044話 正義の味方
「何か、言うことはあるかい?」
「……ないです」
老婆──グレイが呆れた声を出す。
ノルンは苦笑しながらも、上を見る。
知っている天井。
以前お世話になった治療院の一室だ。
「この短期間にまた腹に穴を開けて……」
「すみません……」
「治療院の人の顔、ちゃんと見たかい?」
「呆れてたし、すごく怒ってました……」
「迷惑をかけているって自覚はあるのかい?」
「あります……」
グレイからのありがたいお説教の数々を、ノルンは大人しく受け入れる。
ノルンが治療院に運び込まれた時の、「またあなたですか……」という担当者の顔は忘れられない。
窓際の棚に目を向けると、花瓶には花が生けられ、その傍らにはメッセージカードが添えられていた。
さらに、有名な菓子店のお菓子も置かれている。
花とメッセージカードはセリアがお見舞いの時に持ってきたものだ。
さりげない香りを放つ上品な花と、心温かいメッセージカード。
セリアらしいきめ細やかさだ。
一方のお菓子はアレンからのものだ。
腹に穴が開いている状態でお菓子を食べてもいいのだろうか。
治療院の人たちに見つかったら怒られそうだ。
その辺りの無頓着さと友人思いなところがアレンらしい。
「はぁ~、まったく……まあ、いいさ。無茶をするのは若者の特権だ。年を取ると、無茶というのは避けるようになるからね」
ノルンを諭すことに疲れたのか、老婆は額に手を当て、小さくため息をついた。
そして目を閉じると、年寄りらしい含蓄のある言葉を静かに口にする。
その言葉には、自らの過去への悔恨とも諦観ともつかない響きがあった。
それ以上踏み込むべきではないと感じ、ノルンはあえて尋ねなかった。
「さて、そろそろ治療院の面会時間も終了だ。ババアの説教も聞き飽きただろう? それに……」
すると、部屋の外がにわかに騒がしくなる。
誰かが喧嘩でもしているのだろうか。
言い争うような声が徐々に近づいてくる。
やがて、治療院の扉がガラッと音を立てて開く。
「ノルン! ごめんね! 大丈夫? ごめんね!」
「ノルン様! ケガの具合は大丈夫でしょうか?」
ルクレツィアとネルが病室に飛び込んできた。
二人とも泣きそうな顔でノルンのケガを心配してくる。
その二人の後ろから、フェリシエルも静かに入室してくる。
「レツィ! 痛い痛い! おなかを触らないで!」
「ノルン! ごめん! ごめん!」
ルクレツィアは心配のあまり、ノルンの腹を触る。
自分が刺した箇所を確認したかったようだ。
当然、触れられると痛みがあるわけで、ノルンはベッドの上で悶えることになる。
「それでは殿下、後のことはお願いします」
「ええ、分かりました」
グレイから後を託されたフェリシエルは笑顔で応える。
グレイは口元に笑みを浮かべながら静かに病室を後にする。
「ノルンがケガしたのは私のせいだから何でも言ってね。一生懸命お世話するから」
「そもそもボクが敵対しなければ入院することもなかったよね? ボクに何でも言ってね?」
「直接的な原因を作ったのは私だから、私に権利がある」
「それはボクの宿痕によるものだから、根本的な原因はボク。つまり、ボクに権利がある」
ルクレツィアとネルはどちらが悪いかで言い争っている。
どうやら、よりノルンを傷つけたほうに世話係の権利が発生するようだ。
ネルの能力が解除されている今、ノルンは彼女に対して思うところは特にない。
あれだけあった彼女への殺意が嘘のように消えている。
彼女のことをクラックではなく、クローデルの領民として見ているからだろう。
ノルンが苦笑していると、フェリシエルが話しかけてくる。
「学園のほうは私が何とかしましたから、万事問題はありませんよ」
「お手数をおかけします……」
その事件の後始末で、フェリシエルは関係各所を走り回った。
ノルンが悪いわけではないのだが、なんだか借りを作ってしまった気分になる。
