042話 正義ってなぁに?
「殿下、これは?」
時が止まったかのように静止する世界。
聞こえるのは、森のざわめきと風の音のみ。
体を動かすことができなくなったノルンは、フェリシエルに問いかける。
「私の宿痕です。三分間、周囲に権利と義務を強制する能力。対象には私自身も含まれます」
おそらく能力の影響なのだろう。
フェリシエルは隠す素振りもなく、自身の能力を開示する。
以前、図書館で語っていた内容はブラフだったのか──そう思い至ったノルンは、まんまと一杯食わされたことを悟る。
「ごめんなさいね、ノルン。目の前にクラックの生き証人がいるのです。あなたに殺させるわけにはいかないのです」
フェリシエルは申し訳なさそうにノルンに謝罪する。
確かに、フェリシエルが介入しなければノルンは間違いなくネルを殺していただろう。
そうすれば、これまで霧のように輪郭が掴めなかったクラックに関する情報を失ってしまうことになる。
今は冷静に戦況を見ていたフェリシエルに感謝するしかなかった。
「さて」
フェリシエルはネルに目を向ける。
ネルは憎々しげにフェリシエルを睨みつけている。
両者の間に剣呑な沈黙が流れる。
「あなたがクラックに入ったのはいつですか?」
「ふざけ……! ……学園に入学する前、《演出家》に勧誘された」
ネルはフェリシエルの質問を吐き捨てるように受け流そうとした。
しかし、途中で言葉が止まり、彼女の意思に反して口から情報が滑り落ちていった。
そのことに、言葉を並べたネル自身が驚愕の表情を見せる。
「なるほど、次です。あなたが知っているクラックのメンバーは?」
「誰が……! ……《演出家》、《再演屋》、《喜ばせ屋》、《妨害屋》」
──《喜ばせ屋》、《妨害屋》。
ノルンにとっては初めて聞くメンバーである。
一方でネルは《評論屋》と《呼び込み屋》のことは知らないらしい。
ネルは苛立ちを含んだ様子でフェリシエルを睨みつける。
「それぞれが何をしているのか知っていますか?」
「……《喜ばせ屋》が貴族たちと接触している。それ以外は知らない」
ネルは血が出るほど強く唇を噛み締める。
しかし、フェリシエルの能力の前では無意味だった。
やがて、諦めとも悔しさともつかぬ表情で語るネル。
一方のノルンとフェリシエルは驚愕の表情を見せる。
望外の情報を得ることができた。
案の定、クラックは王国内の深いところまで手を伸ばしているようだった。
「あなた方は何を企んでいるのですか?」
「……知らないし、興味ない。ボクはこの国を殺せればそれでいい」
その答えに当てが外れたのか、フェリシエルは残念そうな表情になる。
確かにクラックが何を企んでいるのか知ることができれば、事前に対処することも可能だった。
ただ、これからも地道な調査が必要になると知り、ノルンも歯がゆさを覚えた。
「……なぜ、私を狙ったのですか?」
その質問が出た瞬間、ネルは無表情になった。
僅かに口が震えたかと思うと、火山が噴火するかのような勢いで、ネルの怒りが爆発した。
「ふざけるな! ボクたちを見殺しにして! ボクたちを辛い目に遭わせて! 死体の上で胡坐をかいて、富と栄誉を集めれば満足なのか! ボクたちは! クローデルはお前たちのことを許さない!」
* * *
正義ってなぁに?
私はクローデル領で生まれた。
綺麗な髪が自慢なだけの女の子。
お父さんは何でも出来る凄い人。
困ってる人を見捨てないし、どんなことでも解決できる、力持ち。
色んな人に頼られて、みんなの人気者。
お母さんはとても美人で賢い人。
難しいことを何でも知っていて、将来役に立つからって、私に優しく勉強を教えてくれる。
お母さんが私の髪を優しく梳いてくれる時間が大好き。
弟は生意気だけど姉思い。
すぐ泣くのに調子に乗って、いつも私を困らせる。
だけど誕生日にはいつもプレゼントをくれる。
みんな、みぃんな、私の自慢の家族。
でも、ある日突然変わっちゃった。
クローデル領に不思議な霧が出てから変わっちゃった。
だけど、流石お父さんとお母さん。
街のみんなに声をかけて、クローデルから避難する手助けをしてた。
お母さんは不安そうな街のみんなに声をかけて、元気づけてた。
私と弟は何もできなかった。
いつかお父さんとお母さんみたいになれたらいいな。
王都に避難する途中も、お父さんは凄かった。
お年寄りの荷物を持って手伝ったり、荷車の修理なんかもしてた。
弟なんかは「僕のお父さんは凄いんだぞ」って自慢して、周りに笑われてたっけ。
お母さんは優しかった。
自分だってお腹が空いているのに、私と弟に食べ物を多く分けてくれた。
申し訳ない気持ちはあったけど、お母さんに甘えちゃった。
いつか恩返ししなきゃ。
王都に到着してからは大変だった。
王都の人たちはクローデル領のみんなに石を投げた。
病気が移るんだって。
私たちは誰も病気なんてしてないのに、不思議。
私たちは路上で過ごすしかなかった。
でも、私は平気。
だって大好きな家族といつも一緒だもん。
ある日、食べ物を買いに出かけた。
そしたら冒険者の集団にクローデル領出身であることを馬鹿にされた。
私たちは無視したけど、一人の冒険者が急に怒り出した。
「てめぇ、無視してんじゃねぇぞ!」
そう言って、お父さんを蹴り飛ばした。
私のお父さんに何するの!
