050話 主導権
剣術の授業がある日は、不思議と晴天になることが多い。
ノルンは直前の授業の関係で、遅れて訓練場へ向かう。
入院時の特別措置で、補習用の課題が出されており、それを提出していたためだ。
訓練場には既に大勢の生徒が集まっており、離れた場所で外部講師たちがその様子を眺めていた。
そんな外部講師たちの中にルクレツィアを発見する。
ルクレツィアと目が合うが、気まずそうに顔をそらされてしまう。
ただ、彼女は少し落ち込んでいるように見えた。
(やはり、女性の前ではあの手の話題は冗談でもやめておこう)
色街発言が原因だと思ったノルンは、後でルクレツィアに謝罪することを心の中で誓う。
彼女の機嫌を損ねてしまったことが胸に引っかかり、罪悪感ばかりが募る。
どんな感じで謝罪するかを考えているうちに、剣術の授業が始まった。
「それでは授業を始める」
相変わらず面倒くさそうな様子のヴィクトル。
ノルンの脳裏に、家で年下の少女の尻に敷かれているヴィクトルの姿がよぎる。
心でも読んだのか、ヴィクトルがじろりとノルンを睨みつける。
「お前らを教え始めて一月以上が経った。どれだけ成長したか俺に見せろ」
そう言うと、ヴィクトルは自身を中心に、木剣を使って地面に小さな円を描く。
直径一メートル程度の円で、おおよそ一歩分の幅しかない。
その中に立ちながら、ヴィクトルは左手で木剣を持ち、言葉を続ける。
「俺はこの円の中から出ない。それと、利き手は使わずに相手してやる。好きに打ち込んでこい。俺を円の外に出せたら、成績に色を付けてやる」
その言葉に生徒たちのざわめきは大きくなる。
力を認めさせたい者。
普段の授業の仕返しをしたい者。
純粋に成績を上げたい者。
動機はそれぞれだが、いずれの生徒もヴィクトルに一矢報いようと色めき立っている。
生徒たちは次々とヴィクトルに挑戦していく。
「上半身に力が入りすぎて、剣に十分な力が伝えきれていない。次」
ある生徒はヴィクトルと数合打ち合うも、剣を手から弾かれてしまう。
「腰の旋回を意識できていないから、威力が散っている。次」
ある生徒はヴィクトルに剣をいなされて、そのまま地面を転がることになる。
「真正面から切り込んでくる馬鹿がどこにいる。次」
これはアレンだ。
これまでの生徒がヴィクトルの技に翻弄されていたため、体当たりをするようにヴィクトルに突撃する。
結果は脳天に一撃を入れられ、一歩分横に避けたヴィクトルに転ばされる。
「最後、ノルン」
ヴィクトルから声がかかる。
ノルンは他の生徒と違い、本気のヴィクトルを相手にしたことがある。
その時の姿が鮮烈で、いまだに勝てる未来が見えない。
ノルンは渋々ヴィクトルの前に立つ。
「先生、まだお腹の怪我が痛いです」
「実際の戦いの場でも同じことを言うのか? 大体治ってるんだから我慢しろ」
「……手加減してくださいね」
ノルンの必死の抵抗をヴィクトルは切り捨てる。
ノルンは諦めたように剣を構えると、ヴィクトルと対峙する。
相変わらず隙が見当たらない。
ノルンはヴィクトルを中心として、緩急をつけて時計回りに動く。
利き手の反対側を意識することで、無理な体勢での攻撃を誘うためだ。
ヴィクトルも時計回りに体を動かし、ノルンを正面に見据えようとしてくる。
やがて、ヴィクトルの動きがゆっくりになり、ノルンは彼の背後を取ることに成功する。
好機と見たノルンは姿勢を低くし、ヴィクトルに一撃を入れんと一気に近づく。
するとヴィクトルは突然、反時計回りに回転し、逆水平で切り込んでくる。
回転力を利用した強烈な一撃を何とか防ぐノルン。
ノルンは手に強い痺れを感じるが、ヴィクトルは次々と木剣を叩きつけてくる。
それをノルンは受け止めるのではなく、受け流すように木剣を合わせる。
数合の打ち合いが続く。
ヴィクトルがノルンに向かって突きを繰り出してくる。
ノルンはその突きの切っ先の外側に自身の木剣を差し込む。
そのまま外から内へ円を描くように刃筋を滑らせ、ヴィクトルの木剣を巻き込む。
木剣は下へと引き落とされ、ヴィクトルは体勢を崩す。
ノルンはその流れを利用し、ヴィクトルの右側面へ後ろ回し蹴りを叩き込む。
「ほう……」
ヴィクトルの感心した声が聞こえる。
ヴィクトルは右手を使って、ノルンの蹴りを防ぐ。
