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霧錆びのクローデル ~滅んだ辺境伯家の嫡男は、王立学園で王国を蝕む真実を暴く~  作者: 上止正
3章:価値の在処編

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057話 空欄の想い

「ネリネちゃん、可愛かったですね~」


 静謐な空気を切り裂くように、二人分の足音と話し声が路地裏に響く。

 その音に気づいたネズミは何事かと顔を上げるが、二人を見るなり慌てて物陰へ消えた。

 ノルンとネルの二人は、今、路地裏を歩いている。


「ボク、弟がいたんですけど、子どものころのことを思い出しちゃいましたよ~」


 弟がいたことを過去形で話すネル。

 その表情は笑顔であるが、ノルンには痛々しく感じられた。


「ちっちゃい頃はわがまま放題の弟だったんですよ。でも、お父さんとお母さんが亡くなった後はあんまりわがままを言わなくなって……」


 二匹のネズミが二人の脇を駆け抜ける。

 ネルはその姿を懐かしむように目で追う。


「ごめん……」


「もう、なんでノルン様が謝るんですか?」


 何に対する謝罪なのかはノルンにも分かっていない。

 それでもノルンは謝らずにはいられなかった。

 それをネルは笑って受け流す。


「ネリネちゃん、しっかりした子じゃないですか? それがあの頃の弟と重なって、なんだか放っておけなくて……」


 先ほどの二匹のネズミのうち、一匹が鼻をひくつかせて周囲の匂いを確認する。

 やがて、二匹は細い道へと消えていく。


「……なんちゃって~。なんだか変な話をしちゃいましたね~」


「変な話じゃないよ。彼女のこと、よろしくね」


「それはもちろん、可愛い妹分ですから~」


 誤魔化すように笑うネルに、ノルンは優しく微笑む。

 ネルがネリネを見守るように、ノルンもネルのことを見守ろうと心の中で誓う。

 そして、しんみりした空気を払拭するように、ノルンはネルにからかうような質問をする。


「あれ? ヴィクトル先生は可愛くなかった?」


「殺されるかと思いましたよ……」


 ノルンの軽口に、ネルは顔を青くしながら答える。

 ヴィクトルの殺気にあてられたことが、新しいトラウマとしてネルに植え付けられたようだ。


「次に会う人は、多分そこまで怖くないと思うよ」


「誰に会うんですか?」


「クローデル難民の顔役さ」


 ノルンは隠すことなく目的を打ち明ける。

 ノルンは、ガルドとネルを引き合わせようと考えていた。


「……本当に怖くないですか?」


「本当だよ……顔以外はね」


 一度騙されたことを思い出し、ネルは疑い深げにノルンに聞き返す。

 それにノルンは、意味ありげな返答をする。

 その言葉を聞いて、ネルの足は少し重くなった。


「あ、見えてきた。あの建物だよ」


 ノルンがガルドの拠点を指差す。

 ある意味では趣のある建物に、ネルの警戒心が高まる。

 ネルの様子を見て、ノルンは苦笑しながら建物の中に入る。




「よう、ノルン様。生憎とここはデートには向かないぜ」


「馬鹿なこと言ってんなよ……」


 ガルドはいつものように、ぼろぼろのソファに座りながらタバコを燻らせている。

 ネルはノルンの背中に隠れるようにガルドに目を向ける。

 ガルドがじろりとネルを睨むと、彼女は小さな悲鳴を上げて完全にノルンの背中に隠れてしまう。


「ガルド、紹介する。彼女はネル。俺の事情はある程度知ってる」


 ノルンは困ったような笑みを浮かべながら、ガルドにネルのことを紹介する。

 ネルは警戒心を隠そうともせずガルドを睨むと、やがて思い出したように口を開く。


「あ! もしかして自警団の団長さん?」


「お? 嬢ちゃん、俺のこと知ってるってことはクローデルの人間か?」


 ネルの言葉を聞き、ガルドは嬉しそうな声で聞き返す。

 ネルは大きく頷くと、安心したようにノルンの背後から出てくる。


「もう知ってると思うが、俺はガルド。元クローデル領の自警団の団長で、今は難民の顔役のようなことをしている」


 タバコの火を消すと、ガルドは角ばって傷だらけの右手をネルに差し出す。

 ネルはその手を取り、二人は握手をする。


「ガルドさん、よろしくお願いします!」


 元気のよいネルの挨拶に、ガルドは笑顔になる。

 気が合いそうな二人を見て、ノルンは安心したように息をついた。


「ガルド、クローデルの事業についての共有だ。王女の協力を取り付けられた。土地と名前を貸してもらえることになった」


「さすがノルン様だ。信じてたぜぇ」


 ノルンの話を聞いて、ガルドは手を叩いてノルンを褒め称える。

 ネルは事業について初耳だが、クローデルの事業と聞き、身を乗り出して話に耳を傾ける。


「ただ、品質管理と監査権はしっかりと握られてしまった。だから、少し窮屈になるかもしれない」


「まあ、そこはしょうがないわな」


 フェリシエルの介入を聞いて、仕方がないとガルドは受け入れる。

 詳しい話が分かっていないネルは、なんとか理解しようと頭を捻らせていた。


「事業内容だが、清涼飲料水として家庭用ポーションを販売する。立ち上げ時の販売方式は店舗販売ではなく、定期販売と移動販売を考えている」


