056話 追憶の色彩
「それで、こんなところまで来ましたけど、絵の具の件と関係あるんですか?」
ノルンたちはヴィクトルに連れられて街外れの草原に来ている。
このあたりは魔物も多く出現するため、安全とは言えない。
ヴィクトルのような凄腕がいるとはいえ、ネリネのような子どもが来ていい場所ではない。
「ネリネちゃん、ボクがついてるからね~」
「もう……大丈夫ですよ」
ネルが後ろからネリネを抱きしめている。
ネリネは困ったような顔をしているが、少しだけ嬉しそうに見える。
「説明するより見てもらったほうが早いと思ってな……ネリネ」
「はいはい……」
ヴィクトルの呼びかけにネリネが応える。
彼女はネルの拘束を抜け出し、ノルンたちの前へ歩き出した。
ネリネの腰にはベルトが巻かれており、そこには手のひらより少し大きいくらいの細長い瓶のようなものが、いくつもぶら下げられていた。
歩くたびに水の揺れる音がすることから、中には何らかの液体が入っていることが窺える。
ネリネは前に立つと、腰につけた瓶の栓を抜く。
──いや、栓にしては妙に長く、先端には毛の束がついている。
どうやら栓だと思っていたものは、一本の絵筆だった。
その筆先は赤く染まり、ぽたり、ぽたりと赤い雫を地面へ落としていた。
ネリネは赤色の絵筆を思い切り横に振るう。
筆先についていた赤色の水は、遠心力によって無数の雫となって空中に投げ出される。
やがてその雫は体積を膨らませ、手のひらほどの大きさになる。
「『赤の衝動』」
ネリネが何らかの言葉を告げる。
すると、赤い雫は大きな炎へと変質し、草原に火の海を作り出す。
突然発生した炎の塊により、熱風がノルンの髪を揺らす。
「水が炎に……? いや、違う……色が関係しているのか?」
ノルンは目の前で起きた現象を解析する。
水を炎にするだけならば、わざわざ赤色のものを使う必要性が感じられない。
そうなると、赤色であるということが関係しそうだ。
しかし、いくら考えても明確な答えは思い浮かばなかった。
「私が色に抱いているイメージを形にする能力。私の宿痕 《追憶の色彩》」
ネリネはノルンたちのほうに振り返ると、火の海を背負うように淡々と説明する。
背後の火の明るさと太陽の光のせいで、ネリネが今どんな表情を浮かべているのかは分からない。
ヴィクトルは腕を組んだまま黙っている。
「赤色以外にも?」
「もちろん。例えば……《緑の諦念》」
ネリネの一言で、ノルンは足元に違和感を覚える。
目を下に向けると、ノルンの足元に生えていた雑草がドロドロに腐敗していた。
ノルンは慌ててその場を飛び退く。
「……なるほど、おおむね理解した。絵の具はあくまで補助剤というわけだね」
ネリネの目に映り、彼女が認識した色が能力の対象になるのだろう。
そのため、色を作り出すための手近な材料が絵の具なのだとノルンは理解した。
「うん、合ってる。クラックとの戦いを考えるなら、最低限の自己防衛ができるようにしておきたい。でも、絵の具は高価だし、たくさん消費できないから……」
ネリネは申し訳なさそうにヴィクトルのほうに目を向ける。
ヴィクトルの表情は変わらないが、気まずそうに彼女から視線を外している。
彼なりに不甲斐なさを感じているのだろう。
「絵の具が必要って話だけど、本当に必要なのは『色』ということで合ってる?」
「……うん? そうだけど?」
ノルンの確認に、ネリネは不思議そうな顔をしている。
ネリネの返答を受けて、ノルンは一つの提案をする。
「なら、絵の具じゃなくてもいいかもね。染料なんかはどう?」
「どう違うの?」
「絵の具は顔料や膠が必要になるから、作るのが手間なんだ。でも、染料なら植物を煮出すだけで大量に作れる。発色は少し落ちちゃうけどね」
顔料を作る場合は特殊な鉱物が必要になるケースが多い。
例えば、綺麗な青色を作る場合はラピスラズリのような希少鉱石が必要になることもある。
一方、染料の場合は、植物を水やアルコールで煮出すだけで作れる上、濃度の調節もできる。
