023話 蜘蛛と王女
「お前らがどんな感じか分からんから、とりあえず一人ずつ打ち込んでこい」
ヴィクトル・ヴァルターを名乗る臨時講師は面倒臭そうに話し始める。
どうやら言葉で教えるのは得意ではなく、感覚で物事を伝えるタイプらしい。
男は視線を巡らせ、生徒たち一人ひとりを観察していく。
やがて、その視線がノルンのもとで止まった。
目が合う。
「お前、前に出ろ」
ヴィクトルは顎をしゃくり、ノルンに前へ出るよう促した。
それを受けたノルンは木剣を片手に進み出ると、男と対峙する。
「獲物はそれでいいのか? なら、適当に打ち込んでこい」
その言葉を聞き、ノルンは木剣を構える。
木剣の硬い感触と程よい重みが手に馴染む。
上半身から余計な力を抜き、意識を下半身へと集中させる。
呼吸は肺ではなく、丹田で行うよう心掛ける。
ヴィクトルの剣先は自分へ向けられている。
しかし、そこに意識を囚われてはいけない。
一点を見るのではなく、相手の全体を視界に収め、その奥を見据える。
やがて訓練場の喧騒が遠のき、世界には自分とヴィクトルだけが残った。
(あれ?)
さて、どう打ち込もうかと考えていたノルンだが、ヴィクトルには打ち込めるような隙が見当たらなかった。
大木のような体幹は、いかなる攻撃にも揺るがないだろう。
柳のようにしなやかな腕は、いかなる攻撃も捌ききるだろう。
豹のような足は、いかなる攻撃も容易く躱しきるだろう。
目の前の男は、そう思わせるだけの実力を持っている。
だが、そのどれも本質を捉えてはいない。
──蜘蛛だ。
いつの間にか見えない糸で絡め取られ、動きを封じられる。
抜け出そうともがけば、たちまち牙を立てられる。
わずかに生じる隙でさえ、罠のように見えた。
時折、ヴィクトルが剣先を動かし攻撃を誘ってくるが、返り討ちに遭う未来しか見えなかった。
「おい、ビビってんのか!」
「平民は剣を振ることも出来ねぇのかよ!」
周りの生徒からヤジが飛ぶ。
しかし、ノルンは動くことができない。
これはただの授業──そのはずだった。
だが、下手に動けば簡単に殺されてしまう。
額に汗が伝う。
ノルンは息を殺し、ただ目の前の男だけを見据えていた。
「よし」
男のその一言で空気は弛緩し、ノルンは一気に現実に引き戻される。
瞬間、張り詰めていた緊張が解け、どっと疲労がのしかかる。
ありがとうございました、と礼を述べ、集団の中に戻ろうとするノルンをヴィクトルが呼び止める。
「見どころがある。その腹の怪我を治したらもう一度だ」
ヴィクトルはぼそぼそとした声でノルンを評価する。
その一言に、ノルンはどきりとする。
つまり彼は、この短い時間のうちに、ノルンが怪我をしていることまで見抜いたことになる。
想像以上の実力者に、ノルンは興味を抱いた。
「次、お前」
そう言ってヴィクトルは、他の生徒たちとも立ち合いを行った。
生徒たちは皆、臨時講師の鼻を明かしてやろうと息巻き、血気盛んに斬りかかる。
しかし結果は散々なもので、誰もがあっさりと返り討ちに遭ってしまった。
最終的には誰が最初に一撃を入れるか、という賭けのようになっていった。
当然、誰も一撃を入れることができない。
最後に立ち合ったアレンも、勢いよく突っ込んだ瞬間に足払いをかけられて盛大に転倒し、脳天に一撃を貰ってしまった。
* * *
「あの講師強すぎ。まだ頭いてぇよ……」
「見事なこけっぷりだったよ。あの瞬間を絵にして部屋に飾りたいくらいだった」
昼食の時間。
アレンは頭を押さえながら、剣術の授業を振り返る。
ただ一人無傷だったノルンに、彼は恨めしそうな視線を向ける。
結局、誰一人としてヴィクトルに一撃を入れることはできず、彼は生徒たちから尊敬のまなざしを向けられることになった。
つまり、格付けが完了したということだ。
「セリィのほうはどうだった? というか、ルクレツィアさんはちゃんと講師できてた?」
「すごく丁寧で優しかったよ。魔法を使った戦い方についても理論立てて教えてくれたから、すごく分かりやすかった」
意外だという気持ちと、それと同じくらい当然だという気持ちが、心の中で同居している。
ルクレツィアは人嫌いではあるものの、教えたがりな性格だ──というのが、ノルンの彼女に対する評価である。
教えること自体は上手なのだろう。
しかし、それを大勢の人前でこなしている姿は、どうしても想像できなかった。
「いいなぁ、俺もそっちが良かった……」
