027話 難民の現状
その後、ルクレツィアと他愛もない会話を交わし、ノルンはギルドを後にした。
ギルドを出たノルンの右手には一つの革袋が握られていた。
その中身は冒険者捜索の報奨金と、ヴァルトモル討伐の報奨金である。
流石は三百年間討伐されなかった魔物だ。
──金貨三百枚。
金貨三枚で四人家族の一般家庭が一年暮らせる額なので、金貨三百枚は一生贅沢に遊んで暮らせるような額だった。
ルクレツィアから半ば強引に渡されたものだったが、ノルンにとっては望外の贈り物だった。
おそらく、報酬にはかなりの上乗せがされていたのだろう。
こんな大金を平気な顔で渡してきたルクレツィアの神経はどうなっているのだろう。
しかし、右手に感じる確かな重量感に、ノルンは満足げな表情を浮かべた。
そして、お金以外にも一つ、目立つものが入っていた。
ヴァルトモルの魔石だ。
『それの扱いをどうするかは、ノルンに任せる』
通常、魔石には主に三つの使い道がある。
一つは、魔石を取り込み、自身の強化に役立てること。
二つは、換金すること。
三つは、素材として何らかの加工に利用すること。
しかし、ノルンには今のところ明確な使い道が思い浮かばなかった。
そのため、ひとまず保留にしておくことにした。
* * *
大金の入った革袋を持ったノルンは、街の外れへと足を運ぶ。
路地裏へ足を踏み入れると、表通りの明るく華やかな空気から切り離されたような、暗く淀んだ空気が広がっていた。
まるで音という概念そのものが死に絶えたかのような静寂の世界。
鼻に突く酸っぱい臭いが、湿った空気と共にまとわりついてくる。
薄汚れた男が襤褸をまとい、壁にもたれかかるように座り込んでいた。
男は目だけを動かしてノルンを一瞥したが、すぐに興味を失ったように視線を地面へ落とした。
さらに先へ視線を向けると、同じような男たちがあちこちにうずくまっているのが見えた。
ノルンは堂々と歩みを進める。
治安の悪そうな場所へ、まるでカモがネギを背負って飛び込んでくるようなものだ。
しかし、ノルンは気にした様子もない。
そして案の定──。
「あれ? ドブネズミの餌が歩いてる~。人間のままでいたかったら、持ち物全部置いてきな」
ノルンはガラの悪い男たちに取り囲まれていた。
不快な汗の臭いと獣のような体臭が、周囲に充満している。
男たちは角材や錆だらけのナイフなど、それぞれ得物を手にし、ニヤニヤと笑っていた。
だが、ノルンは眉一つ動かさない。
やがて、代表格と見られる男に目を向けると、無表情で語りかける。
「教会の老婆の使いだ。顔役に会いに来た」
ノルンがいる場所は、クローデルの領民の多くが暮らしている場所だ。
そして、老婆はその領民たちに多額の支援をしているため、彼女に恩義を感じている者は多い。
目の前の少年が老婆の関係者かどうかなど、男には知る由もない。
だが、もし老婆の関係者に手を出したとなれば、同胞である領民たちから総スカンを食らうだろう。
何より、老婆の報復を買うのが恐ろしかった。
「チッ、ついてこい」
頭をガシガシと掻きながら男は告げる。
迷った挙句、ノルンを案内することに決めた。
どう扱うかは顔役が決めることで、自分には責任がない、と男はそう自分に言い聞かせたのだろう。
ノルンは何も言わず、男の後についていった。
* * *
男に案内され、ノルンはとある建物の中に入った。
中は薄暗く、埃っぽい。
至る所に蜘蛛の巣が張り巡らされており、人の出入りがほとんどないことがうかがえる。
足元は散らかっており、注意して歩かなければ転んでしまうだろう。
ろくに手入れがされていないことは一目瞭然だった。
屋内はかすかにタバコの匂いが充満しており、奥に進むほどその匂いは濃くなっていく。
やがて明かりを灯した部屋が見え、中に入ると強烈なタバコの匂いがノルンを出迎えた。
部屋の奥には、一人の壮年の男がいた。
ぼろぼろのソファに深く腰を沈め、くつろいだ様子で紫煙を燻らせている。
その男はノルンの姿を認めると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「よう、ノルン様。久しぶりじゃねぇか」