「生徒のケガは、地下水位の変動と地滑りが運悪く重なって発生した自然災害によるもの、ということが公式に発表されました」
「なんか無茶苦茶ですが、納得する人はいますかね?」
「公式発表されたということは、それが『事実』ということです」
「なるほど……」
笑顔で言ってのけるフェリシエルに、ノルンは苦笑する。
ノルンは改めて国家というものを知ることになる。
「また、ネルさんの能力下にあった生徒たちですが、幸いにも記憶が混濁しているようです。いざこざがあったことは覚えていますが、自然災害によるパニック状態ということになっています」
「それはそれで、大丈夫ですか?」
ネルの駒として正義感が増幅されたパイライトと騎士団のメンバーたち。
変なトラウマを抱えなければよいが、とノルンは彼らを心配する。
「それで、ネルの処遇はどうなります?」
ノルンの一言で、病室は静かになる。
ネルは不安そうに、様子を伺っている。
フェリシエルはしばらく黙り込み、やがてゆっくりと口を開く。
「……残念ながら、国家転覆罪で死罪です」
病室を重い沈黙が支配する。
病室の白い壁がノルンを責めるような圧迫感を生んでいる。
どこか現実感のない空気だった。
だけど、セリアからもらった花の香りが現実であることを思い知らせてくる。
「ま、当然だよね。ボクがやったことはある意味では国家に対する傷害だし」
「ネル……」
ネルは笑いながらあっけらかんと言い放つ。
しかし、その目元には涙が浮かんでいる。
どこか覚悟はしていたのだろう。
その健気さが今は痛々しい。
「罪は罪として大人しく受け入れる覚悟はあるよ。正直、今こうして自由にここにいるのが不思議なくらいだし」
「……」
辻斬りの件。
ネルは直接手を下したわけではないだろうが、彼女の能力によるものなのは確実だ。
彼女は間接的に四人を殺害していることになる。
そして、フェリシエルへの襲撃の件。
これは明確な国家への反逆。
本人が目の前にいる以上、言い逃れはできないだろう。
ノルンは沈痛な面持ちでネルの顔を見る。
そんなネルは、困ったような笑みを浮かべている。
フェリシエルは目を閉じたまま黙っていると、ゆっくりと口を開く。
「ま、嘘なんですけどね」
「は?」
病室の中はポカンとした空気が漂う。
それを見て、フェリシエルはいたずらが成功した子供のように笑う。
「クラックの生き証人ですよ? 私が死なせると思いますか?」
「それは、確かに……」
「王国内にすでにクラックが入り込んでいるのなら、捕らえる意味がありません。目の届かない牢獄に閉じ込めるより、私の監視下に置いたほうがマシです」
フェリシエルが話す内容は理にかなっている。
ネルをクラックとして知らしめて捕らえることは、ノルンも不安視していた。
ノルンがクラック側の人間なら、間違いなく口封じを命じるからだ。
「辻斬りの件も、被害者には申し訳ないですが、闇に葬らさせていただきます。調査によると、あの衛兵も表向きにはできない問題を抱えていたようですし。いわゆる政治的な判断、というやつですね」
「一応言っておきますが、ご自身の安全も考えておいてくださいよ?」
フェリシエルの発言には、彼女自身へのリスクが無視されていた。
念のため、ノルンは彼女にくぎを刺す。
フェリシエルはノルンににこりと微笑みかける。
「ネルさんには生涯、私とノルンさんに尽くしてもらいます。それが嫌だというのなら、やはり死んでいただくか、どこかで一生幽閉させていただくことになります」
フェリシエルは厳しい目つきでネルを見る。
ネルに顔を向けると、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
自分の処遇に不満があるわけではない。
彼女自身、甘すぎる判断に強い自責の念を感じているのだろう。
「ネル、君はどうしたい?」
「ボク、ううん、私は……」
ノルンはネルに問いかける。
これはこれからに対する問いだけじゃない。
これまでに対する問いも含んでいる。
それに気づいたのだろう。