「ルクレツィアさんはアレンみたいな人が苦手だから、厳しくされるかもね」
「同じ厳しいなら、おっさんより可愛い女の子のほうがいい……」
アレンは机に突っ伏したまま、気持ちの悪いことをぼやいた。
セリアは呆れたように溜息をつきながら、そんな彼を眺める。
そんな穏やかな午後のひとときが流れていた。
さて、繰り返しにはなるが、入学から半月も経つと、ある程度グループが形成される。
そうなると、良くも悪くも周囲の目を引く存在が出てくるものだ。
「お? パイライトの皆さんがお帰りになるぞ」
アレンが食堂の入り口を見て呟く。
目を向けると、貴族の一団が周りを威嚇しながら食堂を出ていくところだった。
スペルグという男を筆頭に、平民や下位貴族を見下す純血主義の一団である。
貴族の魔石は黄金でできていると称されるが、彼らのそれは愚者の黄金に過ぎない──そんな皮肉を込めて、陰では「パイライト」と呼ばれていた。
そんな一団を見ながら、ノルンは頭の片隅に引っかかるものを感じていた。
「スペルグってどこかで見たことあるんだよなぁ」
「ノルン……入学式でお前に絡んできた奴だよ……」
「……ああ、あの時の! アレン、その節は本当に助かったよ」
アレンにそう言われて、ノルンの記憶の線がつながった。
パイライトのリーダーに目を付けられかけたところを、アレンが助けてくれたのだ。
ノルンは改めて彼に感謝の念を抱いた。
「スペルグって学園に入る前はあんな感じじゃなかったらしいわよ。私も昔、一度だけ会ったことがあるけど、その時はとても紳士的な人だったわ。婚約者も同時期に入学してるのに、まさか婚約破棄までするなんて」
「朱に交われば赤くなるというか何というか……」
セリアの話を聞きながら、ノルンは苦笑した。
仲良くなった人の影響を受けるのは、多感な時期にはよくあることだ。
しかし、彼の場合はそれが悪い方向へ進んでしまったようだ。
「お? 今度は騎士団の皆さんだ」
アレンの視線を追うと、そこには一人の少女を大勢の男たちが取り囲む光景があった。
先ほどのパイライトの集団とは違い、少女は周囲に笑顔を振りまいている。
一方で、周りの男たちは姫に悪い虫がつかないよう、鋭い目つきで周囲を睨みつけていた。
「姫の周りはいつも騎士たちが頑張ってるな」
アレンはのんびりとぼやく。
騎士団は平民や下位貴族の男子生徒たちによって形成された一団だ。
ネルという少女を中心に、彼女に振り向いてもらいたい男たちが集まっている。
そのため、一人の姫を騎士のごとく守り抜く姿から、「騎士団」と言われている。
ノルンにとっては「オタサーの姫か……」くらいの感想しか出てこない。
余談ではあるが、メンバーの構成上、パイライトと騎士団は犬猿の仲である。
「悪い子ではないんだけど、女子からの評判はあまりいいものを聞かないわね」
スペルグのときと同じように、セリアが彼女に対する周囲の評価を教えてくれた。
いわゆる「女性に嫌われる女性」というやつなのだろう。
もっとも、彼女にも人知れぬ苦労があるのかもしれない。
ノルンたちが騎士団を見ていると、ネルがこちらに気付く。
彼女はニコッと人好きのする笑顔を浮かべ、手を振る。
「まあ、悪い気はしないな……」
などと少し照れた顔で言うアレンにセリアはため息をつく。
アレンが陥落するのは時間の問題かもしれない。
そんなことを考えていると、周囲のざわめきが一段と大きくなった。
学園内で一番目立つグループ──王女殿下御一行だ。
こちらは先のグループとは異なり、気品にあふれている。
しかし、その身から放たれる威厳は圧倒的で、とても気軽に近づける雰囲気ではない。
上級貴族が周囲を固めており、王女──フェリシエルはぴくりとも表情を変えない。
誰もが知らず知らずのうちに道を開けてしまう。
そんな存在感を放っていた。
そして、その一行は、なぜかノルンたちのいるテーブルへとまっすぐ向かってきた。
アレンとセリアを見ると、二人とも明らかに挙動不審で、居心地が悪そうに視線をさまよわせている。
フェリシエルの周囲を固める貴族たちも困惑しているようだったが、それでもおとなしく彼女の後に続いていた。
ノルンの背中に嫌な汗が流れる。
やがてノルンたちの前に立ったフェリシエルは、ゆっくりと口を開いた。
「少し、お時間をいただいてもよろしいかしら?」
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