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Trace Ⅵ



 陽が頂点を越え、わずかに傾きはじめた時、あと一晩泊っていこう、いきませんか? と提案したアレンと、レーモンドの声が同時だった。


 私にもラディスにも、断る理由はなかった。それにひとりになったレーモンドと、さして言葉も交わさないまま、去るのもためらわれた。


 何か手伝うことはあるか? と重ねて問うたアレンに、レーモンドは一度沈黙して、首を振る。


「裏の畑には、どんな種を撒いてももう芽吹きませんし、子供たちももう、いなくなってしまいましたから、特には……」


「そうか」


 アレンは難しい顔をして、しばらく唸った。それが悩むふりであることを、彼が企み深い表情でこちらを見たことで、私は気づいた。

 すぐさま彼は手を強く打つと、大きな声で言った。


「よし! じゃあ、掃除をして、畑に種を撒こう!」


「え、掃除!?」


 すぐにラディスが、心底嫌そうに顔を顰めてアレンを見る。


「そうだよ、この教会をピカピカにしよう。あと春がそこまできてるからね。種を撒くのに、これほどいい時期はない。そうと決まったら、すぐに取り掛かろう」


 彼は、まるで全員の意思決定を得たように、袖をまくりだした。

 こうして(ひとりで勝手にであることも多かった)、一度決めたことは、誰が手伝わなくても、最後までやる人だった。


 私は小さく笑って、「そうしましょうか」と遅い賛同を示す。


 ラディスは、「俺、手伝わないといけません?」と最あとまで渋り、眉を寄せたが、「勇者の道は、こういう小さな積み重ねから始まるのさ」と、アレンが意気揚々と無理やり言いくるめていた。


