ノルンに同行させてほしいと懇願する。


「ダメだ。君にはここに残っていてもらう」


「え……」


 確かにネルの能力は強力だが、能力下の人間が暴走するリスクがある。

 だが、それ以上に重要な、そして適切な役割がネルにはあると、ノルンは考えていた。


「……やっぱり、ボクじゃノルン様のお役に立てないですか……?」


 ノルンに拒絶されたネルは、ショックを隠せない様子で肩を落とす。

 どうしてもノルンの役に立ちたかったネルにとって、彼からの拒絶は耐え難いものだった。

 泣きそうになるのを我慢しながら、ネルは健気にノルンの目を見続ける。


「違う。僕はさっき、君に頼みたいことがあると言った。つまり、君にしかできないことがあるということだ」


「……ボクにしか、できないこと?」


 ノルンはゆっくりと、そして大きく頷く。

 ネルはぽかんと口を開けたまま、ノルンに問い返す。


「戦争というのは戦うことがすべてではない。それ以上に守ることが重要だ」


「……」


「戦争中は多くの人間が不安や恐怖に苛まれる。そして、そういった人間は普段では考えられない行動を取ってしまうことがある。そんな彼らには心の拠り所が必要だと思うんだ」


 ノルンはそこで話を区切ると、ネルの両肩に手を置く。

 肩に手を置かれたネルは、小さく肩を震わせる。

 そしてノルンは、ネルの目を真っすぐに見つめながら語りかける。


「ネル、君にはクローデルの日常の象徴になってもらいたい」


「ボクが、象徴に……」


 ネルはノルンの言葉を何度も心の中で反芻する。

 自分にできるのかという不安、失敗するのではという恐怖。

 ネルの胸には様々な負の感情が渦巻く。

 しかし、ノルンの言葉は止まらない。


「君なら余裕だろ?」


 片目を瞑って問いかけるノルンを見て、ネルの胸は熱くなる。

 先ほどまで自分を支配していた負の感情はすべて吹き飛ばされる。

 敬愛する主の期待に応えたいという思いが溢れ出す。

 気が付くと、ネルは笑顔を浮かべ、自信ありげにノルンに答える。


「もちろんですよ、ノルン様。あなたのクローデルはボクがちゃんと守ってみせます!」

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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