040話 《泣き屋》
学園に潜伏していたクラックが目の前にいる。
騎士団の姫──ネル。
彼女は薄ら笑いを浮かべたまま、ノルンを見つめている。
騎士団は足元を氷漬けにされているため、足止めに成功している。
パイライトはスペルグとエリューゼがなんとか抑え込んでいるが、突破されるのは時間の問題だろう。
「あ~あ、ノルンくんがこっち側についてくれれば、もっと楽に進んだのに」
「へ~、何が楽に進んだの?」
ノルンは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
あらかじめ学園に潜んでいることを知っていたからか、《呼び込み屋》と対峙したときほどの激情には駆られない、と思っていた。
だが、現実は違った。
目の前の少女を惨たらしく殺したいという衝動が、胸の奥から際限なく湧き上がってくる。
しかし、それが敵の能力によって植え付けられた衝動だと理解することで、ノルンは辛うじて冷静さを保ち、ネルへ問いかけた。
「それはもちろん、王女の暗殺と学園の分断」
ネルは笑顔でそう告げる。
その言葉に、フェリシエルの眉がピクリと動く。
「それは、組織としての目的ですか?」
「さあ、どうでしょう?」
フェリシエルの問いかけは、個人としての目的の可能性があることを示唆している。
元々《演出家》はフェリシエルを仲間に引き入れるため行動していた。
それが、フェリシエルの暗殺となると、組織の方針が変わったか、ネル個人の目的の可能性がある。
「ノルン、敵の能力に心当たりはありますか?」
フェリシエルは小声で語りかけてくる。
ノルンはフェリシエルの傍に寄り、言葉を交わす。
「確信はない。ただ、予想はできている」
「……ほう」
「考えられるのは二つ。暴虐性の増加。それと──」
「──正義感の増幅ですね」
ノルンの言葉をフェリシエルが引き継ぐ。
騎士団もパイライトも正義や正しさにこだわっていた。
暴虐性はその副作用だろう。
人は正義の旗頭があれば、どこまででも残酷になれる。
「ああ、そして俺も能力の対象に含まれている」
「あら、怖い。あなたの正義の刃は私に向けないでくださいね?」
「今のところは大丈夫だよ」
突然の思考の膨張。
ノルンは自身も敵の能力の対象に含まれていると確信している。
なんとか理性のブレーキが作動しているが、今もネルの首を切り落としたくて堪らない。
一方で、ノルンの正義に抵触しない限り、フェリシエルを傷つけることはないという安心感がある。
「聞こえてるよ~。ちなみに大正解」
──フェリシエルは能力の影響を受けているのだろうか?
そんな疑問がノルンに浮かんだところで、ネルから答え合わせが返ってきた。
ネルはパチパチと手を叩く。
その声を聞くだけで、視界が赤く塗りつぶされるのかと思うほど頭に血が上る。
彼女の存在はタダシクナイと本能が叫びをあげている。
ノルンは再び深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「辻斬りの黒幕はきみ?」
「ノルンくん、すごい理性だね。うん、そうだよ」
正義、というキーワードが辻斬り事件を思い出させたため、ノルンは質問した。
ネルはなんでもないかのように認めた。
「なんで殺した?」
「今、それ関係なくない? ……まあ、いっか。宿痕の試運転と個人的な復讐だよ」
「宿痕?」
「そう、私の宿痕《正義の見方》」
今の会話にノルンは引っ掛かるものを感じた。
試運転? 個人的な復讐?