 後ろでひとり戸惑っているレーモンドは、掃除道具の在処を尋ねてきたアレンに押されて、その場所を教えると、私を見てきた。


 戸惑いと遠慮を浮かべる顔の奥には、今更そんなことをして何になるのか、と訝しむ気持ちが隠されてあるように見えた。


「リアナは箒でいいかいー?」 向こう側から聞こえるアレンの声に「お任せします」と答えて、私はレーモンドへ歩み寄った。


「みんなで掃除も楽しいでしょうね。明日にでも子供たちの魂が、レーモンド様を懐かしんでやってくるかもしれません」


 彼は目を伏せながら、口元を緩める。


「そうですね。私も教会を綺麗にしたくなりました」







 ただの掃除と思って気軽に頷いたが、私は二人の家事能力のなさを、すっかり失念していた。


 ラディスが梯子に上り、はたきで埃を落とすだけで、大騒動だった。梯子を支えるアレンに埃が被り、くしゃみをしたせいで掴んでいた梯子が揺れ、ラディスが悲鳴をあげる。


 その段になって、鼻を覆う何かが必要だと気付いたアレンが、梯子を放置して、布を探し始める。取り残されたラディスがさらに悲鳴をあげ、文句を響かせる。


 私とレーモンドが床を箒で掃いたあとに、要らなくなった布で拭き掃除を始めた二人は、どちらが早く拭き取れるかの競争を始めた。


 床を駆けるように這い、椅子や棚の角に体のあちこちをぶつけたり、しまいには、苛烈を極めた競争に、前を疎かにした二人が頭同士をぶつけて、喧嘩になる始末。



 掃除はなかなか進まず、私は頭を抱えたくなったのを堪えて、額に手をあてた。


 手を休めたレーモンドがやってきたのを知って、謝罪を述べようとしたとき、彼は幾度か頷くと言った。


「こんなに賑やかなのは、久しぶりです」


 彼は楽しそうに笑いをあげて、再び頷く。言い合いをする二人を眺める目は優しいものだった。


 がらんとしていたはずの聖堂で、絶え間なく吸い込まれていくアレンとラディスの声に、私つい頷きたくなったが、それを留めて、ため息を吐きだした。


 こうしていたら、埒が明かない。あえて足音を響かせ、二人の前へいくと、仁王立ちになった。ぴたりと二人の声が止む。

 私は激しく眉を寄せながら、箒を床へと音を立てて置いた。


「そうだ、ラディス! あっちの床がまだだったんだ! 一緒に綺麗にしよう」


「そ、そうですね! あ、こっちの窓のさんもまだだったんです……!」


 目を逸らして、逆側を指差した二人は、そそくさと別の方向へ散っていった。


 いくら拭いても曇ったままの窓の向こうには、陽の姿がある。

 沈むまでには、もう少し時間があるだろう。


 逃げた二人を今一度確認した私は、レーモンドと掃除を再開することにした。







 教会内全てを掃除するには時間は足らず、聖堂とレーモンドが眠る部屋を重点的に、食堂や子供たちがいた部屋は軽くするだけに留めた。


 陽が長くなりだしたとはいえ、種を選び、撒く前に、土を耕さないといけない。

 それは、アレンとラディスの得意分野だった。


 掃除のときとは、さながら別人のような速さで二人は土を耕かしている。

 私とレーモンドは、水が少なくても比較的育ちやすい、芋と豆の種を選んだ。


 種に痩せた土を乗せ、貴重な雨水を少しだけ使うことにし、そこでようやく私たちは一息ついた。



 桑を手に、アレンが空を仰いでいる。夕陽を見て、目を細めた彼は、満足そうに笑みを作ると、誰ともなくごちた。


「春の気候は不安定だからね。近いうちに雨はやってくる。僕が予言しよう。この種は立派な実をつけるよ」


「アレンおじさんが言うんだから、間違いないですね。俺も、この子たちが育つの見たかったなぁ」


 すでに、土の下にある種に情が移ったらしいラディスが、寂しそうにつぶやいた。


 しかし一拍置いて、先ほどのアレンの言葉を思い出したようだった彼は、「雨!? また雨が降るんですか? 嫌だなぁ。あ、でもこの子たちのためには雨が降った方が……」と、途端、土を空を見て、ひとり葛藤し始めた。


 私も夕陽を仰いだ。

 レーモンドが雨水を溜めた桶を抱えたまま、同じようにすると、「夜はまだ冷えます。中で休むとしませんか?」と、提案してきた。








 島を発つときと同じように、この別れも呆気ないほど潔いものとなった。


 四人で摂る二度目で、最後の夕食の時間に、ラディスはレーモンドへ一緒にいかないか? と尋ねた。

 三人より四人の方が楽しいはずだし、助かることも多いはずだ。そんな安易な意見だった。


 しかしレーモンドは、感謝だけを口にして、頷くことはなかった。


「私はこの教会の司祭ですから。また誰かが訪ねて来るやもしれませんし、子供たちの墓も守らないといけない。それに、ここで最期を迎えれば、ラーヴ様が私を探すこともないでしょうし、私もすぐに御方のお導きに従うことが出来ますから」


 私たちは陽が辺りを明るく照らしてから、教会を出た。


「お世話になりました。種、育つといいですね! 保存食ならまだ街に残ってると思いますよ、きっと」


 見送りに立ったレーモンドへ、まずラディスが言った。


「良い春を迎えることができるよう、お互いにね」


 アレンが軽く手をあげる。

 二人が背を向けてから、私は何を残していくべきか迷った。


 ここでひとり、最期の時を待つと決めた彼へ、「どうかお元気で」は皮肉のように思えるし、聖職者ではなくなった私が、「神の祝福がありますように」と言うのも、ぎこちない。


 教会を一度仰いだ私が口にしたのは、ありふれた別れの挨拶になった。


「さようなら、レーモンド司祭様」


「貴方がたに、神のお導きがありますように」


 私は、彼が胸の前で描きだした印を最後まで見届けることなく、背を向けた。







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― 新着の感想 ―
新しく植えた種はなぜか、きっと実をつける気がしますね。 ラストの、司祭に残す言葉を悩むところがいいなあ…(^^)
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