060話 匿名希望
カランカラン、というドアベルの小気味よい音とともに、ノルンとルクレツィアはティールームに足を踏み入れる。
店内には常連らしき客が数人おり、新聞を読んだり、雑談に花を咲かせたりしていた。
カウンターの中では、店主が黙々とカップを磨いていた。
店主はノルンの姿を確認すると、持っていたカップをそっと手元に置く。
「いらっしゃいませ」
「オルテンシア産の茶葉は本日入ってますか?」
「遅摘みのものでしたらご用意できます」
「ありがとうございます。茶葉は細かくカットしたものが好みなのですが、お願いしてもよろしいですか?」
「承知しました。お席にご案内します」
ノルンの注文を聞いた店主は、常連らしき人物の一人に一瞬だけ視線を送る。
その客はテーブルの上に硬貨を何枚か置くと、店を出て行った。
それを見送った店主は、笑顔で二人を奥の部屋に案内する。
ルクレツィアは店内をきょろきょろと見渡しており、落ち着かない様子だった。
「ただいまお茶をお持ちいたしますので、少々お待ちください」
部屋への案内が終わった店主は、一礼して扉を閉める。
ルクレツィアは部屋に飾られた高価な調度品を見ながら、感嘆の声を上げている。
やがて、扉をノックする音が再び聞こえ、紅茶と焼き菓子を持った店主が入ってくる。
それらを音を立てずに丁寧にノルンたちの前に置くと、店主は再び一礼して扉を閉める。
「ノルン、お洒落な店知ってる。デートで使ってる?」
琥珀色の紅茶を眺めていたルクレツィアは、不意に顔を上げ、じーっとノルンを睨んでくる。
それをノルンは苦笑して受け止める。
「残念ながら相手がいないよ。ここはフェリンの隠れ家。彼女は後で来るよ」
「待ち合わせしてたの?」
「いや、ついさっき呼んだんだ」
ノルンはフェリシエルが後で合流することを伝える。
ルクレツィアはよく分かっていない様子で頭に疑問符を浮かべている。
やがて、まあいっか、といった感じでルクレツィアは手元の紅茶を口に運ぶ。
「ノルン、この紅茶おいしいね」
「焼き菓子もあるよ。食べな?」
「うん」
ルクレツィアは焼き菓子を両手で持って、嬉しそうに食べ始める。
まるで子供みたいなルクレツィアに、ノルンは自然と笑みがこぼれる。
そして、フェリシエルが来るまでの間、二人は取り留めのない話を続けた。
* * *
「遅くなってしまい、申し訳ありません」
数十分後、ノックとともに、フードで顔を隠したフェリシエルが姿を現す。
その後ろにはエリューゼも控えていた。
「あ、フェリン。やっほー」
「突然呼び出しちゃってごめんね?」
友達感覚で挨拶するルクレツィアと、申し訳なさそうに謝罪するノルン。
その二人を見てフェリシエルは笑顔を向ける。
そして、ゆっくりと空いている席に腰をかける。
「ノルンさんから呼び出しをいただくなんて、なんだか新鮮です。それに、ちょうどよかったです」
「ちょうどいいってことは、フェリンからも何か共有が?」
「ええ。ですが、まずはノルンさんのお話を伺いましょう」
フェリシエルは優雅に紅茶を口に運ぶ。
聞き役に徹するつもりなのか、にこにことノルンに笑いかける。
フェリシエルからの共有も気になるが、ノルンは冒険者ギルドでの出来事を話すことにする。
「怪しい人物に目星がついた。ヴェルザーク家の新しい家令がどうもきな臭い」
「その人、冒険者ギルドにも来てたみたい。その人が来てから冒険者も少し変になったみたい」
ノルンの言葉に追従するように、ルクレツィアも違和感を話す。
ヴェルザーク家、という単語を耳にしたフェリシエルは、考え込むように目を閉じる。
「……なるほど。詳細を伺ってもよろしいですか?」
「事の発端はスペルグの元婚約者がギルドに依頼をしに来たことだ。詳しい話は本人に直接聞く必要があるが、一年前にその家令が抜擢されてからヴェルザーク家がおかしくなったらしい」
「スペルグさんの元婚約者となると、ロシュモンド侯爵のご息女──リネットさんですね。お話の場に私が同席しても?」
「いてくれると助かるが、ここは俺一人で確認しようと思う」
ノルンは学園内でリネットの話を聞くつもりだった。
フェリシエルがいれば心強いが、彼女は非常に目立つ。
もし、フェリシエルとリネットが学園内で密談していることがスペルグの耳に入ったら、少々面倒なことになりそうだとノルンは考えた。
「その家令の人が冒険者ギルドに来てから、冒険者が無茶な依頼をするようになったり、仲間が死んでも知らん顔したりって色々おかしい。なんか自分以外のことはどうでもいいみたい。……あれ? なんか冒険者が私に馴れ馴れしくなったのも、そのせい?」
「かもしれないね」
ルクレツィアが冒険者ギルドの件を補足する。
途中で自分の身の回りで起こったことにも思い至り、頭を悩ませる。
それにノルンは同調する。
「……なるほど、よく分かりました。その家令がクラックのメンバーである可能性は高いですね」
フェリシエルもノルンと同様、クラックの関与を疑う。
これまで掴めなかった影が、徐々に輪郭を帯びてくる。
「とはいえ、あまり時間も残されていません」
「もしかして、反乱の件?」
「ええ、匿名希望の方から追加のお手紙をいただきました」
