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霧錆びのクローデル ~滅んだ辺境伯家の嫡男は、王立学園で王国を蝕む真実を暴く~  作者: 上止正
3章:価値の在処編

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048話 反乱の予兆

 時は少し遡る。


 色街の端を、二匹の猫が人目を避けるように歩いている。

 小柄な影は路地を器用にすり抜け、やがてフードの隙間から一房の髪がこぼれた。

 フードを深く被った少女たち──フェリシエルとルクレツィアだ。


 ルクレツィアは警戒心を振りまきながら小さな足を動かしている。

 一方のフェリシエルは興味深そうに周囲を見渡している。

 一見すると、表通りの子供が迷い込んできたようにしか見えない。


「ノルン、歩き慣れてる……」


「レツィさん、ここ凄いですね。お城とは違った豪華さです」


 ルクレツィアは建物の陰からじっとノルンの背中を睨んでいる。

 フェリシエルは城の煌びやかな飾り付けと比較しながら色街を眺めている。

 冒険者ギルドでノルンと別れた後、二人はこっそりノルンを尾行していた。


「フェリン、あんまりキョロキョロしてると変な男がついてくるよ」


 いつの間にか愛称で呼び合うようになった二人。

 色街探索という小さな冒険により、絆が結ばれたのだろう。


「あ、ノルンがお店に入ったよ」


「ノルンさんも男の子ですねぇ。さあ、彼の女性の好みを確認しに行きますか」


 ノルンが店に入ったことを確認し、ルクレツィアはフェリシエルに語りかける。

 それを聞いたフェリシエルは、わくわくした様子で通りに躍り出る。

 まるで年の離れた兄の秘密を探ろうとする妹のようだった。


 店の様子を確認しようと、二人は早足で歩き出す。

 その時、不意にアルコールの匂いが二人の鼻腔をくすぐる。

 そして、何者かがルクレツィアの肩を強引に掴む。


「お嬢ちゃんたち、お店の客引き? いくら? 今夜は俺の相手をしてくれない?」


 好色そうな男は、嫌らしい目つきで二人に話しかける。

 上から下まで舐め回すような視線を遠慮なくぶつけてくる。

 フェリシエルは本能的な嫌悪を感じる。


「一度だけ忠告。触らないで」


「そんな怖い顔しないでよ? ま、俺がベッドの上でその顔を蕩けさせてあげる」


 ルクレツィアは静かな怒りを携えて、男を睨みつける。

 しかし男は気にした様子もなく、へらへらした口調で語りかけてくる。

 フェリシエルは腕を組みながら無表情で男を見上げている。

 剣呑な空気が流れ、通行人がざわめき始める。


「汚らわしい……」


 ルクレツィアは肩に置かれた男の手を握り返し、路地裏のゴミ置き場に向けて男を思い切り投げ飛ばす。

 男は音を立てながらゴミの中に突っ込み、そのまま立ち上がることはなかった。

 きっと、自分に何が起こったのかを理解することもなく気絶したのだろう。


 周囲には穴が開いたようにぽっかりと空間が広がる。

 二人は気にした様子もなく、そのままノルンが入った店に向かう。

 背後からは感嘆の声と喝采が巻き起こる。

 その声に紛れて、俺も投げ捨てられたい、などと気持ち悪い言葉が聞こえてくるが、二人は気づかない振りをした。


「これだから男は嫌い」


 ルクレツィアはため息まじりで愚痴をこぼす。

 同性のフェリシエルから見ても、ルクレツィアの顔は整っている。

 冒険者という仕事も相まって、こういうことは何度もあったのだろう。

 フェリシエルは店に到着するまでの間、ルクレツィアを落ち着かせることになった。



 * * *



「ノルンさん、何してるの? って、あら?」


 店に入るや否や、フェリシエルはいたずらな笑みを浮かべてノルンの名前を呼ぶ。

 しかし、そこにノルンの姿はなく、女主人が退屈そうに立っているだけだった。


「嬢ちゃんたち、ここはあんたらのような子どもが来るところじゃないよ」


 女主人は二人を見ると、面倒そうに窘めた。

 目的の少年は見当たらず、フェリシエルとルクレツィアは困惑する。


「あら? こちらに黒髪の少年が入ったはずですが……」


「なるほど、子猫ちゃんはあんたらだね」


「子猫ちゃん?」


 フェリシエルの疑問に、女主人は小さく呟く。

 ルクレツィアは子猫ちゃんという言葉に首を傾げる。


「ノルンさんは仕事中だよ。もう一度言うが、ここはあんたらのような子どもが来るところじゃないよ」


「仕事? ノルンは遊びに来たんじゃないの?」


 女主人からの仕事という言葉に、二人の脳内に疑問符が生じる。

 ルクレツィアは素直にノルンのことを尋ねる。


「あんたたち、ここがどういう場所か知ってるかい?」


「……そ、その、男の人と女の人が、えっと……」


「……! ノルンさん、まさか……!」


 女主人の突然の質問に、ルクレツィアはどもりながら答える。

 久々に見る初々しい様子に女主人は少しだけ楽しげだ。

 一方のフェリシエルは何か妙な勘違いをしている。

 普段の聡明さを欠片も発揮できていない。


「分かってるんならいい。あと、ノルンさんは別の仕事だ。……あんたら、この仕事をどう思う?」


