065話 あの日食べたシチュー
「というわけで、僕たちは哀れなレミングに選ばれたわけだけど」
冒険者ギルドに到着したノルンは、併設された酒場の席にルクレツィアと向かい合って座っている。
途中で出会ったエリューゼから冒険者プレートを返してもらい、ノルンの首元には真鍮のプレートが揺れている。
ルクレツィアもすでに事情を把握しているらしく、パンを両手に持って、美味しそうに齧っている。
「ノルン、レミングって何?」
「今のレツィみたいに食べる姿がかわいいけど、群れで無茶をする小動物だよ」
「……ふ~ん」
パンを皿の上に置き、ぷいと顔を背けるルクレツィア。
頬と耳がほんのりと赤くなっている。
食べる姿を見られて恥ずかしかったのだろう、と考えたノルンは、微笑みながら話を続けることにする。
「まずは人集めだね。最低でも二、三人は必要になる」
「強い人だけじゃなくて、潜入に向いてる人が必要」
「候補に心当たりはあるけど、一応ギルドにそういった冒険者がいないか聞いてみようか?」
ノルンはルクレツィアと人員の相談をしながら、受付に向かって歩き出す。
ノルンの姿に気づいた受付嬢は、笑顔で二人を迎える。
「ノルンさん、こんにちは! 大変なことになっちゃいましたね」
「まったくです。逃げられるなら逃げ出したいくらいですよ……」
受付嬢の元気のよい挨拶が、今は戦時中ということを忘れさせてくれる。
ただ、続く言葉が指名依頼の話だと分かり、ノルンは諦めたようにため息をつく。
「王族からの指名依頼なんてかなり珍しいですよ? ノルンさん、何したんですか?」
「こっちが聞きたいくらいですよ。ルクレツィアさんが何か吹き込んだんじゃないですか?」
受付嬢が小声で話しかけてくるが、ノルンは苦笑いをして誤魔化すことにする。
自分のせいにされたルクレツィアはムッとした顔をし、抗議するかのようにノルンの裾を引っ張る。
「それで相談があるのですが、冒険者をご紹介いただくことは可能でしょうか?」
「ああ、なるほど……ご紹介したいのは山々なのですが……」
受付嬢はそう言うと、冒険者ギルドを見回す。
ノルンもそれにつられて見回すが、そこで改めて気づくことがある。
ギルドは閑散としており、冒険者の数が異様に少ない。
ギルドの中にいる数少ない冒険者も、依頼までの時間潰しをしているようだった。
「ご覧の通り、多くの冒険者は出払っている状態なんです。領地へ戻る貴族や商人の護衛依頼が急増していまして……」
「まあ、戦時中ですからね」
「他にも冒険者はいるのですが、ギルドに顔を出していないので行方が分からず……」
受付嬢は申し訳なさそうな顔でノルンに告げる。
ノルン自身も期待はそこまでしていなかったが、やはり戦争の影響は大きいようだった。
ノルンは受付嬢に感謝を告げると、ルクレツィアを連れてその場を離れる。
「ノルン、どうするの?」
「大丈夫、第一候補に会いに行くよ」
ルクレツィアが不安そうにノルンに問いかける。
ノルンは特に焦った様子もなく、ルクレツィアの問いに答える。
そして、二人は冒険者ギルドを後にした。
* * *
ギルドを後にしたノルンとルクレツィアが向かう先は、グレイが住まう教会跡の家だ。
家の前に到着した二人は、扉をノックする。
しばらくして、グレイが扉から顔を覗かせる。
「……あんたらかい。入んな」
二人を見た老婆は、扉を大きく開け、中に入るよう促してくる。
家の中にはいつものような子どもの騒ぐ声が聞こえず、誰もいないかのように静かだった。
グレイは二人を客間に案内すると、お茶を用意するため厨房に引っ込んでいった。
ノルンにとっては少し前まで暮らしていた家である。
懐かしげに部屋の様子を見ていると、一人の少女が扉からぴょこっと顔を出し、二人を興味深そうに見ている。
「あれ? 君は確か一月ほど前の……」
「覚えてて……くれたの……?」
恥ずかしそうに顔を隠す少女にノルンは見覚えがあった。
入学直後に酔っ払いに絡まれていたため、この家まで連れてきた孤児の少女だった。
自分のことを覚えてくれていたことが嬉しかったのか、少女はちょこちょことノルンのそばに歩み寄ってくる。
「ここの家の暮らしはどう? 婆さんは怖くない?」
