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霧錆びのクローデル ~滅んだ辺境伯家の嫡男は、王立学園で王国を蝕む真実を暴く~  作者: 上止正
3章:価値の在処編

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064話 王太子殿下

「ノルン、紹介するわね? こちらは私の兄上──フェルディナント王太子殿下よ」


 ノルンは片膝をつき、頭を下げ、じっと床を見ている。

 フェリシエルを相手にしているせいで感覚が麻痺しているが、相手は王族。

 しかも、将来の国王となりうる人物である。

 何か不手際があれば、ノルンの首と胴は別れを告げることになるだろう。


 そして、部屋に入った瞬間は気づかなかったが、扉の両脇を固めるように兵士が静かに立っている。

 存在感はまるでなく、置物かのように気配を消しているが、立ち姿だけで相当な実力であることが分かる。

 何かあった時の死刑執行人は後ろの彼らであることは容易に想像できた。


(っていうか、なんでこの場に俺を呼んだんだよ!)


 ノルンは心の中でフェリシエルに怨嗟の声を送る。

 頭を下げているため彼女の表情は分からないが、きっと楽しそうな顔をしているのだろう。

 ノルンは額に汗をかきながら、フェルディナントからの言葉を待つ。

 フェルディナントはじろりとノルンを見た後、ゆっくりと口を開ける。


「よい、頭を上げよ。拝謁を許可する」


 その一言で、ノルンは顔を上げる。

 最初に目に飛び込んできたのは、理知的な光を宿すアメジストの瞳だった。

 そして、フェリシエルよりも濃い青髪。

 精悍な顔つきと、鍛えられた肉体は歴戦の武人を思わせる。

 外見だけでも文武に優れた人物であることが分かり、フェルディナントとフェリシエルが兄妹というのも頷ける。


「ふふ、さあノルン。そんなところではなく、ちゃんと椅子に座りなさい。兄上も大丈夫ですよね」


「構わん」


「王太子殿下、寛大な御心に感謝いたします」


 フェリシエルはノルンが想像していた通り、楽しそうに笑っている。

 ノルンは恐る恐るといった様子でフェリシエルの近くの椅子に腰をかける。

 ニヤニヤ顔のフェリシエルと、無表情のフェルディナント。

 二人の王族に挟まれて、ノルンは今にも押し潰されてしまいそうだった。


「ノルンと言ったな? この場では好きに発言することを許す」


「恐悦至極にございます。素性も定かならぬ不届き者がこの場に列席すること、大変恐縮に思います」


「構わん。我が妹がこの場に呼んだ人物。それだけで俺には十分だ。だが、好奇心を満たすために何者かくらいは問うても構わんよな?」


 フェルディナントはちらりとフェリシエルに目を向ける。

 フェリシエルはにこやかに微笑み返す。

 そして、手元に置いていたイチゴのジャムを兄のほうに寄せながら話し始める。


「まぁまぁ、兄上。ここでの無粋はよしましょう。さあ、このオルテンシア産の紅茶はイチゴのジャムと合いますよ?」


「……なるほど、いただくとしよう。近頃のイチゴは甘みが強いものが多いが、酸味が効いたイチゴが懐かしいな。ノルン、其方もそう思うだろう?」


「はい、殿下のおっしゃる通りです。やはりオルテンシア産の紅茶には、北方で育つような酸味が強いイチゴのジャムが合うと思われます」


「ああ、北方の水で育つイチゴは素晴らしかった。その蕾が花開くのが楽しみだ」


 フェルディナントはイチゴのジャムを懐かしそうに眺める。

 そして、ノルンに目を移すと、にやっと笑いかける。

 フェリシエルは自身の意図を察した二人を見て、嬉しそうに微笑んでいる。


 フェリシエルは兄のことを傑物でも愚物でもないと評した。

 だが、やはりそれは傑物であるフェリシエルから見た情報である。

 フェリシエルの一言を受けての機知を目の当たりにして、誰が彼を愚物と言えるだろうか。


「さて、それでは本題に入りましょうか。ヴェルザーク家の反乱について、軍事機密満載の会話をしましょう。ノルン、逃げないように」


 フェリシエルが、パンっと両手を合わせて会話を切り出す。