ネルは真剣な眼差しで答える。
「罪を忘れることはできません。いずれ、必ず裁きを受けるべきだと思っています。私は自分を許したくない。今のままではクローデルのみんなに……家族に顔向けができない」
ネルは自身の罪悪感を吐露する。
《演出家》に騙されているとも気づかず、クラックを信じた自分。
復讐のために能力を使い、命を弄んだ自分。
そんな愚かな自分を罰したいという気持ちが伝わってくる。
「でも、自分の立場も理解しています。元クラックのメンバー。それを利用したいという殿下の思惑も理解しています」
生きるべき理由と死ぬべき理由が、ネルの中で糸のように複雑に絡み合っている。
彼女はその糸をゆっくりと解きほぐすように言葉を紡ぐ。
「今死ぬことは、マイナスのまま逃げてしまうような気がしています。いつか裁きを受けるなら、ゼロに近づいてから裁きを受けたい。だから、こんな愚かな私に、罪を償う機会をください」
彼女の言葉には生きることへの申し訳なさが感じられる。
そして、ゼロに近づいて死ぬ。
プラスになることは決して許されないという強い自責の念に、ノルンの心は締め付けられる。
「ノルン様。私は罪人です。あなた様のお側にいることが相応しくないことは分かっています。ですが、あなたと共に夢を見たいのです。あの日のクローデルの輝きを取り戻したいのです」
ネルの懺悔と意思がノルンの胸を抉る。
彼女のクローデル領への思いが痛いほど伝わってくる。
そんな彼女に向かって、ノルンはゆっくりと口を開く。
「……ネル。俺は君に夢を見せることはできない」
「……そう、ですよね」
ノルンの言葉に、ネルは沈痛な面持ちを見せる。
裏切られた、という思いはない。
断られて当然だ、とネルはそう思った。
それを見て、ノルンはなおも言葉を続ける。
「君が見るのは現実だ。泥だらけで吐きそうになるほど目を背けたくなるような現実。クローデルが再興するその一歩一歩を君は見ることになる」
ノルンは夢のような希望に溢れた未来絵図を約束することはできない。
ただ、夢を叶えるために足掻く様を見せることになるだろう。
ノルンはネルの目を見ながらはっきりと告げる。
「途中で逃げることは許されない。ネル、俺と共に茨の道を歩む覚悟はあるか?」
ネルの目に光が取り戻されていく。
自分の信じた道が、正しく目的地に向かっていることを知る。
その道は決して楽なものではないだろう。
それでも、ネルにはその言葉こそが新たな自分を導いてくれる確信があった。
「喜んで……喜んでお供させていただきます」
ネルは目に涙を浮かべ、恭しく頭を下げる。
ノルンは微笑みながらその様子を見守った。
「まったく、ノルンさんは甘いですね。私にも同じくらい甘くても罰は当たらないのに」
「殿下はそういうのいらないでしょ……」
フェリシエルのからかうような言葉に、ノルンは苦笑する。
その言葉で病室の空気が和らぐ。
「なんか、私だけ状況がよく分かってない」
ルクレツィアは困惑した表情で首をかしげる。
あとで教えるから、とノルンはアレンからもらったお菓子を彼女に渡す。
それを受け取り、リスのように食べるルクレツィア。
ようやく日常が戻ってきたのだと実感する。
そして、フェリシエルの一言で今回の事件は幕を閉じることになった。
「真実を知るのは我々だけです。どうかご内密に」
* * *
彼の正義に救われた。
偽りの正義に塗れた私を救い出してくれた。
私はまだ自分を許せていない。
だけど、彼といれば少しは自分のことが好きになれるかもしれない。
彼がいる限り、私たちのクローデルの未来は暗いものではない。
彼の信頼に応えたい。
クローデルに恩返しをしたい。
胸を張って家族に会いたい。
彼と共に……
──ああ、きっと彼こそが、私の正義の味方なんだろう。
~第二章 正義のミカタ編 完~
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