024話 信用できないあなたへ
「少し、お時間をいただいてもよろしいかしら?」
賑やかだった食堂が静寂に包まれる。
ふわふわと光るランプの灯りがいやに明るく感じる。
大勢の取り巻きを引き連れた王女──フェリシエルはノルンたちに、いや、ノルンに話しかけてくる。
表情は淑女然とした笑顔である。
しかし、その瞳の奥には蛇が獲物を見定めるような冷たい光が宿っている。
「これはこれは、王女殿下。いかがなさいましたか?」
ノルンは共にいるアレンとセリアに目を向けたが、二人とも石像のように固まったままである。
仕方なくノルンは立ち上がり、にこやかな表情でフェリシエルの相手をする。
取り巻きたちはそれだけで嫌な顔をするが、気にしてはいられない。
何か無礼を働いたのではないか、と周囲からひそひそと囁く声が聞こえてくる。
「お休みをされていたと伺いましたが、その後体調はいかがですか?」
「私のような者にまでお気遣いをいただき、深く感謝申し上げます」
明らかに不自然な会話である。
そもそも、一国の王女が一生徒の出欠を気にかけることなどあり得ないだろう。
心の中でため息をつきながら、ノルンは感謝の言葉を告げる。
「静養させていただいている間に、殿下からお借りいたしました書物を拝読いたしました。自身の見識の浅さを改めて知るとともに、身に余る学びをいただきました」
ノルンの言葉を聞いて、フェリシエルはにこりと微笑む。
会話は借りていた本のことを指していたが、実際はメモについてのことを話している。
「休んでいる間にメモに書いてあった場所を調査した。ちゃんと収穫はあった」ということをノルンは言外に伝えている。
その言葉に気づけないフェリシエルではない。
「なかなか難しい内容だったとは思いますが、大丈夫でしたか?」
「殿下のおっしゃる通り難解な内容を含んでいましたが、時間ばかりは贅沢にございましたので、なんとか読み解かせていただきました」
クラックに遭遇したが対処した、ということをそれとなく伝える。
フェリシエルは目を大きく見開き、桜色の唇に手を当てる。
そして、嬉しそうに目を細めると、弾んだ声でノルンに語りかける。
「やはりあなたは私の期待通りの人でした」
その言葉にフェリシエルの取り巻きたちから困惑のざわめきが巻き起こる。
王女が一生徒、それも平民をここまで高く評価するなど、誰も予想していなかった。
「それで、あの時の返事をいただいてもよろしいかしら?」
「返事、ですか……。ここでお話しするのは、少々憚られますね……」
フェリシエルの催促に、ノルンは周囲の生徒たちに視線を巡らす。
「協力するの?しないの?」をここで話すのはノルンとしても避けたいことだ。
図書館での密会であれば別の返答を用意するのだが、食堂はあまりにも目と耳が多すぎる。
「周囲の人間のことは気にしなくて結構です。どのようなお答えでも大丈夫ですよ」
フェリシエルから、絶対に逃がさないという圧を感じる。
何の返事のことなのか分からない取り巻きから、興味と嫉妬をかき混ぜたような視線を受ける。
ノルンはこの場から立ち去りたい気持ちでいっぱいだが、ここで逃げたほうが後のダメージは大きくなるという確信があった。
そこで、意を決してフェリシエルに自身の考えを伝える。
「私はあなたを信用していません。ですので、今はお断りさせてください」
瞬間、食堂に怒号が響き渡る。
取り巻きたちから浴びせられる貴族の品位をかなぐり捨てた罵詈雑言の嵐に、さすがのノルンも辟易する。
一方のフェリシエルは想定通りと言わんばかりの涼しい顔だ。
「残念ですが、分かりました。ですが私は諦めが悪い女ですので、あなたに信用していただけるよう精進いたしますね」
そう言うと、王女殿下御一行は食堂を去っていった。
その姿が見えなくなるまで、取り巻きの一部はノルンを睨み続ける。
近いうちに刺されるかもな、などとノルンは呑気に考えていた。
「ノルン! どういうことだ!」
嵐が去ったと思ったら、次の嵐がノルン目掛けて吹き荒れる。
石像の呪いから解放されたアレンがノルンに詰め寄ってくる。
好奇心という名の周囲の視線が突き刺さる。
おそらく、この件はすぐに学園中に広まるだろう。
