035話 息抜き
「我々人間には魔石というものがあり……」
学園では魔法理論に関する授業が行われている。
ノルンは欠伸をしながら、退屈そうに授業を聞いている。
彼は窓の外を見ながら、先日のことを思い返していた。
フェリシエルと正式に協力関係を結んだ日。
ノルンにとってはクローデル領復興の大きな一歩を踏み出すことになる特別な日だった。
「魔法とは魔石から生まれた魔力を他のエネルギーへ変換する力であり……」
家庭用ポーション事業開始に向けた準備について、ノルンは頭の中で計画を巡らせていた。
難民の顔役であるガルドには改めて話を通し、立ち上げメンバーの選定を依頼することを考えていた。
サンプルはいくつか作成しており、品質に問題は見受けられなかった。
宣伝用として誰に試飲してもらうかを考えていたところ、隣に座っているアレンに脇腹をつつかれる。
彼を睨みつけると、彼は前を見るよう目だけで合図を送ってくる。
その視線に促され、前に目を向けると、不機嫌な顔をした教官と目が合った。
意味のない誤魔化しと分かりつつ、ノルンは慌てて背を伸ばす。
「ノルンさん、魔法を使うことで我々の魔石に何が起きますか?」
「あ、はい。魔石が励起状態になり、魔石を中心に張り巡らされた回路に魔力が送られます」
「……いいでしょう。ちゃんと授業を聞いていたようですね。これからは聞いている姿勢も見せていただきたいものです」
そう言って教官は黒板に向き直り、魔法理論の授業に戻る。
教官の注意がもう向けられていないことを確認し、ノルンは小声でアレンに礼を言う。
「……助かったよ。ありがとう、アレン」
「いいって別に。俺の時も助けてくれよな?」
アレンは人好きのする笑顔で礼を受け取る。
学園で最初に出会ったのがアレンで本当に良かった、とノルンは改めて思う。
──魔石
ノルンは自分の体のことを思い出す。
クローデル領のことは一歩前進したが、自分のことは足踏みを続けている。
ノルンに巣食う呪いは、魔石に何らかの作用を及ぼしていると推測している。
しかし、その正体はいまだに掴めていない。
もう少し自分のことも考えるか、とノルンは自省した。
それはともかくとして、王女と協力関係を結んだことで、思わぬ副産物もあった。
連絡用の拠点を確保できたのだ。
先日会談を行ったティールームを自由に使えるようになり、王女への伝言も店主を介して預けられるようになった。
おかげで、図書館でこそこそ落ち合ったり、食堂のような人目の多い場所で話しかけられたりせずに済む。
ノルンにとっては、それだけでも協力関係を結んだ価値があった。
* * *
「ご一緒してもよろしいでしょうか?」
デジャヴを感じる。
お昼、アレンとセリアと共に食堂で昼食を取ろうとしていた時だった。
席に座り、食事をしながら他愛のない話に花を咲かせようとしていると、フェリシエルが話しかけてきた。
──前にも似たようなことがあった気がする。
ああ、ルクレツィアの時だ、とノルンは天を仰いだ。
「こちら、座りますね。エリューゼもこちらにいらっしゃい」
ノルンたちの返事を待たずに席に座る王女殿下とその付き人。
他の取り巻きはどうすればいいのかとオロオロしている。
「一度、一階で食事してみたかったのです」
「……恐れながら、後ろの皆様はよろしいのでしょうか?」
マイペースなフェリシエルに、セリアが恐る恐る話しかける。
前回は固まって動けなかったのに、凄い進歩である。
一方のアレンは前回から何も変わっていない。
「あら? 私の付き人はエリューゼだけですよ?」
王女殿下の有無を言わさぬ一言に、取り巻き連中はたじろぐ。
やがて、一人、また一人と気まずそうにその場を離れていく。
「ふう、迷惑をかけましたね。たまにはあの息苦しさから解放されたいのです」
「いえ、とんでもございません。お役に立てているのであれば、これに勝る喜びはございません」
フェリシエルは普段の王女然とした振る舞いを少しだけ崩し、気さくな口調で話しかける。
セリアはその言葉に、慌てたように両手を振りながら答える。
やはり常日頃から人に付き従われるのは王女でも嫌なんだな、とノルンは他人事のように考える。
「そう固くならなくても大丈夫ですよ、セリアさん」
「え? あ? え? 私のこと、ご存じなんですか?」
「もちろんですよ。エルフィレム家は、王国に多大な貢献を果たしてきた名門です。そのご令嬢であるあなたを、私が知らないはずがないでしょう」
