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霧錆びのクローデル ~滅んだ辺境伯家の嫡男は、王立学園で王国を蝕む真実を暴く~  作者: 上止正
2章:正義のミカタ編

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043話 正義を果たせ

「ふざけるな! ボクたちを見殺しにして! ボクたちを辛い目に遭わせて! 死体の上で胡坐をかいて、富と栄誉を集めれば満足なのか! ボクたちは! クローデルはお前たちのことを許さない!」


 そのネルの言葉に、ノルンは頭をハンマーで殴られたような強い衝撃を受ける。

 ネルがクローデル領の人間?

 クラックのメンバーなのに?

 倒すべき敵?

 守るべき仲間?


 ──憎悪、慈愛、自責、困惑。

 ノルンの脳内で、様々な感情がドロドロに混ざり合う。

 ドロドロのスープがゆっくりと沸騰するように、感情が膨れ上がっては破裂し、『自分の意思』というものが分からなくなる。


 一方のネルは、ただ一つの感情を宿している。

 ──怒り。

 いや、正確には違う。

 その瞳に宿るのは、揺るぎない覚悟。

 それこそが、正義という名の感情なのかもしれない。


「お前たちを殺す! ボクたちがもう何も失わないように! ボクが、『私たち』を救うんだ!」


 ネルを中心に空気がうねり出す。

 彼女はフェリシエルを睨みつけ、魔法を行使する。

 地面からいくつもの土の槍がせり上がり、串刺しにせんとフェリシエルに襲い掛かる。


 フェリシエルの能力は、その場に留まる義務と攻撃する権利。

 つまり、その場を動かず、魔法による遠隔攻撃を行うことは可能だった。

 フェリシエルは当然、そのことを想定していたのだろう。

 襲い掛かる槍を氷の壁で防御し、新たな槍が出現しないよう地面を凍らせる。


「澄ました顔で、ボクを見るな!」


 ネルの瞳が暗く赤い色に輝く。

 ノルンはそれに見覚えがある。

 あの霧の日。

 クローデルの人間が魔物に変わった日。

 魔物になる直前の人間が、そんな色の瞳をしていた。


「ネル! 待っ──!」


 ノルンの制止の言葉は、ネルの新たな魔法により遮られる。

 大規模な地殻変動が起きたかのように周囲の地面が隆起する。

 それと同時にネルを中心に大量の地割れが発生する。

 フェリシエルは地面の揺れに耐えられるよう、ネル以外の全員を氷の壁で支える。


 おそらくネルは自分自身に宿痕の能力を使ったのだろう。

 一人の人間では到底成し得ないほどの魔法を行使する。

 瞳の赤が徐々に濃くなっていく。

 ノルンたちの周囲に巨大な土の壁が出現する。

 壁の大きさに比例するように、地割れは徐々に大きくなっていく。


「ボクの正義に圧し潰されて死ねっ!」


 ネルは魔法で自身の足場を隆起させ、その勢いのまま宙へ跳ぶ。

 そして、荒々しい言葉とともに周囲の土壁を倒壊させんと魔法を行使する。

 土壁がノルンたちに向かってゆっくりと倒れこんでくる。


「その場を、動きましたね?」


 鈴のような声が戦場に静かに響く。

 フェリシエルは無表情で空中のネルを見上げる。


「攻撃する権利を剝奪する」


 そう静かに宣言すると、土壁はその場で崩れていく。

 ネルの意思など無視するように、ボロボロと崩れ落ち、ただの土塊へと戻っていく。


「……え? なんで?」


 ネルは困惑した表情を浮かべる。

 そして、自分が空中にいることを思い出し、着地のために魔法を行使しようとする。

 しかし、魔法が使えない。

 魔力は確かに感じるのに。

 何度試しても、使えない。

 地面にできた地割れが、ネルを罰する地獄の口のようにぽっかりと空いている。

 やがて、ネルは諦めとも悔しさとも言えないような表情を浮かべ、ゆっくりと地面に向けて落下する。


 世界が、ゆっくりと動く。

 ノルンは落下するネルを見る。

 まるで、砂時計が最後まで落ちるのを見ているかのような時間。

 このまま彼女は地割れに飲み込まれて、その生を終えるだろう。


 ──ふざけるな!


 ノルンは自身に風の魔法を使い、その場を飛び出す。

 魔法の行使でノルンは全身に強烈な痛みが走る。

 口から血を吐き、腹の傷からも血を噴き出させながら、ノルンはネルに向かって駆け出す。


 なぜ走っている?

 彼女はクラックだ。

 このまま見ていれば彼女は死ぬ。

 では、なぜ?

 分からない。

 分からない、分からない、分からない!

 ──分からないけど、走らなければ!