ノルンの疑問を引き継ぐようにフェリシエルが語りかける。
「なるほど、試運転ということは、能力に目覚めたのは最近の出来事ということですね? となると、クラックに入ったのも同じくらいの時期でしょうか?」
「は? うっざ。キモいから話しかけてくんなよ」
フェリシエルの問いかけに、ネルは露骨に嫌悪感を示している。
これまでの人生でこんな言葉をかけられたことはないのだろう。
フェリシエルは目を丸くする。
「ノルン」
ノルンは無意識のうちにネルを切りつけようと前に出る。
それをフェリシエルが一声かけることで押しとどめる。
そんな二人をネルは冷めた目で見ている。
「もういいでしょ。死んでよ?」
ネルが手を上げると、騎士団の動きが激しくなる。
騎士団は自身の足が傷つくことを厭わず、足元の氷を殴り続ける。
青白い氷だったが、今は血の赤に染まっている。
アドレナリンが大量に分泌され、痛みもろくに感じていないのだろう。
突破されるのも時間の問題だろうと思い、態勢を整えるため、ノルンはスペルグたちに加勢する。
「平民が何をしている! 貴様はおとなしく守られてればいいんだ!」
しかし、スペルグは参戦するノルンを叱り飛ばす。
彼の正義が平民であるノルンを拒んでいることが分かる。
このままでは連携が取れずに各個撃破されてしまうだろう。
そう考えたノルンは、芝居がかった口調でスペルグに語りかける。
「偉大なる貴族様! 我らの旗! 我らの主よ! あなた様と共に戦う栄誉を賜りたく存じます」
「……許す。供をせよ!」
スペルグは古い価値観を持った貴族なのだろう。
そう考えたノルンは、スペルグの貴族としての矜持をくすぐることで、懐に入ることに成功した。
パイライトの一人が、スペルグへ大上段から斬り下ろす。
スペルグはその一撃を剣で受け止め、そのまま鍔迫り合いへ持ち込んだ。
その隙を逃さず、ノルンががら空きになった脇腹へ峰打ちを叩き込む。
男の体勢が崩れた瞬間、流れるような動きで顎を打ち抜き、脳を激しく揺らした。
こうしてようやく一人を無力化することに成功した。
相手はこちらを殺す気で攻撃してくるというのに、こちらは相手を傷つけないよう手加減しながら戦わなければならない。
あまりにも不利な戦いを強いられ、ノルンは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「よくも我らの同志を、貴様ああああ!」
仲間が倒されたのを確認したパイライトのメンバーは怒りの雄叫びをあげる。
そのままノルンへと突進し、渾身の力を込めて剣を振り下ろす。
ノルンはその一撃を難なく受け止める──しかし次の瞬間、その表情は驚愕へと変わった。
明らかに先ほどよりも力強くなっている。
(仲間が倒れたことで、正義感が増強された?)
スペルグやエリューゼも同じように感じているのだろう。
明らかに相手の力が増しているのだ。
力任せに剣を振り回しているため、捌くこと自体は可能だ。
それでも、一撃ごとの重みは確実に増し、少しずつ押し込まれていく。
数を減らせば減らすほど、敵が強力になっていく。
ネルの宿痕は、集団戦の理を打ち消すような厄介な能力だった。
ノルンは風向きを確認し、場所を移動する。
そして、味方に向かって大きな声で呼びかける。
「みんな、敵から離れて! それから息を止めて!」
ノルンはポーチから革袋を取り出すと、中身を空中に撒き散らす。
以前、薬学の授業の時に抽出した催眠作用の性質を持つ粉末だ。
その粉末は風に乗ってパイライトのメンバーに振りかかる。
即効性があるわけではない。
睡眠には至らないものの、粘膜から吸収された成分は、確実に彼らの動きを鈍らせていた。
その効果を確認すると、ノルンたちは気絶させるべく、それぞれ相手の顎を鋭く打ち抜く。
衝撃に意識は揺らぎ、一人、また一人と崩れ落ちていった。
ノルンは肩で息をしながらネルの能力について考察する。
より正確には能力の汎用性についてだ。
今は十名程度の規模で能力が使われている。
だが、これが数千、数万名の規模になったら?
彼女が扇動者として革命軍を率いるような立場になったら?
正義のためにどこまでも残虐になり、死をも恐れない無敵の軍団が出来上がる。
ノルンは知っている。
この軍団を知っている。
「神の正義」の名のもとに、殺戮を正当化し、聖地を奪還せんと大陸を震撼させた軍団。
──十字軍。
一人の少女が神の軍勢を再現できる。
人々を、正義という名の極上の美酒に酔わせ、狂わせる。
一つの国どころか、大陸を制覇しうる能力。
──今、彼女はここで確実に仕留めなければならない。
気が狂いそうな殺意の奔流の中、ノルンはネルを睨みつける。
ネルは楽しげにノルンを見つめている。
「ねぇ、ノルンくん。君の正義をもっと見せてよ」
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