「うん、それで大丈夫。作り方、教えてくれる?」
「もちろん。抽出用の機材は僕のお古をあげるよ」
「ほんと? ノルンさん、ありがとう!」
ノルンの提案にネリネは笑顔になる。
ノルンに礼を言うと、彼女はヴィクトルに嬉しそうな表情を向ける。
ヴィクトルも口角を上げて応える。
「よーし、それじゃあ早速お花を探しに行こう!」
「わっ、待ってよ! ネルちゃん!」
ネルはネリネの手を掴み、草原を駆け出す。
ネリネは引っ張られるようにネルの後についていく。
いつの間にか、草原の火は消えていた。
一陣の風が吹く中、その場にはノルンとヴィクトルだけが残された。
「ヴィクトル先生、聞きたいことがあります」
「なんだ」
ネルとネリネの姿が見えなくなると、ノルンは真剣な表情でヴィクトルに語りかける。
草の焦げた香りがノルンの脳を刺激する。
「一般的に緑のイメージは、回復や生命のような再生を表すことが多いです。でも、彼女は……」
「本来、俺の口から言うべきことではないが……」
ネリネの色のイメージは、普通の人が想像するものと乖離している。
赤色で火をイメージするのは分かる。
しかし、緑色のイメージは到底理解できるものではなかった。
そのことを指摘すると、ヴィクトルは言い辛そうに言葉を紡ぐ。
「ネリネは俺と一緒になるまでは村で家族ごと監禁されてて、村人に虐待されてたんだ」
死霊術師はその能力から嫌悪の対象となる。
ただ、そう生まれ、そのような能力を持っただけでだ。
しかし、家族ごと子どもを虐待するなど、常軌を逸しているとしか思えなかった。
「ネリネが言うには、緑はカビの生えた食べ物のイメージなんだと」
「……」
ヴィクトルの一言に、ノルンは黙り込んでしまう。
そうであれば、赤色が炎と結びつくイメージも碌なものではなさそうだ。
「他の色については?」
「赤色と黄色については聞いたことがある。赤色は住んでた家が燃やされたときの炎の色、黄色は檻に閉じ込められたときにかけられた村人の小便の色らしい」
その話を聞き、ノルンは吐き気が込み上げてくる。
宿痕とは、運命や生き方を具象化した能力。
ネリネのこれまでの人生で幸せだった時間はあったのだろうか。
ノルンの顔を見て何を考えているのか察したヴィクトルは、諭すように会話を続ける。
「あいつ、年の割にはしっかりしてるだろ? あれは自分を守るための殻なんだ。あいつは誰も信用していない」
ヴィクトルの言う通り、ネリネは出会った頃から気が利く少女だった。
しかしそれは、誰にも本心を見せず、常識と従順という鎧で自分を守る手段に過ぎなかった。
彼女の境遇を考えると、人間不信になるのも頷ける。
「でも、久しぶりにあいつの素の表情が見えた。あのくらい強引に行ったほうがいいのかもな。あの元クラックのガキには感謝だ」
「ネルも、何か自分に重なる部分が見えたのかもしれませんね……」
ヴィクトルは遠くを見ながらしみじみと呟く。
不器用な男ではあるが、ネリネのことを大切に思っているのだろう。
そして、ネリネにとって彼はどのような存在なのだろうか。
「お前のほうからも、あいつのことを気にかけてやってくれると助かる」
「ええ、もちろん」
ネリネは絵を描くことが嫌いといった。
それでも彼女は絵を描き続けている。
きっと、無力な自分を忘れないために行っている自傷行為のようなものだろう。
ヴィクトルの静かな願いに、ノルンは小さく頷く。
少なくとも、これからの彼女が幸せな日々を送れるように。
遠くからネルとネリネの声が聞こえてくる。
ネリネの両腕には色とりどりの花が抱えられている。
一方のネルの手には小さな花冠が握られており、それをネリネの頭に載せようとしている。
遠くから見ると仲の良い姉妹のようだ。
「ああ、それと……俺たちの監視はもう大丈夫だぞ」
その光景を見ながら、ヴィクトルはノルンに向かって、にやりと笑う。
どうやらこの男には監視などは筒抜けのようだった。
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