032話 選ばれた観客
「はぁ~、もう疲れた……」
二人の少女が、赤い絨毯が敷き詰められた城の廊下を歩いている。
年の頃は十二、三を少し過ぎたくらいだろうか。
先を行く薄青い髪の少女の足取りは重く、隠しきれない疲労がその背中に滲んでいた。
後ろを歩く少女は、そんな彼女を気遣うように静かに付き従っている。
「エリューゼもご苦労様」
「もったいないお言葉です」
薄青い髪の少女──フェリシエルはエリューゼにねぎらいの言葉をかける。
エリューゼは澄まし顔で感謝の言葉を述べる。
この日、オルテンシア王国では聖教国から新たな特使が派遣されたことを受け、歓迎の社交界が開かれていた。
王国屈指の才媛であるフェリシエルは、そこで貴族たちの応対を任されていた。
より正確に言えば、各貴族の現在の関係性を把握するために立ち回っていた。
年若いこともあって途中で退席を許されたのは、フェリシエルにとって僥倖だった。
「まったく、子供相手に優位性を誇示するなんて、恥ずかしくないのかしら」
「殿下、廊下でドレスを脱ごうとしないでください。どこに人の目があるか分かりません。部屋まで我慢してください」
フェリシエルは先の社交界の場で会話した貴族のことを思い返しながら、不機嫌そうに呟く。
ドレスの窮屈さも彼女の機嫌を損ねる一因だったのだろう。
フェリシエルは背中に手を伸ばし、ドレスの紐を緩めようとする。
そんな様子を見たエリューゼが、窘めるように声をかけた。
フェリシエルは愚痴をこぼしながら、自室へと向かう。
その後ろでは、エリューゼが困ったように微笑みながら主人の話を聞いていた。
自室に到着し、エリューゼはフェリシエルに代わり扉を開けた。
「殿下」
エリューゼは、フェリシエルを庇うように一歩前へ出る。
社交界へ向かう前に閉めたはずの窓が、なぜか開いていた。
冷たい風が二人の頬を撫でる。
シルクのカーテンが風に煽られて揺れている。
見慣れた自室の中で、ただ一人、見慣れぬ男が月を背に立っていた。
「御機嫌よう、フェリシエル王女殿下」
男は芝居がかった仕草で、恭しく礼をとる。
いや、本当に男なのかどうかもわからない。
ただ一つ確かなのは、目の前の『それ』が異質な存在だということだった。
(誰? いつ? どうやって侵入した? 衛兵は?)
フェリシエルは目の前の異常な光景から目をそらさず、冷静に状況を分析する。
侵入経路はおそらく窓からだろう。
しかし、そうであれば外の衛兵が何か異常に気付くはずだ。
しかも、今日は他国を招いての社交界。
いつも以上に警備が厳しいはずである。
では、窓は偽装で正面から?
フェリシエルは脳内であらゆる可能性を検討する。
「私、クラックの《演出家》と申します。そして──」
フェリシエルは衛兵を呼ぼうと口を開いた。
だが、その言葉は喉の奥で止まる。
いつの間に現れたのか、別の男が背後に立っていた。
背後の男はにやにやしながら部屋の扉をゆっくりと閉める。
「しー」
《演出家》を名乗る男は、人差し指を唇に当て、静かにするよう促した。
フェリシエルとエリューゼはそれを憎々しげに睨みつけるしかなかった。
その様子に満足したのか、男はにこりと微笑む。
それを待っていたかのように、背後の男が口を開いた。
「あ、もういいですか? 私、《呼び込み屋》と申します。別に覚えなくていいですよ?」
甲高い声がフェリシエルの耳を刺す。
まるで金属を引っかくような不快な音色に、悪寒が背筋を駆け抜けた。
自己紹介を終えた《呼び込み屋》はケタケタと笑っている。
「そう警戒なさらないでください」
《演出家》は落ち着いた口調で語りかける。
まるで月光浴でも楽しんでいるかのような悠然とした態度。
フェリシエルは苛立ちを隠さず、一歩前に出て問いかける。
「それで、何の用です? ここが王族の私室と知ってのことですか?」
「ええ、もちろんでございます」
《演出家》は笑顔を崩さず、フェリシエルに話しかける。
薄暗い部屋の中、窓から差し込む月の光。
僅かに逆光となり男の顔に影を落とすが、その眼だけは爛々と輝いていた。
「未来のお話をしましょう」
「未来?」
《演出家》は滔々と語り出した。
フェリシエルは怪訝そうに眉をひそめる。
「そう、未来です。五年、十年先のことじゃないですよ? もっと、もっと未来のお話です」
男はコツ、コツと靴音を響かせながら歩き始める。
芝居じみた身振り手振りと、どこか自分に酔ったような話しぶりが、フェリシエルの神経を逆撫でした。
「私はね、争いのない世界を作りたいのです」
彼が歩くたびに、毒花のような甘ったるい香りが室内を犯す。
フェリシエルは吐き気にも似た不快感を覚えた。
《演出家》はそんな彼女の様子を気にも留めず、歌うように演説を始める。
