031話 秘密会談
ヴィクトルの誤解による襲撃から一夜明けた。
ノルンはヴィクトルから受けた小さな傷をさすりながら歩いていた。
その痛みが、昨夜の出来事を鮮明に思い出させる。
ヴィクトルがクラック側の人間ではないと判明したのは大きな収穫だった。
それに、彼ならノルンの知らないクラックの情報を握っているかもしれない。
一方で、辻斬りに関しては謎が深まる。
犯行の手口から、《呼び込み屋》のことが脳裏をよぎったが、どうも怨恨による犯罪の可能性が高い。
僅かに繋がりを疑ってはいたが、実際は無関係なのかもしれない。
そして、スペルグのこと。
入学前後での性格の変貌に、婚約破棄。
性格の変化だけであれば、思春期特有のものと片付けることもできるかもしれない。
だが、婚約破棄となれば話は別だ。
家同士の思惑や事情が絡んでいる可能性もある。
ノルンは、老婆に確認を取っておくべきだと考えていた。
結局のところ、学園周辺に潜むと思われるクラックについては、依然として実態が見えてこない。
関係していそうな情報は点在しているものの、それらを結び付ける決定的な糸が見つかっていないのだ。
そんなノルンが向かっている先は、王女との密会の場だった。
わざと遠回りをしたり、不意に来た道を引き返したりしながら、尾行を警戒して進む。
しばらくして、彼はとある店の前へとたどり着いた。
白い外壁が特徴の、こじんまりとしたどこにでもある店だった。
入口には小さな立て看板が掲げられており、この店がティールームであることを示している。
中へ足を踏み入れると、ドアベルがカランカランと澄んだ音を響かせ、来客を歓迎した。
木の温もりを感じる内装に囲まれ、芳醇な紅茶の香りが漂う。
自然と背筋が伸びるような心地よい空気が店内を満たしていた。
ノルンはカップを磨いている店主らしき老齢の男と目を合わせた。
男は手を止め、カップをそっと置くと、静かにノルンへ向き直った。
「いらっしゃいませ。ただいまお席へご案内いたします」
男は静かな足取りでノルンを先導する。
奥まった場所まで進むと、そこには一枚の扉があった。
男はノルンに軽く一礼し、元の持ち場へと戻っていく。
ノルンはその背を見送ると、目の前の扉を遠慮がちにノックした。
「どうぞ」
扉の向こうから、鈴を転がすような声が聞こえた。
ノルンが扉を開けると、そこにはフェリシエルとエリューゼ、そして老婆がすでに席についていた。
ノルンの入室を確認したフェリシエルが優雅に微笑む。
「お待ちしておりましたよ、ノルンさん」
「王女殿下を待たせたことで、不敬罪になったりしない?」
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと座りな」
軽口を老婆に窘められ、ノルンは大人しく椅子に腰を下ろした。
用意された椅子は程よい弾力があり、身体を優しく包み込む。
その座り心地の良さに、ノルンは思わず感心した。
調度品も王族が寛ぐことを想定してか、素人目で見ても一級品であることがわかる。
「この店、機密保持は大丈夫なのかい?」
「店主は元近衛兵で、かつて私の教育係を務めていた方です。安心してください」
老婆は王女を前にしても普段と変わらぬ調子で問いかける。
どうやら身内で固められた店のようだ。
それはそれで逆に怪しくないか、とノルンは思ったが、スパイへの牽制も兼ねているのだろうと考え、気にしないことにした。
「しかし、驚きました。まさかあなたがノルンさんの協力者だったなんて。──レディ・グレイ」
「グレイ?」
フェリシエルの口から聞き覚えのない名前が出てくる。
ノルンは老婆の名前を知らない。
あの老婆は初対面の時から「ババアでいいよ」と名乗り、本名を聞く機会などなかったのだ。
そのため、ノルンは未だに彼女を「婆さん」としか認識していなかった。
「レディ・グレイの名を聞いたことがありませんか?」
「……ない」
「私たちが生まれる前ですが、かつて王都の貴族たちが最も恐れた女性です」
ノルンはフェリシエルの言葉に耳を傾けながら、老婆を見つめる。
老婆は黙ったまま目を閉じている。
昔を懐かしんでいるのか、それとも思い出さないよう耐えているのか。