「うん、大丈夫だよ。婆ちゃん先生……優しくて大好き。……お兄ちゃん、連れてきてくれて……ありがとう」
ノルンは少女を自身の膝の上に乗せて優しく話しかける。
少女はたどたどしい言葉ながらも、笑顔で答える。
そんなノルンと少女の様子を、ルクレツィアは柔らかな表情で見つめている。
「ノルン、あんた変なこと吹き込んでるんじゃないだろうね」
「失礼な。婆さんの怒りのツボを教えてあげようとしただけだよ」
扉の奥からグレイがお茶を持ってやってくる。
ノルンの軽口を呆れながら受け流すと、ノルンたちの前にお茶を置いていく。
少女はノルンの膝から飛び降りると、グレイの傍に近寄っていく。
「それで、用件はなんだい?」
グレイがソファに腰かけると、少女も一緒にグレイの横に座る。
グレイは彼女に微笑みかけると、自分の分のお茶を少女の前に置く。
「意地悪な妖精に騙されちゃってね。囚われのお姫様の救出と、王国を飛び回ってる僕らが嫌いな蛾を捕まえるのに、ヴェルザーク領まで行かない?」
「…………」
何も知らない少女が目の前にいるため、ノルンは言葉を選びながらグレイに話しかける。
数年とはいえ、一緒に暮らしていた仲である。
グレイであれば何の話なのかを察することができるとノルンは確信している。
話を聞いたグレイは、何かを考えるように静かに目を閉じている。
「すまないが、断らせてもらうよ……」
「え?」
グレイは申し訳なさそうに断りの言葉を述べる。
そうして、隣に座る少女の顔を慈しむように見下ろす。
何のことか分かっていない少女は、嬉しそうにグレイの顔を見上げる。
グレイは少女の頭を優しく撫でながら、ゆっくりと口を開く。
「もちろん、行きたい気持ちは強いさ。でもね、この子たちに寂しい思いをさせたくないんだよ」
「……」
「私が行ったらこの子たちはどうなる? 戦争ってのはどうしようもなく不安なものさ。それが子どもならなおさらだ。この子たちには親が、頼れる人間が傍にいないんだ。だから、私だけでもこの子たちの傍にいてあげたい。ノルン、すまないね……」
グレイは寂しそうに、しかし優しげにノルンに語りかける。
ノルンは何も言わず、その言葉を受け止めた。
グレイの気持ちが痛いほど分かるノルンには、彼女を説得する言葉を持ち合わせていなかった。
「……婆さん、分かった。無茶なことを言って悪かった。その子たちのこと、よろしくな?」
「あれ? お兄ちゃんたち、もう帰っちゃうの?」
「ああ、ちょっと用事を思い出しちゃってね。この家には怖ぁい婆さんがいるから、安心しな?」
ノルンはそう言うと、静かに立ち上がる。
少女がノルンに歩み寄り、ノルンの袖を握りながら引き留めの言葉をかけるが、それを穏やかにかわす。
老婆も申し訳なさそうに立ち上がる。
「馬鹿なこと言ってんじゃないよ、まったく。……あんたもまだまだガキなんだ。たまにはここに帰ってきな。気が向いたらあんたの好きなシチューくらいは作ってやるよ」
玄関に向かうノルンの背中に向けて、自分の子どもを労わるように声をかける。
それがノルンには何ともくすぐったく、そして温かかった。
* * *
「ノルン、断られちゃったね」
「しょうがないよ……」
ノルンはクローデルが崩壊した日のことを思い出す。
あの日、ノルンは死にかけのところをグレイに拾われた。
目を覚ました時、ノルンの心には悔しさや悲しさ、怒りといった負の感情がせめぎ合っていた。
そんなノルンに、グレイは温かいシチューを差し出してきた。
野菜も肉もくたくたに煮込まれ、スプーンでつつくだけでほろりと崩れていく。
胃腸を労るような少し薄い味付けが、ノルンの負の感情を洗い流してくれた。
シチューを頬張りながら知らずに涙を流すノルンを、グレイは優しく静かに見守っていた。
あの時、ノルンは誰かに手を差し伸べられることで得られる強さを知った。
だから、あの家の子どもたちからその機会を奪うことは、今のノルンにはできなかった。
「まあ、本命はもう一人いる」
「誰?」
ルクレツィアは不思議そうにノルンに問いかける。
ノルンは得意げな表情でルクレツィアに顔を向け、そして口元に不敵な笑みを浮かべる。
「ヴィクトル先生に会いに行こう」
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