052話 賢さの絵
「フェリン? 禁書庫の本って書き写しても大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですよ」
フェリシエルの了承を得たことで、ノルンはカリステアの記録を書き写すことにした。
最初は暗記しようとしたが、内容が膨大だったため、大人しく重要部分を模写していく。
こういう時にコピー機やカメラがあれば、などと現代人らしい怠惰で効率的な考えがノルンの頭に浮かんでくる。
それを必死に振り払い、ノルンは黙々と書き写していく。
「そういえば、フェリンは何の本を読んでるの?」
「あら? 気になりますか?」
「そりゃあ、ねぇ……」
ずっと書き写しているだけでは暇だったので、ノルンはフェリシエルに話しかける。
フェリシエルはノルンの退屈しのぎに乗ってくれるようだ。
「意中の殿方を落とす方法が書かれた本を読んでますよ」
「いやぁ、意中の殿方の僕としては照れるなぁ」
「はいはい、冗談です。政治形態についてですね」
フェリシエルの冗談に乗ったノルンだが、当のフェリシエルからは梯子を外されてしまう。
ノルンは少しだけ肩を落とした。
そして、フェリシエルは王族らしく、政治の本を読んでいるようだ。
「民主主義、というのはご存じでしょうか?」
「国民一人ひとりが投票権を持ち、国民が主役になって政治をしよう、ってやつですよね?」
ノルンの答えを聞いて、フェリシエルは手元の本に視線を落とす。
そして、すぐに顔を上げるとにこりと微笑む。
「はい、それです。現在我が国では、貴族が政治や法の整備を行っていますが、最終決定権は国王になります。これを民主主義に変えた場合の影響を考えていました」
フェリシエルの話していることは分かる。
絶対王政+貴族制から民主主義への移行。
かなり荒れる話題である。
「特権持ちの貴族が大反発するでしょうね。それに、国民への教育が行き届いていないので、衆愚政治に成り下がる可能性が高いです。一握りの天才がいて、かつ最低限、独立性の担保が必要かと」
「制度よりも、それを運用する人間の個々の賢さと、投票時に特定の集団を作らないことが重要ということですね」
ノルンの意見に、フェリシエルは満足そうな笑みを浮かべる。
概ね似たような意見を持ったのだろう。
フェリシエルは続けてノルンに問いを投げかける。
「ノルン、あなたにとって賢さとは何ですか?」
「哲学ですか? 難しい問いですね……」
「どんなものでもいいから、あなたの意見が聞きたいのです」
フェリシエルからの懇願に、ノルンは目を閉じて考える。
ノルンはこれまで考えてこなかったことなので、頭の中で思考を整理する。
賢さの定義とは何なのか。
人類としての賢さか、個人としての賢さか、ノルンは思考の海に沈んでいく。
「僕にとって賢さとはよく分からないものですが、一言でいえば『絵』でしょうか」
「『絵』ですか?」
「はい。知識というのは情報が書かれたパズルのピースです。そのピースを分析することが知性です。知性によって肉付けされたピースを繋ぎ合わせることで、それは知恵になる。さらに知恵同士を組み合わせることで、一枚の『絵』ができあがる」
フェリシエルの疑問に対して、ノルンは自身の考えを滔々と述べる。
彼女はそれを黙って聞いている。
「知識をいろんな場所に付け替えて、異なる知恵を生み出すことができます。賢さとは一つのことに固執せず、自由に『絵』を描けることではないかと考えました。ま、こうなれたらいいんですがね」
「あら? あなたはかなり出来てる側の人間だと思いますけど」
「いえ、まだまだですよ」
フェリシエルからの賞賛の声をノルンは否定する。
ノルンは謙遜しているのではなく、事実そう思っているのだ。
ノルンは重曹というものを知っている。
それがどんな性質を持ち、何に使えるかも知っているが、製造方法までは知らない。
つまりノルンは、知識を持っているだけでは知性とは呼べないと考えていた。
「なるほど、あなたは論理の人のようね」
「論理は答えを整理してくれます。でも最後に決めるのは人です。人は感情で動くので、論理だけでは足りません」
いくら論理で筋道立てた説明をしても、最後の決定は論理度外視の感情論になることが多い。
当然だ。
一番大事な決定なのだから、熱量がある。
その熱量の前には論理など塵芥のようなものだ。
「あなたはもっと自分に自信を持ったほうがいいです。少なくとも取り巻き貴族の何倍も優秀ですよ」
「はは、そうだったら嬉しいですね」
ノルンは自己評価が著しく低い。
他の生徒より優秀に見えるのは前世の記憶のおかげで、素の自分は大したことないと考えている。
そのため行動が消極的になり、そのことを剣術の授業でヴィクトルにも指摘された。
そして、ノルンは前世の記憶のせいで、強い孤立感を味わっている。
この世界の誰とも接続できていないような、自分だけが異質で世界から隔離されているような。
見えない檻に囚われて、自分だけが外のみんなを眺めている。
ノルンはその檻から抜け出すことができずにいた。
「ところで話は変わりますが、新規事業の件、まだ市場調査中ですがなかなか感触いいですよ」
