039話 正義を為しましょう
「まったく、詰めが甘いですよ」
「……勉強になりました」
ノルンから素材を奪い取り、楽しそうな笑顔のフェリシエル。
ノルンの手元から余分な素材はすべてなくなってしまった。
これ以上森の中ですることもないので、大人しく開始地点まで戻ろうとしたとき、近くで物音がした。
「あ、王女殿下、ようやく見つけました」
目を向けると、パイライトのメンバー──スペルグたち五名が立っていた。
茂みの中を歩いてきたのだろう。
服についた葉っぱを面倒そうに払っている。
何名かはノルンの存在を確認すると、鋭い瞳で睨みつけてくる。
「私に何か御用でしょうか?」
先ほどの笑顔はどこへやら、フェリシエルは無表情で質問する。
それを受け、スペルグが恭しく前へ歩み出る。
そして、片膝をつき、懐から取り出した革袋をフェリシエルに差し出す。
「王女殿下に素材を献上したく存じます」
「ありがとうございます。ですが、私はすでに素材を揃えております。お気持ちだけいただきますね」
フェリシエルは笑顔でその申し出を断る。
フェリシエルのその言葉に、パイライトのメンバーがノルンに殺気を向けてくる。
余計なことをしたのはお前か、という呪詛が聞こえてくるようだった。
「左様でございましたか。承知いたしました。どうか、この件はお忘れくださいませ」
そう言ってスペルグは革袋を懐に戻し、後ろに下がろうとする。
意図的ではないとはいえ、貴族に恥をかかせてしまった。
あまりのタイミングの悪さに、ノルンは内心で頭を抱えた。
「それでしたら、その素材、ボクたちにいただけませんか?」
突如森の中に響く少女の声。
その声の方向に全員が目を向ける。
そこには、ネルを先頭に、十名ほどの騎士団員が立っていた。
騎士団員たちは疲労困憊といった様子だが、当のネルだけは満面の笑みで手を振っている。
「ボクたち、全然素材が集められなくて。助けてくれると嬉しいな、なんて」
今までノルンに向けられていたパイライトの殺気が、一斉に騎士団に向けられる。
ただ一人、スペルグだけは殺気とも敵意ともつかない視線をネルへ向けていた。
その胸中を窺い知ることはできない。
フェリシエルは無表情に戻っている。
しかし、これから何が起きるのかを楽しみにしていることだけは、ノルンにも分かった。
「ふざけるな! 我々が集めた素材を、なぜ平民なぞに渡さなければならない!」
「立場を弁えろ! 無礼者が!」
パイライトのメンバーは口々に怒りをぶつける。
ほとんどの生徒であれば、これだけで委縮してしまうだろう。
しかしネルは、それを聞いても涼しい顔をしている。
一方の騎士団のメンバーは別だ。
それぞれが怒りで顔を真っ赤にしている。
ネルはそれを抑えるように手を横に広げる。
「でも、殿下に渡そうとして断られたんだよね? 使い道がなくなったんでしょ? 有効利用したほうが賢いし、貴族としての寛大さを示せない?」
ネルはなおも語りかける。
その言葉は、下手に出たお願いというよりも、どこか挑発めいた響きを帯びていた。
「殿下と貴様ら平民を同列に語るな!」
「我々貴族の慈悲で生かされている分際で、図に乗るな!」
両者の間で剣呑な空気が流れる。
怒りが収まらないのか、パイライトのメンバーはさらに言葉を重ねる。
「本来であれば、貴様ら平民が我々に献上する立場なのだぞ! 恥を知れ!」
その言葉を聞き、ネルは両手で顔を覆い、小さく肩を震わせる。
ネルの様子の変化に、パイライトのメンバーは困惑の表情を浮かべる。
「ひ、酷いよ……。そんなこと言わなくてもいいじゃん……」
涙を拭うように何度も目元をこすりながら、ネルはしゃくり上げる。
嗚咽交じりのネルの言葉にパイライトのメンバーはバツの悪そうな顔をする。
一方の騎士団メンバーは怒り心頭だ。
我らの姫を泣かせるなど許してはおけない、と息巻いている。
──嘘泣きだな。
ノルンとフェリシエルだけは呆れた顔でネルを見る。
だが、その泣き方はなかなかに真に迫っている。
劇場などでは重宝される能力だろう。
「ねえ、みんな? 酷いと思わない? やっぱり貴族は私たちのことなんか人として見てないんだよ」
ネルは振り返り、騎士団のメンバーに語りかける。
同情を誘うような口ぶり。
騎士団の多くは平民で構成されているため、ネルの意見に同調する者が多い。
「これって正義かな?」
底冷えするようなネルの声。
その瞬間、騎士団の怒りが膨れ上がる。
空気が変わった。
気のせいなどではなく、確かに騎士団から強い圧が発せられる。
「今の貴族って、正義かな?」
「否! 否! 否!」
ネルの静かな問いかけに、騎士団が呼応する。
目の色を変えて、否定の声を上げる。
それは雄叫びなどではなく、確かな意思のこもった力強い叫び。
突然の出来事にパイライトを含め、フェリシエルたちも固まっている。
ネルはなおも言葉を続ける。
「間違えた正義って、必要かな?」
「否! 否! 否!」
これまでの疲労困憊の様子は見る影もない。
これから戦場へ赴く兵士さながらの士気だった。
姫を守るためなら、自らの命など不要。
姫を傷つける者には地獄より恐ろしい死を。
騎士団は、正しく『騎士団』となっている。
「じゃあ、ボクたちの正義で正さないとね」
その一言を合図に、騎士団のメンバーは一斉に剣を抜く。
パイライトのメンバーは怯えた表情を浮かべ、一歩後ずさる。
ネルもまた剣を抜き、フェリシエルへとその切っ先を向けた。
「敵は我々を苦しめる社会。目の前にはその尖兵たる貴族と、首魁の王女。──さあ、我々の正義を為しましょう!」
その号令を待っていたかのように騎士団が一斉に飛び出す。
パイライトのメンバーには腰を抜かし、その場から動けない者もいた。
──このままだと危険だ!
