043話 正義を果たせ
「ふざけるな! ボクたちを見殺しにして! ボクたちを辛い目に遭わせて! 死体の上で胡坐をかいて、富と栄誉を集めれば満足なのか! ボクたちは! クローデルはお前たちのことを許さない!」
そのネルの言葉に、ノルンは頭をハンマーで殴られたような強い衝撃を受ける。
ネルがクローデル領の人間?
クラックのメンバーなのに?
倒すべき敵?
守るべき仲間?
──憎悪、慈愛、自責、困惑。
ノルンの脳内で、様々な感情がドロドロに混ざり合う。
ドロドロのスープがゆっくりと沸騰するように、感情が膨れ上がっては破裂し、『自分の意思』というものが分からなくなる。
一方のネルは、ただ一つの感情を宿している。
──怒り。
いや、正確には違う。
その瞳に宿るのは、揺るぎない覚悟。
それこそが、正義という名の感情なのかもしれない。
「お前たちを殺す! ボクたちがもう何も失わないように! ボクが、『私たち』を救うんだ!」
ネルを中心に空気がうねり出す。
彼女はフェリシエルを睨みつけ、魔法を行使する。
地面からいくつもの土の槍がせり上がり、串刺しにせんとフェリシエルに襲い掛かる。
フェリシエルの能力は、その場に留まる義務と攻撃する権利。
つまり、その場を動かず、魔法による遠隔攻撃を行うことは可能だった。
フェリシエルは当然、そのことを想定していたのだろう。
襲い掛かる槍を氷の壁で防御し、新たな槍が出現しないよう地面を凍らせる。
「澄ました顔で、ボクを見るな!」
ネルの瞳が暗く赤い色に輝く。
ノルンはそれに見覚えがある。
あの霧の日。
クローデルの人間が魔物に変わった日。
魔物になる直前の人間が、そんな色の瞳をしていた。
「ネル! 待っ──!」
ノルンの制止の言葉は、ネルの新たな魔法により遮られる。
大規模な地殻変動が起きたかのように周囲の地面が隆起する。
それと同時にネルを中心に大量の地割れが発生する。
フェリシエルは地面の揺れに耐えられるよう、ネル以外の全員を氷の壁で支える。
おそらくネルは自分自身に宿痕の能力を使ったのだろう。
一人の人間では到底成し得ないほどの魔法を行使する。
瞳の赤が徐々に濃くなっていく。
ノルンたちの周囲に巨大な土の壁が出現する。
壁の大きさに比例するように、地割れは徐々に大きくなっていく。
「ボクの正義に圧し潰されて死ねっ!」
ネルは魔法で自身の足場を隆起させ、その勢いのまま宙へ跳ぶ。
そして、荒々しい言葉とともに周囲の土壁を倒壊させんと魔法を行使する。
土壁がノルンたちに向かってゆっくりと倒れこんでくる。
「その場を、動きましたね?」
鈴のような声が戦場に静かに響く。
フェリシエルは無表情で空中のネルを見上げる。
「攻撃する権利を剝奪する」
そう静かに宣言すると、土壁はその場で崩れていく。
ネルの意思など無視するように、ボロボロと崩れ落ち、ただの土塊へと戻っていく。
「……え? なんで?」
ネルは困惑した表情を浮かべる。
そして、自分が空中にいることを思い出し、着地のために魔法を行使しようとする。
しかし、魔法が使えない。
魔力は確かに感じるのに。
何度試しても、使えない。
地面にできた地割れが、ネルを罰する地獄の口のようにぽっかりと空いている。
やがて、ネルは諦めとも悔しさとも言えないような表情を浮かべ、ゆっくりと地面に向けて落下する。
世界が、ゆっくりと動く。
ノルンは落下するネルを見る。
まるで、砂時計が最後まで落ちるのを見ているかのような時間。
このまま彼女は地割れに飲み込まれて、その生を終えるだろう。
──ふざけるな!
ノルンは自身に風の魔法を使い、その場を飛び出す。
魔法の行使でノルンは全身に強烈な痛みが走る。
口から血を吐き、腹の傷からも血を噴き出させながら、ノルンはネルに向かって駆け出す。
なぜ走っている?
彼女はクラックだ。
このまま見ていれば彼女は死ぬ。
では、なぜ?
分からない。
分からない、分からない、分からない!
──分からないけど、走らなければ!
