037話 加害者と被害者
──俺の正義に殺される。
男はそう言ってノルンたちの目の前で自らの剣で喉を貫いた。
客観的に見れば錯乱による自殺だ。
男の喉から地面へと流れ出る血が、これがつい先ほどの出来事だと物語っている。
しかし、それだけじゃ片付けられない違和感が漂っていた。
被害者との関係性、クスリの使用歴、経済状況、交友関係、勤務態度。
調べたいことは山ほどあるが、そのどれもが今のノルンでは調べられない情報だ。
ノルンはちらりと隣を見る。
セリアは青ざめて俯き、震えている。
アレンは表情を強張らせながらも、腕をセリアの前に出し、死体を見せないようにしている。
「……行こう」
ノルンに促されるように、アレンとセリアもその場を離れることになった。
散策を続けるという気分にもなれず、三人は寮へと戻ることにした。
三人とも無言だった。
口を開けばあの惨状を思い出してしまうからだ。
「お?」
誰かから声がかけられた。
声の主を探しに後ろを向くと、そこには黒衣の男──ヴィクトルが酒瓶片手に立っていた。
「……ヴィクトル先生」
「その顔……なるほど、お前らもアレを見た口か?」
『アレ』という一言に、アレンとセリアの肩が跳ねる。
答え合わせは済んだと言わんばかりに、ヴィクトルはそのまま話を続けた。
「ああいうのは別のことやって忘れるに限る。俺だったら酒だ。ほら、ガキ共はとっとと寮に帰んな」
そう言って右手の酒瓶を軽く振り、左手で「あっちへ行け」と追い払うようにひらひらと手を振った。
それを聞き、ノルンたちは小さく頭を下げ、帰ろうとする。
しかし、さらに背後からヴィクトルの声が響く。
「ノルン、お前は残れ。この前の続きだ」
ヴィクトルはノルンの首元を掴むと、ズルズルと引きずっていく。
それをアレンとセリアは憐みの視線で見送った。
* * *
「あの、どこに行くんですか? あと、普通に歩けますんで」
「ん? ああ、そうか。目的地は俺の家だ」
ヴィクトルはノルンを引きずるのをやめて、普通に歩かせた。
ヴィクトルの家に向かうとのことだが、彼にはだらしないイメージがノルンにはある。
きっと酒瓶が大量に転がっていて、昨晩の食べ残しがそのままテーブルに残されているんだろう。
ただ、そういう人に限って変なところは綺麗で、武器置き場などは整理整頓されている可能性が高い。
などと、ノルンは意味のないプロファイリングをしながら、ヴィクトルの後についていく。
「ここだ。帰ったぞ」
やがて、ヴィクトルの家に到着し、彼は扉を開ける。
──帰ったぞ?
挨拶をするような同居人がいるのだろうか、とノルンは不思議に思った。
だらしない独り身のイメージが強かったので、少々意外だった。
ノルンもヴィクトルに続いて扉をくぐる。
「え? 人連れてきてるの? 急に困るよ。だったら最初に言って」
お香の良い香りはノルンを歓迎してくれたが、同居人からはあまり歓迎されていないようだ。
ノルンより二、三歳ほど年下だろうか。
小さな少女が腰に腕をあてながら、ヴィクトルにプリプリと怒っている。
あの大きな背中が犬のように丸まっている。
部屋自体は綺麗に片付いていることから、彼女が家を取り仕切っているのだろう。
「お邪魔でしたら、また別の機会に出直してきますが……」
「あ、ごめんなさい。お客様。適当に座っといて。すぐ終わりますから」
その場を辞そうとしたノルンだが、少女に待ったをかけられる。
ルクレツィアやフェリシエルとは違った意味で、押しの強い少女のようだ。
説教が終わったのか、ヴィクトルは疲れた顔でノルンの対面の椅子に座る。
ミステリアスな外部講師の意外な一面だ。
お茶を淹れていたのであろう少女は、三人分のティーカップをテーブルに置き、ヴィクトルの隣に座った。
ハーブティーの良い香りが、先ほどの凄惨な出来事を洗い流してくれる。
「このガキの名前はネリネだ。いわゆる同居人だな。ネリネ、こいつはノルンだ」
「お二人は兄妹なんですか?」
「「違う」」
「じゃあ、恋人!?」
「「違う!」」
ノルンはヴィクトルと少女──ネリネに関係性を尋ねる。
しかし、いずれも外れのようだった。
「じゃあ、お二人の関係性は?」
その質問になぜか二人は深く考え出す。
ややあって、ヴィクトルがゆっくりと口を開く。
「俺がネリネの加害者で」
「私がヴィクトルの被害者、かな?」
余計に分からなくなった。
ノルンが混乱しているのを察したのか、ヴィクトルが彼に語りかけてくる。
「俺たちのことを話す前に、お前のことを改めて聞いてもいいか?」
「……分かりました。つまり、ネリネさんも関わりがあるということですね?」