「勿論、真の意味で争いをなくすことは難しいでしょう。食べるため、守るため、残すために争うことは生物として当然です。それが本能というものですから。ですが、そんな生物の中に例外が存在します。何かわかりますか?」
「……人間です」
「正解! 正解! 大正解!」
《演出家》の問いに、フェリシエルは答える。
その答えに、《呼び込み屋》は大げさに拍手を送る。
こういう時にでも相手の意図を理解してしまう自分が恨めしいと、フェリシエルは唇を噛んだ。
「人間だけが生存を目的としない争いを起こす。利益のため、思想のため、面子のため。そのために安寧に暮らしていた他の生物たちを脅かす。ただただ、負をまき散らすだけの愚かな生物。歪んだ星の侵食者」
《演出家》はそこで言葉を区切り、顔だけをフェリシエルに向ける。
その顔はぞっとするほどの無表情で、瞳には何も映していなかった。
底なし沼のような瞳に見つめられ、フェリシエルは言葉を失った。
「──人間、いらなくないですか?」
《演出家》から放たれる異様な気配に、エリューゼが小さな悲鳴を上げる。
フェリシエルは黙って彼を睨みつける。
《呼び込み屋》は腕を組みながら、うんうんと力強く頷いている。
《演出家》は無表情から一転してにこやかな笑みを浮かべ、フェリシエルへと語りかける。
「先ほどの社交界のご様子、陰ながら拝見させていただきました。大変ですよね。自分のことしか考えていない人間の相手は。本来あなたの頭脳はもっと有意義なことに使うべきなのに」
彼らの発言に、フェリシエルは戦慄する。
社交界の様子を見たということは、その場を観察できるほど近くにいたということだ。
自国だけでなく、他国の要人が一堂に会するあの場所に。
「表では愛想よく笑っていながら、裏では着々と牙を研いでいる。しかも、それは誰かのためではなく、すべて己のため」
「どうしてそんな人間たちのために、何の罪もない者たちが涙を流さなければならないのでしょうか」
《演出家》はヨヨヨと大袈裟に泣き真似をする。
《呼び込み屋》は、相変わらずケタケタと笑っていた。
「私は争いのない世界を作りたい。しかし、それは人間がいては実現できない」
「未来のために、血の歌を、傷の踊りを、悲しみの音楽を!」
《演出家》は劇の主役のように両手を天に掲げて叫ぶ。
そしてフェリシエルへ向き直ると、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「フェリシエル王女殿下。我らと共に未来を創りませんか?」
まるで物語の王子が姫に求婚するかのように、片膝をついて、手をフェリシエルに差し出す。
《呼び込み屋》はパチパチと子供のような拍手をする。
《演出家》は自分の世界に入り込んでいる。
「話は、終わりですか?」
「ええ」
退屈な芝居を見終えたかのように、フェリシエルは言い放つ。
それを意に介した様子もなく、《演出家》はにこやかに答えた。
フェリシエルは一度目を閉じる。
しばし考え込んだ後、静かに口を開いた。
「私の答えは『これ』です」
室内の温度が下がり始める。
窓や壁に結露が浮かんだかと思うと、たちまち凍り付き、一面の氷へと変わっていく。
急激に冷やされた空気が床付近へと沈み込み、足元には白い靄が立ち込めた。
「私の能力、環境変化に弱いんですよぅ。付き添いで来たんだから守ってくださいね? リーダー?」
いつの間にか、背後にいた男は《演出家》の隣に移動していた。
刹那、大量の氷柱が床から飛び出し、クラックの二人に襲いかかる。
氷柱同士が激しくぶつかり合い、砕けた氷片が宙を舞った。
きらきらと降り注ぐそれは、この室内には似つかわしくないほど幻想的だった。
「交渉が決裂したとは思っていませんよ。あなたは必ず我々と共に来ることになる」
《演出家》の声が聞こえる。
舞い散る氷片が床へと降り注ぎ、やがて視界が晴れる。
しかし、クラックの二人がいたはずの場所には誰もいない。
「あなたのためのお城をご用意しましょう。未開拓領域にてお待ちしております」
闇に溶けるような声が、どこからともなく響いた。
フェリシエルは自分の失敗を悔いるように唇を噛みしめる。
「一週間後、とっておきのプレゼントをあなたに」
《演出家》の言葉が消えた後には、《呼び込み屋》の不愉快な笑い声だけが響いていた。
その壊れた笑い声が、フェリシエルとエリューゼの耳にいつまでも残り続ける。
こうして、フェリシエルにとって初めてのクラックとの遭遇は幕を閉じた。
──そして一週間後。
フェリシエルのもとに、クローデル領陥落の報せが届いた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
感想・評価などいただけると、とても励みになります。




