029話 迫る影
三人目の被害者が出た。
その噂を聞いたのは、休み明けの朝だった。
早くに目が覚めてしまったノルンは、特にすることもないので街に繰り出した。
靄がかった空気に朝日が差し込み、街は淡い光に包まれている。
美しい光景ではあるが、行き交う人々の表情はどこか硬い。
(衛兵の数が、多い?)
休日でさえそれほど見かけない衛兵たちが、今日はあちこちに配置されている。
道端では女性たちが身を寄せ合い、落ち着かない様子で顔を隠すようにしながら囁き合っている。
耳を澄ませば、その会話が断片的に聞こえてきた。
「例の辻斬り事件。三人目が出たらしいわよ。怖いわねぇ」
元冒険者とパン屋に続き、三人目。
先日話を聞いたばかりだというのに、ずいぶんと展開が早い。
もう少し話を聞こうとしたが、不意に女性たちと目が合った。
すると彼女たちは、気まずそうに会話を打ち切り、その場を立ち去ってしまった。
* * *
まだ人影もまばらな教室で、ノルンは机に突っ伏し、腕を枕代わりにして窓の外を眺めていた。
朝の冷気が残る教室と、ちらほらと登校してきた生徒たちの気配。
ノルンはこれまでに得た情報を頭の中で整理していた。
謎の外部講師、ヴィクトル。
夜に出没する辻斬り。
なぜか急に性格が変わったスペルグと、その婚約者のリネット。
これらは、学園周辺に潜んでいると思われるクラックと関係しているのだろうか。
正直なところ、まだ判断材料が足りない。
ノルンは小さく息を吐くと、窓へ向けていた顔を再び腕に埋めた。
「あら? 今日は早いのね?」
顔を上げると、セリアがにこやかな笑顔で挨拶をしてくる。
少し後ろには欠伸をしながら手を振るアレンがいる。
「おはよう。なんか早めに目が覚めちゃってね」
ノルンは机に突っ伏したまま、二人に挨拶を返す。
二人も近くの席に腰を下ろした。
授業が始まるまでにはまだ時間がある。
三人は休日の過ごし方など、他愛のない会話を交わした。
「そういや知ってるか? 辻斬りの話。なんと、三人目が出たらしいぞ。被害者はやり手の商人だと」
ノルンが今朝聞いた情報をアレンが話題に出す。
学園という閉じたコミュニティでも情報通というのはいるらしい。
「どこで聞いてきたのよ。そんな情報……」
「いや、単に盗み聞きしただけだ」
「他に詳しいこと知ってる?」
「いや、特にないかなぁ。ただ、なかなかに阿漕な商売をしてたらしいぞ」
同一犯なのか、はたまた模倣犯なのかは分からない。
ただ、通り魔的なものというより、怨恨の線が強そうだとノルンは感じた。
怨恨だとしても、被害者たちに共通点はあるのだろうか。
そう考えていたところで、午前最初の授業の教官が入室してきたため、朝の会話は終わりを告げた。
ノルンは先ほどのアレンの話を思い返す。
クラックが怨恨で法を犯すのだろうか、という疑問もある。
こうしてノルンは思考の迷路に迷い込むことになった。
* * *
午前最後の授業は剣術である。
オルテンシア学園では週末と週明けに剣術の授業がある。
数日にわたる実習を行う都合上、このような時間割になっているらしい。
訓練場に着いたノルンとアレンはヴィクトルのもとに向かう。
ヴィクトルはしかめっ面で座っており、生徒が集まってくるのを待っている。
正直、何を考えているのか、その表情からは読み取れない。
やがて、生徒が集まったことで授業が開始された。
見た目だけなら、ヴィクトルは感覚だけで剣を振るタイプに見える。
だが実際はその逆で、かなりの理論派だった。
剣の振り方や立ち方一つひとつについても、なぜそうするのかを丁寧に説明してくれる。
基礎を一通り学んだ後は、打ち込み稽古へと移った。
ノルンはアレンと組みながら、ひそひそと言葉を交わす。
「なあ、ノルン? あの先生、これまで何してたんだろうな?」
「気になるよね。教えてくれるのかな」
「俺は別の国から流れてきた超凄腕の冒険者、に票を投じたい。それか、どこかの貴族の剣術指南役とか?」
「あ~、確かにそれっぽい。アレン、ちょっと聞いてみてよ」
「え? やだよ、怖ぇもん」
などと二人は剣を打ち合いながら噂話に興じる。
そんな二人の間に黒い人影がぬっと現れる。
噂のヴィクトルだ。
「何をぶつぶつ言っている? 集中できていないな」
「え? あ、いやぁ……」