「ノルン様、ボクの知らないところでそんなこと考えてたんですね……」


「想定売上、原価、販管費などは……あ~、どれだけ儲かりそうで、どれだけ金がかかりそうかはこの収支計画にまとめた」


「事業を立ち上げるのってこんなに金がかかるのかよ……」


「数字ばかりで頭が痛くなりそうです……」


 ノルンは懐から何枚もの紙を取り出す。

 そして、紙に書かれている数字を指差しながら、一つ一つ噛み砕いて説明していく。

 それを見ながらガルドとネルは難しい顔をする。


「予定歩留まり……良品がどれだけ得られるかの想定は、品質管理を担当する王女と相談するつもりだ」


「……あれ? この人件費のとこ、なんで空欄なんですか?」


「ネル、いいところに気づいてくれた」


 収支計画を読んでいたネルが人件費の項目を指差しながらノルンに質問する。

 他の項目は数字が入っているが、人件費だけ何も書かれていなかった。


「ここを二人に考えてもらいたい」


「人件費……つまり、何人雇って、いくらの給料を支払うかってことか?」


「そうだ。人数や給料次第で赤字になる。ギリギリ黒字だとしても、今度は事業拡大の資金が不足する。人によっては、特定の時間しか働けないという制約もある。程よいバランスを考えた上で、事業立ち上げ時にどういった能力の従業員が必要かを考えてほしい」


「なるほど……経験則だが、誰を管理者とするのかが重要そうだな……」


 ノルンの説明を聞き、ガルドは難しい顔で考え込む。

 タバコに手を伸ばしかけるが、ネルの顔を見てその手を引っ込める。

 そして、腕を組みながら再び深く考え込む。


「ガルドはクローデル難民に顔が利く。ネルは対人能力が高いからクローデル難民との折衝を支える役目を任せられる。この部分は二人が適任だと思ったんだ」


「ボクが……クローデルのみんなの……?」


「この空欄は、クローデルの想いそのものだ。今は空っぽで何もないが、やがて多くがここに記される。さあ、大仕事だぞ」


 ノルンの言葉を聞き、ネルはぽかんと口を開ける。

「騎士団の姫」ではなくなったネルは人当たりがよく、学園でも着々と友人を増やしている。

 ノルンはネルこそが事業の要になると考えていた。


「あの!」


 ネルが突然大声を上げる。

 その声に、ノルンとガルドは思わずネルの目を見る。

 そして、自分がここまで大声を出すことを予想していなかったのか、ネル本人も驚いている。


「……商品の販売を子どもたちに任せることって大丈夫ですか?」


 やがて、ネルは恐る恐るノルンに提案する。

 ノルンはネルの目を見つめ、小さく頷いて続きを促した。


「売れた分だけ給料が上がる仕組みにしたいです」


 ネルは真剣な表情で話し続ける。

 先ほどまでの弱々しい態度が嘘のようだった。


「頑張れば……諦めなければ報われるってことを、みんなに知ってほしい」


 ──子どもが購入者に騙される可能性は?

 ──子どもが売り上げをごまかす可能性は?

 ──子どもを働かせることによる倫理的な問題は?

 ──売り上げを狙った犯罪に巻き込まれるのでは?


 様々なリスクがノルンの脳内をよぎる。

 前世の勤め人であれば、間違いなく上司から詰められるだろう。

 だが、ノルンはネルの熱意を無駄にしたくなかった。


「……」


「だめ……ですか……?」


 目を閉じて、ノルンはしばらく黙り込む。

 それを見て、ネルは不安そうに声をかける。

 やがて、ノルンは決心したようにゆっくりと目を開ける。


「……分かった。それで考えてみてくれ」


「……はい!」


 ノルンの言葉を聞き、ネルは嬉しそうに返事をする。

 ノルンは優しく微笑みかけるが、やがて真剣な眼差しでネルを見据えて語りかける。


「今、クローデル難民は差別を受ける対象となっている。差別を生み出したのはもちろん外部の人間だ」


「正直、都市の人間には思うところはあります……」


 ノルンは難民の現状を改めて説明する。

 都市を脅かそうとしたネルは、自分の気持ちを完全に清算できているわけではない。

 ノルンはそれを理解した上で言葉を続ける。


「でも、差別を根付かせるのは、彼らだけでなく、俺たちの行動と振る舞いも関係してくる」


「……」


 ネルは黙ってノルンの話を聞く。

 正しい振る舞いをすれば差別がなくなるわけではない。

 ただ、近くで見ている人のクローデルに対する見方が変わってくることだけは確かだ。


「もちろん、それで差別がなくなるわけじゃない。でも、俺は差別を根付かせたくない。そのあたりの従業員への教育や防犯対策も任せていいか? この状況を俺たちの弱みではなく、武器に変えるんだ」


「……ノルン様、ボクの正義はあなたと共にあります。あなたの期待を決して裏切りません」


 ネルはノルンに向かって恭しく礼をする。

 その目には決意の光が宿っていた。

 そして、愛おしそうに人件費の空欄を見つめていた。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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