フェリシエルはそう言うと、懐から一枚の紙を取り出し、テーブルの上に広げる。
そこには力強い筆跡で、以前よりも細かい情報が書かれていた。
一つ目は、想定される反乱の日付。
二つ目は、ヴェルザーク家と共に反乱を起こすであろう貴族の一覧。
三つ目は、想定される規模や物資。
そして四つ目は、他の三つと様相が異なる情報だった。
「ヴェルザーク家の令嬢が屋敷で幽閉されている……?」
「最初の三つは政治的、軍事的にも重要な情報です。しかし、この四つ目は……」
確かに大ごとではあるが、情報的価値は低い。
反乱の首魁の娘が、反乱の首魁の屋敷に幽閉されています、というのは戦略的に価値はない。
何か意図が隠されているのかと、ノルンとフェリシエルは深く考え込む。
その二人の様子を、ルクレツィアは不思議そうに見ている。
「よく分かんないけど、助け出してほしいってことじゃないの?」
「あっ……」
ルクレツィアの何気ない一言で、ノルンとフェリシエルの目が覚める。
クラックと関係する可能性が高かったため、二人は政治と軍略ばかり考えていた。
しかし、もっとも重要なことは人道だ。
それが頭から抜け落ちていたことに気づき、ノルンは思わず天を仰ぐ。
「ルクレツィアの言うとおりだね。まったくもって恥ずかしい……」
「そうですね。となると、このメモを渡してきた匿名希望さんの正体も見えてきました」
ノルンとルクレツィアは顔を見合わせ、ばつが悪そうに笑い合う。
四つ目の情報が助けを求めるものであるなら、正体不明の情報提供者はあの人だろう、とノルンは脳内でとある人物を思い描く。
「フェリンがいる学園寮に入ることができる身分で、反乱の情報を手に入れることができる立ち位置で、ヴェルザーク家の内情に詳しい人物」
「匿名希望の情報提供者は、スペルグさんの可能性が高いですね」
スペルグ・ヴェルザーク。
ヴェルザーク家の嫡男にして、学園では純血主義の一団──パイライトのリーダーをしている。
その彼が反乱軍にとっての獅子身中の虫である。
「思えばおかしなところはあった。例えば、実地研修でネルと戦った時のことだ」
ノルンはネルとの戦闘を思い返す。
その時、スペルグはフェリシエルを守るために、自らの味方であったパイライトのメンバーと矛を交えていた。
それと同時に、立場の低いものを守るという貴族としての矜持もあった。
「彼の正義には王族への強い忠誠があった。そんな人物が王国に仇なすような反乱に賛成するとは思えない」
「入学前後での性格の変化も、彼なりに思うところがあってのことかもしれませんね」
スペルグの人物像がノルンの中で形を変え始める。
入学の時から横暴で、威圧しながら他者を見下すような嫌な人物だった。
しかし今の彼は、家と国の間で板挟みになりながら、状況を変えようと必死にもがく孤独な少年である。
「その人は味方に引き入れちゃダメなの?」
「無駄でしょう。それは彼の覚悟を汚すことになります。味方になるつもりであれば、匿名希望という形を取らず、直接話しに来るはずですから」
「……」
ルクレツィアの問いかけにフェリシエルは首を振る。
ノルンとしても、スペルグには味方でいてもらいたい。
しかし、スペルグにはスペルグの考えがあって行動しているはずだ。
ノルンにはその想いを無下にすることはできなかった。
「……反乱への対策はできてるの?」
「完璧です、とは言えませんが、ある程度手は打っています。本来は反乱を起こされる前に対処するのが理想ですが、私の権力では足りず……」
ノルンの知らないところでフェリシエルは暗躍しているらしい。
多少の血が流れることは割り切っているようだ。
理想だけでは国は守れないというシビアさを王女として持ち合わせていることが、頼もしくもあり、虚しくもあった。
「実は、反乱自体は容易に鎮圧できると思っています。それ以上に警戒したいのは他国の介入ですね。聖教国の出方を慎重に見極めたいです」
フェリシエルの発言にはノルンも同意見だ。
内乱時こそ、他国の介入で泥沼になることを過去の歴史が教えてくれる。
国政に携わる者の苦労があるんだろうな、とノルンは憐みの視線をフェリシエルに送る。
その視線に気づいたフェリシエルは、コホンと咳払いをする。
「よし、いったん情報共有は終わりかな? ところで、フェリンについて気になってたことがあるんだけど……」
「おや? なんでしょう?」
「ネルと戦った時、なんでフェリンは能力の影響を受けなかったの?」
軽い締めとして、ノルンは気になっていたことをフェリシエルに聞いてみた。
ネルとの戦闘中、ノルンだけでなくルクレツィアまでもネルの能力の影響下にあったのに、フェリシエルだけは影響を受けているように見えなかった。
ノルンはその疑問をここで解消しようと思った。
「そんなことですか。簡単ですよ?」
フェリシエルはぬるくなった紅茶を口に運び、一息つく。
そして、笑顔でその答えを告げる。
「私が為すことは、すべて正義です。そう思ってなければ王女など務まりません」
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