ノルンは慌てて前に出て、騎士団のメンバーを止めようとする。
「貴様、同じ平民のくせに我らの邪魔立てをするか!」
「止めるに決まってる! 生徒同士で殺し合いをするつもりか!」
「これは殺し合いではない! 正義の戦いだ!」
ノルンの言葉は彼らには届かない。
完全に自分たちの世界に入り込んでいる。
我を忘れたようにノルンに向かって剣を振り下ろす。
「──ッ! お、も……!」
「姫を泣かせたことが許せぬ! 平民を見下すことが許せぬ! 特権に胡坐をかいていることが許せぬ!」
剣を受け止めたノルンは、そのあまりの衝撃に驚いた。
騎士団のメンバーの多くは、剣術のクラスでも下のほうだったと記憶している。
しかしその一撃は、ヴィクトルの剣を受け止めた時と同等の重さを感じたのだ。
(脳のリミッターが外れてるのか!?)
まさに狂戦士。
かろうじて騎士団メンバーの一撃を捌いてはいるものの、多勢に無勢。
ノルンは瞬く間に取り囲まれてしまう。
そのとき、ノルンの頭に思考がよぎった。
(他人を虐げて実現する理想は正しいのか? それを見過ごしたままでいることは正しいのか?)
その思考が新しく生まれたわけではない。
その思考が上書きされたわけでもない。
──元々あった思考が膨れ上がり、他の思考を飲み込んでいく。
「ノルン、飛びなさい!」
ノルンが思考の海に溺れかけたそのとき。
フェリシエルの声が鋭く響く。
その声に弾かれるように、ノルンはその場から跳び退いた。
冷気の風がその場を撫でた。
次の瞬間、ノルンがいた地面が凍り出す。
氷は地面を覆うだけではとどまらない。
騎士団の面々の足元まで一気に這い広がり、その両足を氷で縫い留めた。
フェリシエルが手を前に突き出し、魔法を行使したのだ。
あまりの鮮やかさにノルンは感嘆の声を漏らす。
縫い留められた騎士団メンバーたちは、足元の氷を崩そうと暴れている。
「貴族の皆さんはそれでいいんですか? こんな危険な目に遭って? これも、王女が皆様の提案を断らなければ起こらなかったのでは? もっと与しやすい王族だったら良かったのにね?」
ネルはその様子を見ながら、今度はパイライトのメンバーに話しかける。
彼らは困惑した表情のまま、ネルの話を聞く。
「あなたたちの思い通りにならない王女は正義ですか? あなたたちに利益をもたらさない王女は正義ですか? 理想とする貴族社会を実現するために必要な正義ですか?」
パイライトのメンバーの表情が徐々に怒りに彩られていく。
そして、視線がフェリシエルに向けられる。
「──さあ、正義を為しましょう」
その言葉を聞いた瞬間、パイライトのメンバーは一斉に剣を抜き、フェリシエルへ襲い掛かった。
側仕えのエリューゼは慌ててフェリシエルの前へ躍り出る。
彼らの剣先が、あとわずかでエリューゼに届こうとしていた。
瞬きのうちに血塗られた光景が広がるだろう。
エリューゼはそれでも目を閉じない。
だが、そんな彼女の瞳に映っていたのは、迫り来る無数の剣ではなかった。
「貴様ら! 王女殿下に刃を向けるとは何事だ!」
スペルグが、フェリシエルとエリューゼを守るように立ちはだかる。
仲間の剣を払い、二人を後ろに下げさせる。
「王族あってのオルテンシア王国! 貴族あっての国ではない! 王族を傷つけることは、俺の正義が許さん!」
そう言ってスペルグは仲間に向かって剣を構える。
あまりの光景に混乱するノルンだが、ノルンは冷静に思考を整理する。
そして、ノルンは一つの予想を立て、ネルに問いかける。
「……まさか、ネル。お前、クラックのメンバーか?」
ネルは楽しそうにニヤニヤと笑っている。
そして、演技でもするかのようにノルンに恭しく一礼する。
「そう、ボクはネル。クラックのネル。クラックで《泣き屋》を担当しています」
ここまで読んでいただきありがとうございました。
感想・評価などいただけると、とても励みになります。