「久しぶり。今日も熱烈な歓迎を受けたよ。どうにかしてくれ」
「悪ぃな。あいつらも必死なんだよ。二度も自分たちの居場所を奪われたくないんでな」
男はクローデル難民の代表で、名をガルドという。
彼は元々クローデル領の自警団の団長として治安維持に尽力していた。
クローデル領でのノルンは人前に出ることはあまりなかったが、ガルドとは何度か顔を合わせたことがある。
老婆の仲介で引き合わされたとき、大声で泣きじゃくるガルドの姿を、ノルンは今も鮮明に覚えている。
「景気はどうだ?」
「いいわけねぇだろ。クローデルってだけで働き口も見つからねぇ。女どもは花を売るし、ガキどもは盗みを働く始末だ」
クローデル領民の扱いはひどいものだ。
働こうにもクローデルの難民というだけで門前払いされてしまう。
いざ働けたとしても、十分な報酬が支払われることなく、理不尽な待遇に耐えるしかない。
多くの男性は、誰もやりたがらない危険な仕事や不潔な仕事に従事し、その結果、ケガや病気によって命を落とすことも少なくない。
女性の中には、自らの身体を売り、家族を養うために日銭を稼ぐ者もいる。
そして、働いて金を稼ぐことのできない子供たちは、今日一日を生き延びるためにパンを盗むことさえある。
ただ表通りを歩いているだけで通報されることもある。
病気が移るなどと言って、石を投げられることもある。
盗みを働く子供の年齢は、自分が父に剣を教わっていた頃と変わらない。
ノルンはそうした話を聞くたびに、強い自責の念で心が引き裂かれそうになる。
「迷惑をかける。だが、景気のいい話を持ってきたぞ」
「お? なんだ?」
ノルンは手に持った革袋をガルドに放り投げる。
受け取ったガルドは、そのずっしりとした重みに思わず眉をひそめる。
しかし革袋の中を覗き込んだ次の瞬間、驚愕に目を見開いた。
「こ、これ……どうしたんだ!? まさか盗んできたのか!?」
「ちゃんとした、綺麗なお金だよ」
気が動転したガルドがおかしなことを口走る。
ノルンとしては命がけで働いて得た正当な報酬なので、やましい気持ちは一つもない。
「今すぐは無理だが、近いうちに仕事を作ることができそうだ」
その言葉を聞いて、ガルドは目を丸くする。
魚を与えれば、一日の糧となるが、魚を捕ることを教えれば、一生食べていくことができる。
ノルンはクローデルの難民を救うために、仕事を作り出すつもりだ。
だが、本当に窮している人には、そうは言っていられない。
そのため──。
「この中の三割を渡す。まずは難民のために使ってくれ」
「わ、わかった。ありがてぇ。それと、ノルン様の名前は出さないほうがいいんだよな?」
ガルドの言葉にノルンは小さく頷く。
ノルンが姿を隠すのには理由がある。
クローデル辺境伯の嫡男が生きていると知られれば、反乱の旗印に担ぎ上げられたり、派閥争いに巻き込まれたりする可能性がある。
それに、最悪の場合は暗殺されることだってあり得る。
何より、自由に動けなくなることがノルンにとっては嫌だった。
とはいえ、フェリシエルにはすでに存在が知られているようだ。
そのあたりについては、今後すり合わせが必要になってくるだろう。
「ヒトとカネは何とかなりそうだ。あとはモノだが、これも目星がついている」
仕事をするためにはヒト・モノ・カネの三要素が重要になってくる。
情報を含める場合もあるが、この世界ではまだ重要度が低いため、いったんは除外する。
ヒトは元クローデル領民、カネはヴァルトモルの討伐報酬金で何とかなる。
最後のモノは、製品や設備、場所などを指すが、ノルンはある程度の考えを持っている。
「今、王女様から別件で協力の提案がされている」
そこでノルンは言葉を止める。
話についていけていないのか、ガルドはぽかんと口を開けていた。
そして、ノルンは口元をわずかに歪めながら言葉を続ける。
「協力の見返りに、可能な限り条件を引き上げてやるつもりだ」
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