フェリシエルは、自分が現れたことで周囲の人間がぎこちなくなっているのを理解している。
そのため、優しい口調でセリアの名前を呼びかける。
いまだ気が動転しているセリアは、自身の名前が呼ばれたことに気づき、目を丸くする。
雲の上の存在だと思っていた人に名前を覚えられているとは思わなかったのだろう。
「あら? そちら、おいしそうですね? 私のと交換しません?」
貴族にとって、料理の交換は重大なマナー違反だ。
まして王女ともなれば、その程度の作法は幼い頃から叩き込まれているはずである。
それにもかかわらず、彼女は平然とそれをやってのけた。
これはわざとだろう、とノルンは考える。
おそらくは、場の空気を必要以上に堅苦しくしないための意思表示だ。
もっとも、ビュッフェ形式の食事なので、そこまで気にする必要はないのかもしれない。
「そちらはワーグナー家の嫡男のアレンさんですね。ワーグナー子爵との面識はありませんが、エルフィレム家をしっかりと補佐していると聞いています。よろしくお願いしますね」
「ひゃ、ひゃい! 名前を覚えていただき、恐縮の至りに存じます!」
アレンは緊張のあまり口調がおかしくなっている。
その反応がおかしかったのか、フェリシエルは上品にくすりと笑った。
「それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「本当にただの息抜きですよ。もちろん、ノルンさんへの勧誘の続き、というのも間違いではありませんが」
ノルンは愛想よく笑ってみせるが、その目にはわずかな不満が宿っている。
しかしフェリシエルは気にも留めず、優雅な微笑みを浮かべた。
「平民代表の言葉が必要なのであれば、私以外の方でもよろしいかと思いますが?」
「そうかもしれませんが、今はあなたが第一候補です。少なくとも、盗み聞きしようとしている人たちは相手にならない、とだけ言っておきましょう」
その一言で、周囲の気配はさっと引いた。
気づかぬうちに張り詰めていた食堂の空気が、穴の開いた風船のようにみるみる萎んでいく。
どんな会話をするのか、必死に盗み聞きしようとしていた生徒が大勢いるようだ。
──なるほど、これは牽制だ。
ノルンは直感的にそう感じた。
フェリシエルはセリアとアレンの名前を呼びながら会話をしている。
おそらく、あえてこの場で名前を呼んだのだろう。
どんな生徒であれ、顔と名前は一致していると、会話の中で伝えているのだ。
そしてそれは、盗み聞きしている周囲の人間も例外ではない、と牽制の意味も含まれている。
彼女は野心を持って話しかけようとする人を減らしたいようだ。
彼女の目的は本当に『息抜き』だった。
* * *
「あ、ノルンくんだ。おーい」
フェリシエルを中心に五人で談笑していると、食堂の中からノルンを呼ぶ声が聞こえた。
目を向けると、騎士団の姫──ネルがこちらに向かって手を振っていた。
セミロングの髪をふわふわと揺らしながら小走りで近づいてくる姿は、まるで人懐っこい子犬のようだった。
「今度の実地研修で……さぁ……」
ノルンたちのテーブルの前まで来たネルの声は次第に小さくなる。
同じテーブルにフェリシエルが座っていることを確認したからだ。
「王女殿下、大変失礼しました!!」
「いえ、構いませんよ。あなたはネルさんでしたね?」
ネルは顔を青くしながら謝罪する。
だが、ノルンは気付いていた。
彼の名前を呼ぶ前に、ネルがフェリシエルの存在を確認していたことを。
そのうえでノルンに話しかけるとは、なかなかしたたかな少女である。
そんな彼女をフェリシエルは受け入れる。
したたかさなら、彼女も負けてはいない。
王女に名前を覚えられていることまでは予想していなかったのだろう。
ネルは目を丸くしたまま、しばし固まっていた。
「すみません。出直したほうが、いいですよね?」
「いえいえ、実地研修の話ですよね? ノルンさんはどうされるのですか?」
やがてネルは居心地が悪そうに、その場を立ち去ろうとした。
だが、フェリシエルはそれを引き留めるように声をかけ、ノルンへと話を振った。
どうやら、どんな話が行われるのか興味があるようだ。
好奇心旺盛な王女様に、ノルンは内心でため息をついた。
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