ノルンは地面を強く蹴り、前へ、前へと走る。
この程度の痛みなど気にしてはいられない。
今駆け出さなければ、ノルンの魂は許しがたい痛みを負うだろう。
ノルンは大きく跳躍し、地割れに吸い込まれそうなネルを空中で抱きかかえる。
そのまま崖縁に片手をかけ、かろうじて落下を食い止める。
しかし、その衝撃でネルの体はノルンの腕から滑り落ち、やがて二人は互いの手を握り合ったまま宙づりになった。
「……ノルンくん、なんで?」
ネルは諦めた表情を浮かべたまま、不思議そうにノルンに尋ねる。
目に映るのは血だらけの少年。
ネルは彼と彼の仲間たちを殺そうとしていたのだ。
そんな相手が自分を助ける行動に疑問を持つのは当然だ。
「うるさい! そんなの知るかよ! 何してんだよ、俺!」
ノルンは混乱したように叫ぶ。
自分の思考と行動が一致しない。
それでも掴んだ手は力強く、決して彼女を放しはしない。
「お前はクラックで、俺たちを殺そうとして、でもクローデルの人間で、俺は助けたくて!」
ノルンは自分の思いを吐露する。
堰き止められていた水が溢れ出すように、言葉が漏れていく。
普段、しっかりと考えてから物事を話すノルン。
そんな彼らしからぬ言動である。
「俺がお前を必ず殺す! だから絶対死ぬな!」
「……はは、何それ? わけ分かんないよ」
ノルンの矛盾した言葉に、ネルは乾いた笑みを漏らす。
ノルンの手を握る彼女の力は弱々しい。
彼女は既に自分の心に敗北しているようだった。
「俺だって分かんねぇよ! クソ! この能力なんとかしろよ! 思考が定まらない!」
口から血を吐きながらも、なおも大声で喚くノルン。
重力に引っ張られ、二人の手が徐々にずれていく。
ノルンは握る力をさらに強める。
「ただ一つ、確かに言えることがある! お前は《演出家》に騙されてるんだよ!」
「……え?」
ノルンの発した一言に、ネルの思考は停止する。
「クローデルの事件はクラックの仕業だ! クローデル領民への差別もだ! お前はただ利用されてんだよ!」
「何、それ……。でも、《演出家》は私を助けてくれて……」
目の前の少年は何を言っている?
ネルを構成していた世界が少しずつ崩れていく。
《演出家》が自分を拾い上げてくれた。
《演出家》が自分に正義を果たす機会をくれた。
……そのはずだ。
「クローデルの事件は《演出家》と《評論屋》が直接関与している! この俺が直接見ている!」
衝撃の一言に、ネルは目を丸くする。
ノルンが言っていることは真実だろうか。
彼も、クローデルの領民?
「ネル! お前の正義はなんだ!」
「……クローデル領民を傷つけるオルテンシア王国に裁きを」
ノルンの問いかけに、ネルは言葉を詰まらせる。
崩れゆく世界の中から、辛うじて言葉になりそうな欠片を拾い集め、口にした。
「違う、そんなものはただの手段だ! 《演出家》が与えた偽りの正義だ! 俺は、お前の正義を聞いているんだ!」
ノルンの言葉にネルは自問する。
正しいと思い込んでいた《演出家》の正義。
今まで深く考えてこなかった自分の正義。
ボクは本当は何がしたかったんだ?
家族を殺した奴らが許せない。
クローデルのみんなを傷つけた奴らが許せない。
ボクたちはただ、あの時のような幸せな時間を過ごしたかった。
お父さんがいて、お母さんがいて、弟がいて、クローデルのみんながいて……
ああ、そうか。
そうだったんだ。
ボクは──
「ボクは、クローデルを……クローデルのみんなが、あの時みたいに笑い合える世界を!」
少年の再度の問いかけはネルの世界を完全に壊す。
ネルの世界に光が差す。
心の中の偽りの瓦礫の上に立ち、ネルはその光に手を伸ばす。
あの時の光はもう二度と手に入らない。
だけど、二度と失いたくない希望の光。
その言葉に、ネルの手を掴んでいる血だらけの少年──ノルンは破顔する。
その顔を見て、ネルはノルンの手を力強く握り返す。
「俺の名前はノルヴェイン・クローデル! いずれクローデル領を再興し、あの時の笑顔を取り戻す男だ!」
ノルンの言葉にネルの胸に温かな熱が灯る。
これまでの自分に宿っていた暗く冷たい熱ではない。
これからの未来を照らす、希望の熱。
クローデル……?
領主様と同じ姓……?
この方が……?
──彼が、彼こそがボクの、私たちの……
「ネル! 俺と共に正義を果たせ!」
ネルを握る手は力強く、壊れてしまうほどに痛い。
痛いはずなのに、ただただ心地よい。
あの日、霧の中に消えたクローデル。
懐かしの故郷がもう一度だけ、目の前に現れた気がした。
ネルはこの手を決して放すまいと強く誓った。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
感想・評価などいただけると、とても励みになります。