 ノルンの名誉のため、女主人は訂正する。

 そして、真剣な表情になると、二人に春を売る仕事について問いかける。


「……私は嫌い。自分を他人に委ねる行為は愚か。それは自分の魂の奥深くに他者を混ぜ込む行為。自己の基準が曖昧になる」


 ルクレツィアは少し考え、自分の考えを伝える。

 彼女は自己の確立というものを重要視していることが分かる。

 不特定多数との性行為は、彼女にとっては自己の境界線を曖昧にする行為のようだ。


 その答えを聞いたフェリシエルは、少しだけ彼女のことを理解する。

 なぜ、彼女がノルンが色街へ行くことに嫌な顔をしているのか。

 信頼した友の魂に、知らない誰かが入り込むのを見たくないからだろう。


「私は特に何も。それが一時の享楽を与えるだけなら問題ないです。ただし、永続の堕落を生むのなら悪とします」


 一方のフェリシエルは、王族らしく社会への利害として見ている。

 享楽であれば、それは個人のストレス解消に繋がっていき、他の活動に良い結果を促す。

 ただ、堕落に繋がるのであれば、社会は衰退し、退廃的な未来を辿ることになるだろう。


「あんたらは正しい。誰かにとっては善だが、誰かにとっては悪。それがこの仕事だ」


 女主人は目を伏せて静かに語る。

 一般的には良い見られ方をしない仕事である。

 これまで、色々な言葉を投げつけられてきたのだろう。

 だが、それでも誰かにとっては必要な仕事だ。


「ノルンさんは私たちの助けになってくれる。この商売は病気とは切っても切り離せなくてね。定期的に薬を届けてくれるのさ」


「……」


 二人は黙って女主人の言葉を聞く。

 ノルンをからかってやろう、くらいの気持ちで訪れた色街。

 しかし、そこでのノルンの活躍を聞き、申し訳ない気持ちが湧いてくる。


「病気になると移さないよう隔離される。隔離されると客が取れない。客が取れないと金が稼げない。金が稼げないと治療ができない。治療ができないとどうなる? 苦しみながら死ぬしかないのさ」


 ルクレツィアには関わりを持たない世界。

 フェリシエルには目の届かない世界。

 二人の知らない世界のことを、女主人はゆっくり語る。


「私らは客に一夜の夢を見せるのが仕事だ。でも、あの子は私らにこれからの現実を見せてくれる」


 女主人は店の奥に視線を向ける。

 おそらくノルンはそこにいるのだろう。

 だが、今の二人にはその奥に向かう勇気がなかった。


「あの子のこと、ちゃんと見ててあげてね? さ、そろそろ夜も近づいてくる。二人とも、今日はもう帰りな」


 そう言って女主人は二人の背中をそっと押す。

 二人は一度だけ店の奥をちらりと見ると、そのまま店の外に出る。

 そして、自分たちの知らないノルンを思いながら、色街から離れていく。



 * * *



「ところで、最近お客さんから変わった話ってあります? 僕も商売人を目指しているので、そういった話は聞いておきたくて」


 ノルンの言葉に、店の女性は少し考え込む。

 やがて、思い出したように口を開く。


「二日前にお客の商人さんから自慢話を聞いたよ」


「へぇ、どんなお話ですか?」


 こういう店は地元の人間だけじゃなく、旅商人も多く利用する。

 そして、当然お店にお金を出せるのは儲けに成功した旅商人だ。

 そういった商人の自慢話は馬鹿にできるものではない。


「ヴェルザーク領で食料と塩が大量に売れたんだって。かなり儲けたらしくて羽振りがよかったよ。どうも鉄の需要もあるらしくて、またすぐに商売しに行っちゃった」


「……食料、塩、鉄。戦争でもあるんですかね?」


「だとしたら怖いねぇ。戦争があると荒っぽいお客さんも増えるから、私らとしても気になる話だよ」


 ノルンは深く考え込む。

 ヴェルザーク家──パイライトのリーダーであるスペルグの実家だ。

 入学前後で性格が一変し、婚約解消まで行った貴族の嫡男。

 しかし、ネルとの戦闘時、彼は忠義に厚い人物のように見受けられた。


「興味深いお話、ありがとうございます。僕もこの波に乗り遅れないようにしないと」


「ノルンちゃん、王都を離れちゃうの? 寂しいわ~」


 女性はわざとらしく悲しむふりをしながら、ノルンに抱きついてくる。

 ノルンは苦笑しながらそれをいなし、ポーチから現在開発中のドリンクを取り出す。


「あはは、まだ離れませんよ。そうだ、これから売り出そうとしてる開発中の商品があるんです。いかがですか?」


「あら? くれるの? ありがとう、ノルンちゃん」


「今度、効果や味を教えてもらえると嬉しいです」


 この店でもちゃっかりと営業をするノルン。

 女性は嬉しそうに商品を受け取る。

 ノルンはこうして着々と販路を広げていった。


「それじゃ、今日はもう帰ろうと思います。何かあったら教会跡の家にいる婆さんに連絡してください」


 ばいば~い、という女性の声を背にし、ノルンは店を出る。

 店を出た瞬間、ノルンの顔は険しいものになる。

 ヴェルザーク家が戦争の準備を進めている兆しかもしれない。

 それを考えながら、ノルンは家路についた。

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