突然現れたヴィクトルに、アレンの肩がびくりと跳ねる。
ヴィクトルの圧のある問いかけを受け、アレンは露骨に視線をさまよわせた。
そんなアレンに向けて、ノルンは「今だ、聞け!」とばかりに強い視線を送った。
やがて意を決したアレンはヴィクトルに質問を投げかける。
「ヴィクトル先生って、学園に来る前って何してたんですか?」
「そんなこと聞いてどうする?」
「いやぁ、なんでそんなに強いのか気になって。剣術に集中するためにも教えてください。ぜひ!」
よくぞ聞いた、とノルンは心の中でアレンに喝采を送る。
アレンのキラキラした瞳とは逆に、ヴィクトルは淀んだ瞳でアレンを見ている。
目を瞑り、考え込んだ後、ヴィクトルはゆっくりと口を開く。
「……ただ人を斬り、やがてここにいる。それだけだ」
それで話はおしまいだと、ヴィクトルは背を向けて去ってしまった。
欲しい答えがもらえず肩透かしを食らった二人は、口を開けたまま互いに顔を見合わせる。
そして、黙って稽古を再開することにした。
モヤモヤした気持ちを抱えたまま、剣術の授業は終わりを告げた。
汗を拭い、教室に戻ろうとすると、エルフの少女がトコトコと近づいてくるのが見えた。
「ノルン、ちょっと」
ルクレツィアは手招きしてノルンを呼びつける。
断る理由もないので、ノルンはおとなしく従う。
人目がないことを確認したルクレツィアはノルンにあるものを渡す。
「これ、借りてたもの、返すね」
「ありがとう。どうだった?」
《呼び込み屋》のペンダントだ。
おそらく調査が終わったのだろう。
調査の結果を尋ねるノルンに、彼女は申し訳なさそうに告げる。
「ごめんね、やっぱり何も分からなかった」
僅かな期待は抱いていたが、こればかりは仕方がない。
何か分かったら知らせる──そう約束を交わし、二人は別れた。
そして訓練場には誰もいなくなる。
ノルンとルクレツィアは最後まで気づかなかった。
少し離れた場所から、二人を見つめる視線があったことに。
* * *
午後の授業も終わり、放課後になった。
ノルンはアレンとセリアの二人に別れを告げ、図書館に向かう。
図書館は相変わらず人影がない。
ノルンは本を探して書架の間を巡る。
カツン、カツンと足音だけが静かな図書館に響いた。
その音が、この空間にいるのは自分だけなのだと実感させる。
ノルンはこの時間がたまらなく好きだった。
書架から何冊か本を抜き取り、図書館に備え付けられている机に向かう。
ペラリ、ペラリとページをめくる音だけが、静寂を支配する図書館に溶けていく。
ページをめくるたび、古いインクと紙の匂いが鼻をくすぐった。
本の世界に沈み込んでいたノルンだったが、入口の方から聞こえてくるざわめきに意識を引き戻された。
──来たか。
入口からは、フェリシエルを先頭にした王女一行が姿を現していた。
フェリシエルはノルンの姿を見つけると、ふわりとほほ笑む。
一方の取り巻きたちは、露骨な敵意を隠そうともせず、ノルンを睨み付けていた。
「先週末はいらっしゃらなかったのですね?」
「さすがにあの騒ぎの直後とあっては……」
フェリシエルに語りかけられたノルンは、本を閉じて返答しようとする。
しかし、一人の取り巻きが間に入ってノルンに怒鳴りつけてくる。
「おい、貴様! 平民風情が無礼だぞ! 殿下と同じ空間など平民がいてよい場所ではない! 疾く立ち去れ!」
唾を飛ばし、顔を真っ赤にしながらノルンに詰め寄ってくる。
その尊大な態度に苛立ちを覚えたものの、ここは大人しく引いたほうが賢明か、とノルンは判断した。
ノルンは立ち上がって、この場を去ろうとするが、フェリシエルが待ったをかける。
「お待ちなさい。私は彼と話しているのです」
「しかし、殿下!」
フェリシエルと取り巻きの貴族たちの間に緊張が走る。
このままだと無駄に時間を浪費してしまう。
ノルンとしては、フェリシエルと会話をしておきたい。
貴族連中を下がらせるにはどうすればよいか、とノルンは考える。
何かを思いついたのか、ノルンはフェリシエルに視線を向ける。
その視線を受けたフェリシエルは、いたずらっぽく口元を緩める。
「それでは一つ、賭けをしましょう」
ノルンの突然の提案に、その場の視線が一斉に集まる。
ノルンは机の上に積まれていた四冊の本へ手を伸ばし、そのうち二冊を抜き取り、横に置いた。