その胸中を、ノルンは窺い知ることができなかった。
「王家の目であり、耳でもある。王家直属の諜報機関──《レイヴンマスター》の長だった方ですよ」
「はるか昔の話さ。もう翼は折れちまってるよ」
人に歴史ありとはよく言う。
どうやらとんでもない人物に拾われていたらしい。
ノルンは思わずグレイを見つめた。
そんなノルンの心中を知ってか知らずか、グレイはつまらなさそうに口を開く。
「ババアの昔話なんかどうでもいいさ。それより本題に入ろう」
「私としてはもう少し親交を深めたかったのですが……。まあ、それはまたの機会にしましょう。本日お話ししたいことは二つあります。情報共有と、協力のお願いです」
残念そうに語るフェリシエルは本題を話し始める。
その提案を受け、ノルンとグレイは頷いた。
「情報共有に関しては賛成だ。協力可否に関しては、その後だ」
ノルンはフェリシエルに提案する。
詳しい話を聞いていない状態で協力関係を結ぶことは危険極まりない。
その言葉に、フェリシエルも笑顔で頷く。
ノルンはまず、《呼び込み屋》に関することを話す。
冒険者の探索、ヴァルトモルの撃退、《呼び込み屋》との遭遇。
それをフェリシエルは黙って聞いていた。
「クラックとの接触は想定していましたが、ヴァルトモルを撃退していたとは……」
フェリシエルは驚愕に目を見開きながらも、どこか呆れたように乾いた笑いを漏らす。
エリューゼに至っては、完全に心ここにあらずといった様子だ。
そして、フェリシエルはノルンから受け取ったペンダントを眺めながら独り言のようにぼやく。
「これがクラックのシンボルと思しきもの……。そして、既に学園周辺にクラックの一味が入り込んでいる可能性がある」
フェリシエルは言葉を切り、考え込むように視線を落とした。
やがて片手で額を押さえ、嘆息混じりに呟く。
「頭の痛い話ですね……」
「頭痛薬の代わりじゃないけど、悪くない話もある。剣術の臨時講師のヴィクトル先生だけど、クラックを追っている節がある。今度詳しい話を聞くつもりだ」
ノルンは話題を変えるように、ヴィクトルのことを口にした。
悪いことばかりではないと伝えるためだった。
すると、老婆が驚いたように声を上げた。
「ヴィクトル? 『穢れなき黒』のヴィクトル・ヴァルターかい?」
「婆さん、知ってるのか?」
老婆の言葉に、ノルンは驚きを隠せなかった。
まさかこんな近くに、ヴィクトルのことを知る人物がいるとは思っていなかったのだ。
老婆は頷きながら語り始める。
「グランルミナ聖教国の洗礼の猟犬。主の教えに反するものを悉く粛清する異端審問官だ。奴は専ら黒い服を着て活動していたが、白い祭服が敵の血によって赤黒く変色したためと噂されている」
ノルンは思わず息を呑んだ。
想像していた以上に、血なまぐさい経歴の持ち主だった。
しかし、今のヴィクトルからは狂信者めいた雰囲気は感じられない。
むしろ厭世的で、神など信じていない現実主義者に見えた。
「だが、もしそいつが味方であれば、これほど頼もしい奴はいない」
「そうですね。ヴィクトル先生との会話はそのままノルンさんにお任せしてもいいですか?」
「ああ、分かった」
ノルンは二人からヴィクトルとの交渉を任された。
責任重大ではあるが、むしろノルンは胸の高鳴りを覚えていた。
ヴィクトルを仲間に引き入れられるなら、その苦労に見合うだけの価値がある。
「こちらの直近の事情はこれで以上だ。他にも話すことはあるが、殿下のほうの話を伺っても?」
ノルンはいったん話を区切った。
それを受けて、フェリシエルは小さく頷き、笑みを浮かべる。
彼女は小さく息を吐くと、ティーカップに視線を落とした。
「さて、どこから話したものでしょうか……」
珍しく言葉を探している様子だった。
どうやら聡明な彼女をもってしても、簡単には説明できない事情らしい。
しばしの沈黙の後、フェリシエルは静かに口を開く。
「私、クラックに勧誘されたことがあります」
フェリシエルは今日一番の爆弾を放り込んできた。
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