ノルンの言葉にヴィクトルは大きく頷く。
ノルンはここ数日のことと過去のことについて、二人に話した。
話を聞くにつれ、二人は頭を抱えだした。
「王女と協力関係を結ぶなんて、手が早いな」
「手が早い、は止めません?」
なんだか誤解を受けそうな響きだったので、ノルンはヴィクトルの言を窘める。
一方のネリネは何か思い当たる節があるのか、深く考え込んでいる。
「それにしても、王国にもクラックの魔の手が伸びてるんですね……」
「王国にも?」
ネリネが不思議なことを言う。
まるで王国以外でもクラックが問題になっているかのようだ。
「ここからは私たちの話かしら?」
「ああ」
ネリネの問いかけにヴィクトルが頷く。
二人は共通の秘密を抱えているようだ。
「ヴィクトルのことはどれくらい知ってる?」
「う~ん。すごく強いってこと以外、殆ど知らないかな」
ノルンはグレイから聞いたことは伏せておくことにした。
そもそも、ヴィクトル本人が積極的に話したいことではなさそうだった。
ここで「実は知っていました」と打ち明ければ、余計な火種を生むだけだとノルンは判断した。
「グランルミナ聖教国の異端審問官、『穢れなき黒』なんて二つ名が付いてた最強の戦士」
「聖教国の異端審問官?」
「そう。『教えに従う者こそ人間。教えに従わぬ者は魔物より劣る』とか言って、異教徒に改宗という名目で暴力を振るうためのルミナ教の狂った人形」
グレイの情報は正しかった。
だが、ノルンには人形という表現が気になった。
表情こそ乏しいものの、ヴィクトルは正しく感情の備わった人間であった。
ヴィクトルに目を向けると、彼は目を瞑ったまま腕を組んで黙っている。
「そして私が、そんな最強の戦士に殺される運命だった憐れな少女。──死霊術師のネリネ」
──死霊術師。
その言葉を聞いて、ノルンの指がピクリと動く。
死体の一部や死者の持ち物を媒介として魂を呼び起こし、意のままに操る魔法を扱う一族。
死者への冒涜だとして、忌み嫌う人間が多い。
当然、ルミナ教を国教とするグランルミナ聖教国としては、神敵と呼ぶべき存在だろう。
「あなたも私に思うところがありますか?」
「動揺はした。それ以上でも以下でもないよ」
「正直ですね。嫌いじゃないです」
ネリネが寂しそうな表情でノルンに問いかける。
死霊術師という存在を初めて目にしたため、多少の動揺はしたが、ノルンは正直な感想を告げる。
その答えに、ネリネは安堵したように目を伏せる。
ネリネはこれまでの人生、死霊術師というだけで酷い目に合ってきたのだろう。
その顔からは諦めと悲哀が浮かんでいた。
「話の続きですけど、異端審問の任務で私を殺しに来たのが、私とヴィクトルの最初の出会いです」
ネリネは無理やり笑顔を作り、話を続けた。
その不自然さがノルンには痛々しく感じられた。
「でも、なんやかんやあってヴィクトルは途中でクラックに仕組まれた任務だって気付きました。それで二人協力して逃げ出してきて今に至ります」
「その、なんやかんやの部分が一番気になるんだけど……」
やはり二人の関係はクラックが影響していた。
しかし、ネリネは一番重要な部分を面倒臭そうに省略した。
それを引き継ぐ形でヴィクトルが話を続けた。
「異端審問の組織自体がクラックの下部組織だった。途中から疑問に思ってた俺だけが運良く気付けただけだ」
「途中からって?」
グランルミナ聖教国にもすでにクラックの魔の手が伸びていたようだ。
ノルンは驚きたい気持ちを押し殺しながら、ヴィクトルに質問を投げかける。
「言葉にするのが難しい。……ちょっと待ってほしい」
ヴィクトルは悩みながら必死に言葉を探している。
やがて、ぽつりと独り言のように言葉を漏らした。
「……文字に出会い、そして空白に出会った。それだけで俺は誰かの正義から解放されたんだ」
ノルンには意味が分からなかった。
それでも、その言葉だけは誰かから借りたものではなく、ヴィクトル自身の実感なのだと伝わってきた。
その顔には、何者かへの深い感謝の念が浮かんでいた。
「すまない、これ以上は難しい。自分の思考を整理して口にするのにまだ慣れていないんだ」
ヴィクトルは片手で頭を押さえながら謝罪した。
ネリネはそんなヴィクトルの背中を優しく撫でる。
二人はノルンへ視線を向けると、真摯な面持ちで口を開いた。
「今すぐ私たちを信じるのは難しいと思いますが、協力してほしいです。私たちが追うのは異端審問のリーダー。聖教国をいたずらに掻き回す悪魔の使い。そいつの名前は《再演屋》」
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