体勢を崩したヴィクトルの左足は円のふちに掠めている。
ノルンはそこを唯一の隙と見て、回し蹴りの回転を利用してヴィクトルの胴に一撃を叩き込む。
だが、ノルンの一撃は彼には届かない。
ヴィクトルの長い右足が、ノルンの腹に鋭く突き刺さったからだ。
ノルンは大きく吹き飛ばされ、地面に膝を突く。
ヴィクトルは、勝負は終わりだと言うように木剣を下ろす。
それを見たノルンは肩を落として立ち上がる。
そして、ヴィクトルはノルンに向かって勝負の講評を行う。
「お前は相手に委ねすぎている。もっと自分勝手になって主導権を握ることを意識しろ」
ヴィクトルの指摘は正しかった。
ノルンには相手の出方を伺う癖がある。
そのため、どうしても後手になることが多かった。
「……はい、ありがとうございます。それと、利き手使ったんで僕の成績上げてもらえます?」
「円の外に俺を出したらという条件だったが、まあいいだろう……」
ノルンはヴィクトルの指摘を素直に受け入れる。
その直後、口角を上げながらヴィクトルに成績アップの交渉をする。
ヴィクトルは呆れたようにノルンの提案を受け入れた。
こうして、剣術の授業は終わりの時間を迎える。
次の授業の教室に向かおうとするノルンに、ヴィクトルが背後から声をかける。
その瞬間、なぜかノルンには嫌な予感が走った。
「週末、時間を作れるか?」
* * *
放課後、ノルンは図書館に向かっている。
その理由は簡単だ。
廊下ですれ違ったフェリシエルが、ノルンに意味ありげな視線を送ってきたからである。
案の定、図書館の前にはフェリシエルとエリューゼが立っていた。
「今日は取り巻きの皆さんはいらっしゃらないんですね」
「最近はエリューゼにガードを固めてもらってますから」
いつも彼女を取り囲んでいる取り巻き連中がいないので、ノルンは不思議に思って尋ねる。
どうやら、ここでもエリューゼが頑張っているようだ。
なぜか得意げなエリューゼに、ノルンは優しい視線を送る。
「……先日は女性の前で失礼しました」
「あら? 私は特に気にしていませんよ? それに、私のほうも……いえ、これはいいでしょう」
ノルンは先日の色街発言を謝罪するが、フェリシエルは気にしていないようだった。
彼女のほうは別の件で何かあるようだが、言葉を濁している。
ノルンはそれに気づくが、それ以上は踏み込まないことにした。
エリューゼは何のことか分からず、きょとんとした顔をしている。
「さて、約束を守りましょう。禁書庫についてです。禁書庫にはこのカギを使って入ります」
フェリシエルは懐から小さなカギを取り出した。
華美な装飾などされておらず、どこにでもありそうなカギだ。
「カギを持っている人物は限られます。王族、侯爵家以上の当主、学園長、シルヴェイン自由伯、そしてあなたの父であるクローデル辺境伯」
「……」
父の名前が出てきたことで、ノルンは思わず黙り込む。
「あなたがクローデル辺境伯を継ぐ時に、このカギも受け渡されたでしょう」
ノルンは着飾った自分が父からカギを渡される情景を想像した。
しかし、そんな未来はもうやってこない。
あったかもしれない『もしも』を振り払うように、ノルンはフェリシエルに続きを促す。
「このカギは、持っている人ごとに形が異なります。どのカギが使われて禁書庫が開けられたかを判別するためですね」
そう言って、フェリシエルは図書館の扉についている鍵穴に、持っているカギを差し込む。
そして手首を捻ると、キィンという高い音とともに、扉の雰囲気が変わる。
「今この瞬間、この扉は禁書庫に通じました。私たちが入ってしまえば、その後は元の図書館に通じる扉に戻りますよ」
フェリシエルは扉を開き、ノルンに中に入るように促す。
扉の奥は真っ暗で何も見えない。
それでもノルンは気にせず中に足を運ぶ。
扉をくぐった瞬間、目の前の景色に変化が訪れる。
宇宙のような空間にいくつもの書架がふよふよと浮かんでいる。
上下の感覚が曖昧で、奥行きは無限にあるとも、全くないとも感じられる。
背後で扉がパタリと閉じられる音がし、フェリシエルの声がこの空間に響く。
「ようこそ、オルテンシア王国の禁書庫へ」
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