それ以上その話を続けられたくなかったのだろう。
ノルンは自己嫌悪を誤魔化すように、話題を変えた。
フェリシエルも話題の急展開を理解したが、大人しくノルンの話題に乗る。
「家庭用ポーションの件ですね。それはよかったです」
「販売先候補も少しずつ増やしています」
ギルドの依頼や何らかの用事のたびにコツコツと宣伝していった効果が出てきた。
奥様方の井戸端会議の力は凄まじい。
「おや? 家庭用といえどポーションなので、教会やギルドなどの限られた場所でしか販売できませんよ? 我が国の法律でそう定められています」
しかし、それにフェリシエルは待ったをかける。
ポーションは医薬品として販売場所が限定されている。
薬には副作用が強く出るものもあり、乱用を防ぐための措置でもある。
「フェリン? たしかに便宜上、家庭用ポーションと呼んでるけど、これは医薬品じゃなくて清涼飲料水だよ?」
「ノルンさん、あなた、まさか……」
ノルンの回答に、徐々に顔が引きつるフェリシエル。
ノルンはにこにこした笑顔で続きを説明する。
「僕は新商品開発中ということで清涼飲料水を街中で配ってますが、なぜか疲労回復の効果があると口コミで広がっているようです」
「なるほど、あなたもちゃんと貴族のようですね……」
あくまで販売元は疲労回復の効果は謳っていない。
口コミでそういう効果があるかも、と広がってるだけ。
なので、これは医薬品ではなくただの清涼飲料水である。
そんなノルンの主張に、フェリシエルは額を押さえながらため息をつく。
「はい、ということで、場所にとらわれず販売できますし、国に納めるお金も医薬品ではなく清涼飲料水の税率でお支払いします」
「……商売が軌道に乗った際、融資の相談はいつでも受け付けますよ……」
しっかりと法の抜け穴を利用してくる。
国家運営側の人間としては頭が痛い話だが、同時にフェリシエルは彼が味方であることを頼もしく感じる。
「ちなみに、エリューゼさんは何を読んでるんですか?」
考え込んだ空気を変えるように、ノルンはエリューゼに話を振る。
これまで二人の邪魔にならないよう影に徹していた彼女は、急に声をかけられて肩を震わせる。
「わ、私ですか? え、えっと、その……生物図鑑、のようなものです」
エリューゼはオドオドとした様子で持っている本を見せる。
『特殊環境下に生息する生物の観察及び飼育記録 寄贈:エルフィレム伯』
エルフィレム伯が寄贈したということは、セリアの家から贈られた禁書ということだ。
「生物図鑑、いいですよね。子どものころとかワクワクしながら読んでました。自分の知らない世界が広がる感じがして楽しいんですよね」
「そうなんです! 世界が無限に広がっていくんです! それに生き物って可愛いだけじゃないんです! それぞれが生き抜くための独自の進化を遂げているんです! 普段何気なく見ている生き物にも我々の知らない特性があって! 生き物って凄いですよね! この能力を得るために過去にどんな過酷な環境に身を置いていただろう? 淘汰されてしまった生物にはどんなものがいたんだろう? そういうのを想像するだけで夜も眠れなくなって!」
どうやらノルンは何らかのスイッチを押してしまったようだ。
普段は寡黙なエリューゼが、目を輝かせながらマシンガンのように言葉の弾丸を浴びせてくる。
少し押されてしまったノルンだが、こういう熱量をぶつけられることは嫌いじゃなかった。
「ノルンさんもよかったらこの本を、是非!」
「あ、ありがとうございます。読ませていただきますね……」
「エリューゼは好きなことになると早口になるんですよ」
ノルンはエリューゼの圧に負けて、本を勢いよく手渡される。
ただ、面白そうな本ではあるので、正直渡りに船である。
フェリシエルがにこやかに補足を入れてくるが、その必要もないほど実際に身をもって味わったノルンだった。
「あ、フェリン。最初に会ったときに『魔力が見える』って嘘ついた件、もしかして……」
ノルンの言葉を聞き、フェリシエルがエリューゼに目を向ける。
エリューゼは小さく頷くと、フェリシエルに代わって口を開く。
「はい、それは私の宿痕です。小さい頃から周りの顔色ばかり窺っていましたので……」
「……ああ、なるほど」
少しだけ寂しそうな表情を浮かべるエリューゼ。
ノルンのこともエリューゼが視て、それをフェリシエルに伝えたのだろう。
疑問に思っていたことが氷解して、ノルンは満足げな表情を浮かべた。
「しかし、エリューゼさんのような方がフェリンの近くにいてくれて安心です」
「そう、でしょうか?」
「そうですよ。大変でしょうが、これからもフェリンの手綱をしっかり握っててくださいね」
エリューゼは恥ずかしそうに顔を赤らめる。
フェリシエルはむっとした表情をしているが、気にしない。
魔力の流れを見られるということは、怪しい人物が近くにいても感知できる可能性が高い。
自由奔放な妖精に振り回されるのは同情するが、ノルンには彼女の存在が頼もしかった。
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