 ノルンは地面を強く蹴り、前へ、前へと走る。

 この程度の痛みなど気にしてはいられない。

 今駆け出さなければ、ノルンの魂は許しがたい痛みを負うだろう。


 ノルンは大きく跳躍し、地割れに吸い込まれそうなネルを空中で抱きかかえる。

 そのまま崖縁に片手をかけ、かろうじて落下を食い止める。

 しかし、その衝撃でネルの体はノルンの腕から滑り落ち、やがて二人は互いの手を握り合ったまま宙づりになった。


「……ノルンくん、なんで?」


 ネルは諦めた表情を浮かべたまま、不思議そうにノルンに尋ねる。

 目に映るのは血だらけの少年。

 ネルは彼と彼の仲間たちを殺そうとしていたのだ。

 そんな相手が自分を助ける行動に疑問を持つのは当然だ。


「うるさい! そんなの知るかよ! 何してんだよ、俺!」


 ノルンは混乱したように叫ぶ。

 自分の思考と行動が一致しない。

 それでも掴んだ手は力強く、決して彼女を放しはしない。


「お前はクラックで、俺たちを殺そうとして、でもクローデルの人間で、俺は助けたくて!」


 ノルンは自分の思いを吐露する。

 堰き止められていた水が溢れ出すように、言葉が漏れていく。

 普段、しっかりと考えてから物事を話すノルン。

 そんな彼らしからぬ言動である。


「俺がお前を必ず殺す! だから絶対死ぬな!」


「……はは、何それ? わけ分かんないよ」


 ノルンの矛盾した言葉に、ネルは乾いた笑みを漏らす。

 ノルンの手を握る彼女の力は弱々しい。

 彼女は既に自分の心に敗北しているようだった。


「俺だって分かんねぇよ! クソ! この能力なんとかしろよ! 思考が定まらない!」


 口から血を吐きながらも、なおも大声で喚くノルン。

 重力に引っ張られ、二人の手が徐々にずれていく。

 ノルンは握る力をさらに強める。


「ただ一つ、確かに言えることがある! お前は《演出家》に騙されてるんだよ!」


「……え?」


 ノルンの発した一言に、ネルの思考は停止する。


「クローデルの事件はクラックの仕業だ! クローデル領民への差別もだ! お前はただ利用されてんだよ!」


「何、それ……。でも、《演出家》は私を助けてくれて……」


 目の前の少年は何を言っている?

 ネルを構成していた世界が少しずつ崩れていく。

 《演出家》が自分を拾い上げてくれた。

 《演出家》が自分に正義を果たす機会をくれた。

 ……そのはずだ。


「クローデルの事件は《演出家》と《評論屋》が直接関与している! この俺が直接見ている!」


 衝撃の一言に、ネルは目を丸くする。

 ノルンが言っていることは真実だろうか。

 彼も、クローデルの領民?


「ネル! お前の正義はなんだ!」


「……クローデル領民を傷つけるオルテンシア王国に裁きを」


 ノルンの問いかけに、ネルは言葉を詰まらせる。

 崩れゆく世界の中から、辛うじて言葉になりそうな欠片を拾い集め、口にした。


「違う、そんなものはただの手段だ! 《演出家》が与えた偽りの正義だ! 俺は、お前の正義を聞いているんだ!」


 ノルンの言葉にネルは自問する。

 正しいと思い込んでいた《演出家》の正義。

 今まで深く考えてこなかった自分の正義。


 ボクは本当は何がしたかったんだ?

 家族を殺した奴らが許せない。

 クローデルのみんなを傷つけた奴らが許せない。

 ボクたちはただ、あの時のような幸せな時間を過ごしたかった。

 お父さんがいて、お母さんがいて、弟がいて、クローデルのみんながいて……


 ああ、そうか。

 そうだったんだ。

 ボクは──


「ボクは、クローデルを……クローデルのみんなが、あの時みたいに笑い合える世界を!」


 少年の再度の問いかけはネルの世界を完全に壊す。

 ネルの世界に光が差す。

 心の中の偽りの瓦礫の上に立ち、ネルはその光に手を伸ばす。

 あの時の光はもう二度と手に入らない。

 だけど、二度と失いたくない希望の光。


 その言葉に、ネルの手を掴んでいる血だらけの少年──ノルンは破顔する。

 その顔を見て、ネルはノルンの手を力強く握り返す。


「俺の名前はノルヴェイン・クローデル! いずれクローデル領を再興し、あの時の笑顔を取り戻す男だ!」


 ノルンの言葉にネルの胸に温かな熱が灯る。

 これまでの自分に宿っていた暗く冷たい熱ではない。

 これからの未来を照らす、希望の熱。


 クローデル……?

 領主様と同じ姓……?

 この方が……?

 ──彼が、彼こそがボクの、私たちの……


「ネル! 俺と共に正義を果たせ!」


 ネルを握る手は力強く、壊れてしまうほどに痛い。

 痛いはずなのに、ただただ心地よい。

 あの日、霧の中に消えたクローデル。

 懐かしの故郷がもう一度だけ、目の前に現れた気がした。


 ネルはこの手を決して放すまいと強く誓った。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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