「図書館で偶然会ったときに、平民の意見を取り入れたいってことで声を掛けられただけだよ」
アレンを宥めるためにノルンは嘘の情報を伝える。
もちろん、周囲の生徒にもそれとなく伝えることも兼ねている。
おそらく、野心ある平民は自分が平民代表として取り入るため、それとなくフェリシエルと接触しようとするだろう。
これくらいの意趣返しは許してほしい、とノルンは心の中でフェリシエルに向かって舌を出す。
「は? いつの間に? っていうかなんで断った?」
「逆にアレンが僕の立場だったら、あの集団の中に入りたい?」
「………………それは嫌だな」
ノルンの言葉を熟考するアレン。
おそらく彼の頭の中では「王女」と「取り巻き連中」で天秤にかけているのだろう。
ややあって、その天秤は「取り巻き連中」のほうに傾いたようだ。
アレンが苦々しい顔で伝える結論を、ノルンは苦笑しながら受け入れる。
王女という嵐によって生まれた騒ぎは、やがてさざ波へと変わり、食堂は少しずつ人がいなくなっていった。
結局、セリアは昼食が終わるまで石像のままだった。
* * *
「なんて無礼な平民だ!」
「そうだ! 殿下からお言葉を賜るだけでも名誉なことなのに!」
「あんな平民は学園にふさわしくありません! 殿下、あの者を退学させましょう!」
ああ、周りを飛んでいるハエたちがうるさい。
中身のないくだらない苦言。
聞くに堪えない。
私を介してでしか怒りを表現できないとは、なんて滑稽。
顔を真っ赤にして捲し立てている彼は、なんという名前だったかしら。
……ああ、私の婚約者候補を名乗っている男でしたね。
名前だけが派手な割に、中身が伴っていない愚物。
私があなたに振り向くことは一生ないのに。
私に取り入ろうとする、その薄っぺらい表情。
他者を貶めることにしか使わない陰湿な口。
そこまでして自分の地位を高めたいのかしら?
高めたところで張りぼての塔はすぐに崩れ落ちてしまうのに。
ですが、今日くらいは許しましょう。
「殿下? なんだか嬉しそうですね?」
「あら? 分かりますか?」
流石はエリューゼ。
長年、私の側仕えをしているだけのことはあります。
私の僅かな感情の変化までも読み取ってくれるなんて。
「あなたは彼──ノルンのことをどう見ます?」
「現状はなんとも判断できません。しかし、わざわざ殿下のことを信用できないと言ったことには何か意図があると思います」
まったく、他の者にもエリューゼを見習ってもらいたいものです。
今回の彼との会話は大いに実りあるものでした。
彼の話が正しいのなら、彼は森か街道でクラックと接触したはず。
そして、クラックから何らかの情報を引き出したはず。
「彼に信用していないって言われちゃいました。王族である私を面と向かって信用できないと言うなんて。不敬と取られてもおかしくないのに、誤魔化さずそれを言うなんて」
それを彼は大勢の前で言ってのけた。
でも、その前にわざとらしく周囲を気にしていた。
つまり、王族である私を通して、貴族が信じられないということを伝えたかったのでしょう。
クラックから引き出した情報と関係しているのかもしれませんね。
おそらく、貴族ないし関係者の中にクラックが入り込んでいるという可能性がある。
私もその疑いの中に含まれているのでしょう。
それでも、最低限の情報を共有する程度には信用してくれているということ。
ノルン、素敵なメッセージをありがとう。
図書館での密会ではなく、食堂という大勢の視線のある中で接触してよかった。
面倒な輩が増えるでしょうが、許容範囲です。
これで、これからは堂々と彼に話しかけられます。
きっと彼は嫌がるでしょうね。
きっと彼には色んな困難が立ち塞がるでしょうね。
きっと何度も挫折を味わうでしょうね。
諦めちゃうのかしら?
それとも本性を晒してくれるかしら?
願わくば──。
「ああ、楽しくなってきました」
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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