045話 半人前の卒業
初夏の風が街全体を包み込み、住人たちの頬を優しく撫でる。
この時期の風は、春の終わりを思わせる物寂しさと、夏の訪れを感じさせる緑の青臭さを運んでくる。
住人たちは来たる夏に向け、家畜用の干し草作りのために牧草を刈り取り、さわやかな汗を流している。
「ぷはっ……終わったぁ! なんでこんなに下水道入り組んでんだよ」
そんなさわやかさとは裏腹に、一人の少年──ノルンが下水道の奥から姿を現した。
ノルンが顔を出した瞬間、近くを歩いていた子どもたちが一斉に鼻をつまんだ。
たとえ初夏の風であろうとも、彼を包み込む異臭は吹き飛ばせないだろう。
ノルンは依頼人を見つけると、手を挙げて声をかける。
「奥さん、ご依頼の異臭問題、終わったよ」
「ああ、ノルンさん。いつもありがとうね」
ノルンは冒険者ギルドの依頼として下水道の掃除を行っていた。
異臭問題を解決してほしいという依頼で、依頼掲示板の隅で色褪せていた依頼だ。
どの冒険者も手を付けない、いわゆる塩漬け状態になっていた。
「下水道の奥のほうで泥が詰まっていてね。汚れた水が滞留していたみたい。流れを元に戻したから、数日もすれば異臭はなくなると思うよ」
「ほんと、すまないねぇ。こういう依頼は冒険者さんには無視されちゃうから、ノルンさんにやってもらえて助かってるよ」
依頼者も塩漬けされることは覚悟していたのだろう。
それをノルンが拾い上げた形になる。
「大丈夫ですよ。また、何かあったら御贔屓にしてください」
ノルンはスプレーで体に何かを吹きかけながら応える。
すると、下水の臭いに混ざって、ハーブのさわやかな香りが依頼人の鼻腔をくすぐる。
「ノルンさん、それは?」
「匂いをごまかすための薬品ですよ。色々と試験運用中なんです。よろしければ差し上げましょうか?」
「あら、いいの? 悪いわねぇ」
ノルンが作った香水もどきに興味を示した依頼者。
もちろん、ノルンはわざと依頼者に見せた。
消臭効果はなく、香水のようにノートの変化も殆どないようなものだ。
ノルンは最近、家庭向け商品の開発にも手を出していた。
「いえいえ、構いませんよ。あ、それと、以前差し上げたポーション、どんな感じでした?」
「いただいたポーション、すごく美味しかったわ。兵士として勤めてる旦那も『翌朝も疲れが残らない』って喜んでたわ」
ノルンは依頼の都度、家庭用ポーションの試作品を配っている。
いわゆる市場調査の一環だ。
こうして市場の声を参考にし、商品開発を進めている。
「それは良かったです。お味のほうはいかがでした?」
「私は果実の味が感じられるのがよかったわ。旦那はさっぱりした味のほうが好みだったみたいだけど」
「ありがとうございます。商品改良に役立たせてください」
生活様式の違いによって、求める味の嗜好性が変わることはよくある。
ノルンは依頼人の言葉を、頭の中のメモに書き留めた。
「もしご迷惑でなければ、お知り合いの皆さんにもお渡しいただくことは可能でしょうか?」
「ええ、もちろん大丈夫よ」
「ありがとうございます! 商品化した際にはお得意様価格でご提供させていただきますね」
もちろん、宣伝も忘れていない。
基本的に、人は善意に報いたいという気持ちを抱きやすい。
ノルンは営業スマイルを浮かべながら、依頼完了のサインを受け取る。
そして、報告のために異臭を引き連れてギルドに向かった。
* * *
「ノルン、ノルン、ノルーン」
ノルンが冒険者ギルドに入ると、ノルンを呼ぶ声がギルド内に響き渡る。
ノルンを目敏く見つけたエルフの少女──ルクレツィアが小走りで駆け寄ってきた。
「……くさい」
「下水処理をしてきた働き者の匂いと言ってほしいな」
鼻をつまみ、眉間に皺を寄せながらルクレツィアは話しかける。
ルクレツィアの投げる言葉の直球を、ノルンは苦笑しながら受け止める。
「それより、これ見て!」
ルクレツィアは腰に手を当てて胸を張る。
彼女の胸元には白金のプレートがぶら下がっていた。
子供が親に自慢するような様子が微笑ましい。
「お? ついに白金ランクに昇格したんだね。流石はレツィ。おめでとう!」
ノルンからのお褒めの言葉にドヤ顔のルクレツィア。
あまりにも可愛らしい様子なので、ちょっと意地悪したい気持ちが湧き上がる。