 王国の軍事機密など聞きたくもないノルンだが、フェリシエルに先回りされてしまう。

 フェルディナントもどこか楽しそうな表情を浮かべている。

 フェリシエルは地図を取り出し、テーブルの上に広げていく。


「まず、此度の反乱について、国王陛下より軍権を委譲された。俺が総指揮官で、フェリシエルが作戦参謀となる。動員可能な兵力は、近衛師団が五千、各貴族の私兵が八千、魔法師団が千となる。精鋭部隊が残っているが、彼らには国境の警戒、王都の防衛、未開拓領域の防衛を行ってもらう」


「一方の反乱軍は、ヴェルザーク家が三千、他の貴族連合が三千、傭兵部隊が千、そしてクラックのメンバーと思われる者が一人。彼らは王都とヴェルザーク領を繋ぐ主要な橋を破壊済みで、道には関所を設けているようです」


 フェルディナントが自軍の戦力を、フェリシエルが反乱軍の戦力を説明する。

 フェリシエルの口からクラックという単語が出たが、フェルディナントは気にした様子もない。

 どうやらすでに彼らの存在を知っているようだった。

 そして、フェリシエルは地図にいくつかのバツ印をつけ、敵味方を識別する駒を置いていく。


「ノルン、ここまでの内容で気になる点はありますか?」


「ほう! あのフェリシエルが他人の意見を聞くのか! これは驚いた……」


 フェリシエルがノルンに話題を振る。

 それを聞いたフェルディナントが目を丸くして驚いている。

 フェルディナントの期待するような眼差しを受けて、ノルンは気まずそうに口を開く。


「……いくつかございます。一点目は戦力です。我々が有利ですが、裏切りの有無によっては一気に不利になる可能性がありますね」


「ああ、俺たちも同じ意見だった。そのため、すでに調略済みの複数の貴族を反乱軍に残している。我が軍の内通者の存在を掴むため、そして戦場で裏切ってもらうためにな。ちなみに、我が軍の裏切り者は今のところ確認されていない」


「兄上もヴェルザーク家の叛意について、別の情報源から知らされていたようです。以前からヴェルザーク家の近辺を窺っていたのは敵情視察と調略のためだったみたいです。兄上、危険すぎるので今後は控えてくださいね」


 フェリシエルが呆れたようにフェルディナントを睨みつける。

 当の本人はしれっとした顔で紅茶を飲んでいる。

 この妹にしてこの兄あり、とノルンは内心で苦笑する。


「二点目は敵の士気と練度です。今回、敵はどのような大義名分で反乱を行ったのでしょうか?」


「『君側の奸を除く』というものだ。まあ、貴族の見栄と権力欲による戦争のように映っているため、兵の士気は著しく低いというのが内通者の言だ」


 フェルディナントは敵の駒を指で弾く。

 今の王政が本当に腐敗していたのであれば、ヴェルザーク侯爵の大義名分は有効だっただろう。

 しかし、今の治世は安定しており、民の不平不満は少ない。

 民衆からは「権力争いは貴族だけでやっててくれ」といった声が出ているようだった。


「練度についてですが、農民を寄せ集めた軍となっています。ただ、要注意なのは傭兵部隊です。ノルン、『ヴォルフガング』という傭兵団はご存じですか?」


「……国を跨いで活躍する戦争屋。一人ひとりが一騎当千の強者と聞いたことがあります」


「ええ、千人足らずで八千人の正規兵を相手取り、殲滅した話は有名ですね。その彼らが反乱軍に加わっています」


 フェリシエルは傭兵部隊の駒を手に取ると、他の駒よりも大きめなものと入れ替える。

 ノルンは件の傭兵団の情報を記憶から引き出し、思わず天を仰ぐ。

 単純な数字だけであれば、王国軍は優勢だ。

 しかし、『ヴォルフガング』は戦線を単独で崩壊させうる存在だ。

 彼らが参戦するとなれば、実質的な戦力は五分といったところだろう。


「ですがご心配なく。レディ・グレイにはご足労をおかけしました」


 フェリシエルは意味深な笑みを浮かべる。

 おそらくグレイと共謀して、何らかの手を打っているのだろう。


「三点目は敵の工作です。橋を破壊していますが、資材さえあれば魔法ですぐに建設できます。ですが、それを黙って見ている敵ではないでしょう。十中八九なんらかの罠を仕掛けているはずです。そして、罠の存在を我々が疑うことまで織り込み済みでしょう」