「二冊のうち、どちらか一冊には栞が挟まっています。見事当てられたなら、私は図書館を去りましょう」
「そうですね、それがいいです。もし外したら、皆様は席を外していただけますか?」
「……分かりました」
ノルンの急な提案に、フェリシエルは即座に賛同した。
穏やかな声音だったが、有無を言わせぬ王女の威圧が滲んでいた。
ややあって、先ほどノルンを怒鳴りつけた取り巻きの男が、不機嫌そうに一冊の本を指し示した。
ノルンは選ばれなかったほうの本をゆっくりと開く。
そこには一枚の栞が挟まれていた。
「おや、残念。外してしまいましたね」
「殿下、いえ、しかし……」
「貴族たる者、約束を違えるのは如何かと思いますよ。あ、エリューゼは残ってくださいね」
そう告げると、フェリシエルはにこやかな笑みを浮かべたまま取り巻きたちへ視線を向ける。
取り巻きたちは顔を見合わせ、どう動くべきか迷っているようだった。
しかし、フェリシエルは笑みを崩さないまま微動だにしない。
やがて彼らは諦めたように肩を落とし、図書館を後にした。
静まり返った図書館には、ノルンとフェリシエル、そしてエリューゼと呼ばれた少女だけが残った。
「はぁ~、なんとも情けない」
しばらくして、フェリシエルは大きなため息をついた。
先ほどまでの凛とした可憐な姿とはまるで別人だ。
ノルンはエリューゼへと視線を向けたが、彼女は平然としている。
どうやら特別なことではないらしい。
「それ、両方とも栞が挟まれていますよね?」
「お見事」
フェリシエルの言葉とともに、ノルンは両方の本を開いて見せる。
それぞれに栞が挟まれていた。
「こんなことも見抜けないなんて……。見抜いたとしても、あなたは別の手を考えていたのでしょうが……」
フェリシエルが頭を抱えている。
事前に本を検分するなり、事後にもう一冊の中身を確認するなり、いくらでもできたはずだ。
だが、彼らはそれすらしなかった。
もっとも、それをさせないためにノルンが彼女を無理やり巻き込んだのだが。
それを差し引いても、フェリシエルの取り巻きたちに対する失望は大きかった。
「まあ、いいです。クラックのほうはどうでしたか?」
フェリシエルはいきなり本題を切り出した。
第三者がいる場で話してもいいことなのか、とノルンはエリューゼに目を向ける。
そんなノルンの意図を察したフェリシエルは、穏やかに言葉を続けた。
「彼女のことは大丈夫です。事情もある程度知っています」
エリューゼが小さく頷く。
それを確認し、ノルンは《呼び込み屋》との邂逅を手短に話す。
「《呼び込み屋》を名乗る男と遭遇した。取り逃したが、手傷は負わせている」
そういってノルンは《呼び込み屋》から奪い取ったペンダントを見せる。
それを見て、フェリシエルは満面の笑みを浮かべる。
「素敵です。やはり想像通りのお方でした」
取り巻きたちといるときには見せない表情を目にし、ノルンは鼓動が少し速くなるのを感じた。
咳払いをして動揺を誤魔化すと、フェリシエルに相談を持ち掛ける。
「もう少し話したいが、こちら側も事情を知ってる奴を一人追加させてほしい。明日、時間はあるか?」
「勿論です。それでは放課後、こちらの場所はいかがでしょう?」
ノルンの提案を受け入れ、フェリシエルは一枚の紙を手渡す。
そこには地図らしきものが書かれていた。
その内容を記憶し、フェリシエルに返す。
「分かった。それでは明日の放課後、改めて詳細を」
* * *
夜、ノルンは老婆のもとへ向かうため、ひっそりと寮を抜け出した。
辻斬り事件の影響だろう。
日中は人々で賑わう石畳の通りも、今は人影ひとつ見当たらない。
建物の隙間を吹き抜ける風だけが、街の静寂を際立たせていた。
石壁に囲まれた細い道は薄暗く、靴音だけがやけに大きく響いた。
そして路地を一つ曲がった瞬間、ノルンはピタリと足を止める。
そこには、全身を黒衣で包んだ男が、一振りの剣を片手に立っていた。
男はまるでノルンを待っていたかのように、微動だにしない。
月明かりを受けた剣身だけが、静かに鈍く光っている。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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