そう思ったけど、怖くて何も言えなかった。
お父さんは、私たちを庇いながらその場を去ろうとした。
「クローデルは病原菌を撒き散らす悪だからな。都市を綺麗にしなきゃな! これは正義の行いだ!」
そう言って、冒険者は剣を抜いてお父さんの背中を切りつけた。
やめて! と私は思わず叫んだ。
だけど周りの大人たちは、いいぞ! もっとやれ! って囃し立ててた。
お父さんは、逃げろ! と言って私たち家族を突き飛ばした。
涙を流すお母さんに手を引かれながら、私たちはその場を逃げた。
後ろからは大人たちの楽しそうな笑い声。
あの冒険者の顔を、私は決して忘れない。
お父さんが帰ってこなくなってから、しばらく経った。
どこから拾ったのだろう、お母さんがハサミを持っている。
ごめんね、ごめんね、と泣きながらお母さんは私の髪の毛を全部切った。
綺麗な丸刈りで、私はまるで男の子みたいになった。
もうお母さんに髪の毛を梳いてもらえないのは悲しいけど、仕方がないよね。
この日から、『私』は『ボク』になった。
ある日、とある商人がボクたちのもとにやってきた。
困っている人を見捨てておけないだって。
本当かな?
ボクたちはその商人の家で下働きをすることになった。
与えられた場所は馬小屋よりも汚いけど、屋根があるだけ良かった。
お母さんは商人と一緒に働いて、ボクと弟は一日中皿洗いや家畜の解体をしていた。
手はひび割れて凄く痛かったけど、なんとか我慢した。
ある日、家のランプに油を足して回っていた時、商人の部屋が開いていた。
こっそり覗くと、裸のお母さんを裸の商人がいっぱい殴りつけてた。
美人だったお母さんの顔は赤黒くパンパンに腫れ上がってるのに、商人は凄く楽しそうだった。
ボクは思わず、やめて! と部屋の中に飛び込んでしまった。
商人はボクを見ると、ナイフを持って近づいてきた。
ボクは怖くて一歩も動けなかった。
ナイフが振り下ろされるのがゆっくりに見えた。
そしたら、お母さんがボクの目の前に現れて、代わりにナイフで刺されちゃった。
お母さんの血が顔にかかった。
暖かくて不快じゃなかったけど、とても悲しかった。
ボクはお母さんの、逃げて、という言葉を聞いて、弟を連れて商人の家から逃げ出した。
「わざわざ薄汚い浮浪者を拾ってやったんだ! 私の正義に感謝しろ! 正義には見返りがあるべきだ!」
後ろから商人の大きな声が聞こえてきた。
ボクたちは振り返らず走り続けた。
あの商人の顔を、ボクは決して忘れない。
大好きだった家族は、ボクと弟だけになった。
弟はわがままを言わなくなった。
嬉しいことなのに、すごく悲しい。
弟とゴミ箱を漁って、手に入れた食料を仲良く分けた。
とても辛いけど、弟と一緒なら平気だった。
それに、クローデルの人たちも一緒だ。
みんなボクたちに優しくしてくれる。
お父さんに助けられたからって。
お母さんに助けられたからって。
ボクはまだ、みんなに何一つ返せていない。
クローデル領を離れてから、一年くらい経った。
お店の張り紙を見ると、もうすぐボクの誕生日だった。
弟は張り紙をじっと見てる。
何か欲しいものでもあるのかな?
ある日、弟がパンを盗んで捕まったとクローデルの人から聞いた。
ボクは急いでパン屋に向かった。
弟はパン屋の主人に組み伏せられ、何度も何度も殴られていた。
ごめんなさい、ごめんなさい、と弟は言ってるのに、パン屋はそれでも殴り続ける。
ボクが、もうやめてください、って言っても、パン屋はボクを振り払って、弟を殴り続ける。
「このクソガキ! 俺のパンを盗みやがって! 俺は殴りたくないのにお前が殴らせる! いいか? これは教育だ! 正義の教育だ!」
やがて、パン屋は疲れたのか、最後に弟のお腹を蹴り上げると店の中に戻っていく。
弟の顔は腫れ上がり、血だらけだ。
お腹も痣だらけで、息をするのも苦しそう。
ボクが優しく弟を抱きかかえると、弟は泣きながらボクに語りかけた。
「……ごめんね。お姉ちゃん、誕生日だから。お姉ちゃんに温かいパンを食べさせてあげたくて」
弟はその三日後に死んだ。
温かい、という言葉だけを残して。
あのパン屋の顔を、ボクは決して忘れない。
お父さんは正義に殺された。
お母さんは正義に殺された。
弟は正義に殺された。
正義ってなぁに?
その答えが出ないまま、月日だけが流れた。
「お答えしましょう。正義とは、肯定される暴力」
知らない人がボクの前に立っている。
男の人かな? 女の人かな? どちら様?
「私は《演出家》です。クラックの《演出家》です」
その人からは不思議な雰囲気が漂っていた。
演劇を見てるみたいで、なんだか現実感がない。
「ネルさん。クローデル領を滅茶苦茶にした王国は正しいと思いますか?」
正しくない。
正しいわけがない。
お父さんを、お母さんを、弟を、クローデルのみんなを!
どうして王国は何もしない!
「さあ、私たちと一緒に正義を為しましょう」
差し出されたその手を、ボクはそっと掴んだ。
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