「つまり、疑わせることで我々の進軍を妨害することが目的ということだな」


「おそらくは」


 フェルディナントの考えに、ノルンは小さく頷いて同意する。

 フェリシエルは地図を凝視し、進軍ルートを検討しているようだった。


「そして、関所の設置。領外への情報漏出を防止するためだと考えましたが、情報が筒抜けすぎる。おそらく、商人から漏出させる情報の選別と、物資の徴発が目的かと思われます」


「しかし、我が軍の内通者の存在が、情報選別を不発に終わらせているようですね」


 フェリシエルが地図上の敵の駒と地形を見ながら答える。

 フェルディナントは腕を組み、駒を動かしながら何事かを考えている。


「これらを考えると、進軍の妨害を行い、長期戦に持ち込む構えのように見受けられます。ただ、違和感が残るのも事実です」


「違和感とは?」


 ノルンの言葉を聞き、フェルディナントが問い返す。

 ノルンは地図上でヴェルザーク領を指でなぞりながら答える。


「兵站です。領内の物資徴発だけでは限度があります。長期戦と言いつつも先の見えた消耗戦を行うようなものです。しかし、発想を逆転させると別の見え方がします。長期戦は見せかけで、実態としては長期戦を行う必要がない状態だということ」


「……なるほど、外部から協力を取り付けている可能性か」


「あくまでも予想となりますのでご容赦ください」


 ノルンの指摘に、フェルディナントは目を見開く。

 そして、自軍の駒を手に持ち、フェリシエルに問いかける。


「フェリシエル、近衛兵千名を国境に回したい。戦況に影響はあるか?」


「多少の影響は出ますが、問題ありません。内通者の離反のタイミングは調整する必要がありますが」


「タイミングは任せる。おい、聖教国の動きに注視し、何か動きがあればすぐに知らせるよう外交官に伝令を飛ばしておけ」


 フェルディナントは扉の前に立っていた兵士の一人に命じる。

 兵士は会釈をすると、すぐに扉を開けて駆け出していった。


「最後に、クラックの存在です。王太子殿下は彼らについてご存じでしょうか?」


「……ああ、よく知っている。奴らのことも、自分の愚かさも……」


 ノルンの問いかけにフェルディナントの顔が曇る。

 何か言いたげな様子だったが、ごくりと喉を鳴らして黙り込んでしまった。

 今は深掘りすべきことではないと判断したノルンは話を続けることにする。


「奴の存在がこの反乱の中で最も不気味です。いまだに何を考えているのかが分からないです。それに、おかしな能力を持っている可能性が高い……」


「そこでノルン。あなたの出番ですよ」


「な、何でしょうか……?」


 フェリシエルが嬉しそうな顔でノルンに話しかける。

 何を言われるのか予想できないノルンは、恐る恐る問いかける。


「まずはあなたに冒険者として私の護衛依頼を引き受けてもらいます。学生が戦場にいるのはおかしいですものね?」


「え? 私も戦場に行くんですか?」


「もちろんです。今頃エリューゼがあなたとレツィの名前で指名依頼を発注しているはずです」


 その言葉でエリューゼがノルンの冒険者プレートを持って行ったことを思い出す。

 おそらく受付嬢にノルンの冒険者プレートを見せながら、「ノルンさんからの了承は得ています」とでも言っているのであろう。


「その上であなたに二つの任務を言い渡します」


 ノルンの背中に嫌な汗が流れる。

 フェリシエルは笑顔のまま、ノルンを地獄へと突き落とす。


「一つは幽閉されているヴェルザーク侯爵のご令嬢の救出。そしてもう一つはヴェルザーク家の家令の捕縛。人員の選定はお任せしますね」

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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