「僕の引率係も終えて、白金ランクになって。なんだかレツィが遠くに行っちゃったみたいだ」
ノルンは寂しそうな表情を浮かべる。
その表情を見て、ルクレツィアは不安そうな表情で話しかける。
「……遠くに行ってないよ。私はノルンの目の前にいるよ」
捨てられた子犬のような目で見上げてくるルクレツィア。
彼女との出会いから一ヶ月以上が経過している。
引率係か、学園の外部講師か、はたまた他の依頼か。
いずれかの依頼が認められて、ルクレツィアは無事に冒険者ランクを上げられたようだ。
「でも、臭いからもうちょっと遠くに行って」
「あはは……さっさと依頼報告して、着替えることにするよ」
香水もどきは期待したほど効果がないというか、異臭を悪化させているようだった。
周囲にこれ以上迷惑をかけないためにも、ノルンは受付へと足を進める。
「……ノルンさん、依頼完了ですか?」
受付嬢の顔が引きつっている。
ノルン本人は鼻が慣れてしまって気付かないが、相当な匂いを放っているらしい。
申し訳ない気持ちが強くなる。
「すみません。すぐ立ち去ります……。こちら、依頼人からの署名もあります」
「いえいえ、大丈夫ですよ。……はい、確認しました。こちらの依頼を片付けていただいて、ギルドとしても助かります」
依頼人の署名を確認すると、受付嬢は笑顔で報告を受領する。
誰かに感謝される仕事ほど、報酬が少ないため冒険者には後回しにされる。
こういった依頼を消化してくれるノルンのような冒険者は、ギルドにとっては貴重な存在だ。
報酬を受け取り、ノルンは足早に立ち去ろうとする。
「あ、ノルンさん。少々お待ちください」
そんなノルンを受付嬢が呼び止める。
ノルンが振り返ると、受付嬢は嬉しそうな笑顔でノルンに告げる。
「ギルドへの貢献度から、次のランクに昇格できますけど、いかがなさいますか?」
ノルンは現在、最低ランクの銅である。
冒険者としての大成を考えていないノルンとしては、正直どちらでもよい話だ。
ノルンは腕を組みながら深く考える。
「別に悪いことがあるわけでもないし、昇格したら?」
いつの間に背後にいたのだろう。
ひょっこりと顔を出してきたルクレツィアがノルンに話しかける。
「ギルドからの強制依頼とかあったりしない?」
ノルンは昇格にあたって一番気にしていることを尋ねた。
もしランクによる強制依頼がある場合は断ったほうが動きやすい。
「銀以上はないよ。報酬額が増えるし、受けられる依頼の幅も増えるから、損はないと思う」
「はい、ルクレツィアさんの仰る通りです。ランクによる制限で補足があるのだとすれば、失陥領域と未開拓領域ですね。そこの探索を行う場合は、鉄以上のランクが必要になります」
ルクレツィアの回答に、受付嬢も同調する。
受付嬢の補足の中に、未開拓領域の話が出てくる。
この話を聞いて思い出すのが、フェリシエルの回想だ。
──未開拓領域で待つ。
クラックの《演出家》の話を信じるのであれば、鉄ランクまで上げたほうが動きやすくなるだろう。
「うーん、そうですね。折角なので昇格のお話を受けようと思います」
「ギルドとしても、ノルンさんのような素行がよくて、討伐以外の依頼を受けてくださる冒険者が昇格されるのは大変喜ばしいです」
受付嬢が手を叩いて喜ぶ。
世間一般的に、冒険者というのは荒くれ者の集団だ。
そんな組織に重要な依頼を託していいものか、という不安の声も少なからず上がっている。
ノルンのような人材は、ギルド自体の信用向上にも繋がるのだろう。
「それでは、真鍮のプレートを用意しますので、明日受け取りに来てください」
「ふふふ。これでノルンも半人前から抜け出せたね」
ルクレツィアがノルンに先輩風を吹かせている。
彼女の嬉しそうな様子を見て、ノルンも顔が綻ぶ。
受付嬢もその様子をにこやかに眺めている。
「ルクレツィアさんも、ノルンさんの人当たりの良さを見習ってくださいね」
受付嬢から何気ない一言。
それはルクレツィアの心を傷つけるのに十分な鋭さを持っていた。
ルクレツィアが肩を落とす姿を見て、ノルンは苦笑しながら慰めることになった。
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