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Trace Ⅴ


 二種類の缶詰をふたつずつ、さらに別の缶をふたつ溶かして作ったスープに、固いパン。

 喧嘩にならないよう(主にアレンとラディスが)、棚の中の皿を綺麗に拭き、その上に均等に分けた。


 今日のスープには芋も入っている。レーモンドが分けてくれたものだった。


「三人よりも四人で食事をする方が、よりいっそう美味しく食べられるからね。みんなで仲良くいただくとしよう」


 当然のことを当然という風に言ったアレンに、レーモンドは感謝を述べていた。


 スープをスプーンで掬う。

 たったそれだけの人間らしい食事に、大いに喜んだラディスを見て、レーモンドの表情も徐々に和らいでいった。


 先に食べ始めたアレンとラディスの前で、私は手を組んだ。


「――」


 体の髄にまで染み込んでいる名前は、出てこなかった。吐息が空白を呼ぶ。

 手の甲に火の影が揺らめく。見慣れないものを見た感覚だった。


 求めていたものとは違う祈りをすぐ側で聞きながら、私は湯気立つスープをスプーンで掬うことにした。







 翌日の朝、起きるとアレンがレーモンドと共に、庭で話し込んでいた。

 いつもは一番遅くに起きるラディスの姿もある。


 陽の昇り具合を見て、私が起きるのが随分遅かったことを、あとになって気づいた。


 貴重な雨水を使って顔を洗うことは諦め、彼らに合流すると、主にレーモンドとラディスが会話に花を咲かせているようだった。

 私に気が付いたアレンが、そそくさとこちらへ寄ってくると、さも嬉しそうに耳打ちをしてきた。


「どうやらラディスは、勇者になるみたいだ」


「はい?」


 朝から、何を寝ぼけたことを言って……


 爛々と目が輝かせて話しているラディスは、勇者伝に綴られている言葉の端々を口にしている。私は思わず、ラディスとアレンを二往復も見て、肩を竦めた。


「そうですか。なら、倒すべき魔王を見つけないといけませんね」


 頭には、朽ち果てた博物館の地下で見た、あの絵画が蘇っていた。

 魔王と倒した勇者と聖女、それに付き従った七人の魔法使い。


 次に、この教会と世界に主権を得た、唯一神の象徴が過る。


「ア――いや、ラ……」


 あの神の名前はなんだっただろうか?


「ラーヴ様ですよ!」


 いつの間にか眼前にきていたラディスが、さらにぐいっと顔を寄せて訴えてきた。


「よくわかりましたね。私が考えていたことが」


「リアナさんが難しい顔をしてる時は、だいたい、何か思い出せない時ですからね!」


 褒められたと思ったらしい彼は、誇らしそうに笑う。そんなところはアレンとよく似ていたが、彼の順応力は私たちの比ではないようだった。


 すでに新しい神を受け入れたラディスの後ろで、レーモンドが気まずそうに頬を掻いている。


「ラディスくんの知っている勇者伝と私のそれが、少し違っていましたので――」


 彼はそう言って、なぜか目を逸らした。その意図はわからなかったが、私は彼の知る勇者伝に興味を持った。








 大陸の安寧を、突如として揺るがした元凶、魔王の誕生。勇者伝はそこから始まる。


 大陸には七つの国があった。表立った戦いこそなかったが、長くに渡る冷戦状態を保っていた国々は、未知なる脅威に対抗すべく、手を取る決断をした。


 七つの国にひとりずつ存在していた魔法使いが、まず同盟を組み、彼らは大陸で一番に勇敢で剣に秀でた戦士と、一番に心が清らかな乙女を探した。


 彼らがふたりを見つけるに苦労はしなかった。唯一神ラーヴがふたりに天啓を下ろしていたからだ。


 そうして七人の魔法使いは、勇者と聖女の手足となり、魔の軍団を討ち滅ぼしていき、ついに魔王のもとへ辿り着く。


 魔が蔓延る国から、この大陸を支配しようとしていた魔王の首を、勇者が討ち取った。その際、七人の魔法使いは、勇者と聖女の杖と盾となり役目を終えたが、その魂は唯一神ラーヴのもとで、永遠の寵愛を受けることとなった。


 そうして平和はやってきた。勇者と聖女は厄災のため、神から遣わされた神の子で、平和を見届けると、偉大なる御方のもとへ還っていった。








 レーモンドが朗々と語った。何度も何度も繰り返し、子供たちに聞かせてきたのだろうことがわかる話し方だった。


 島の子供たちの間で流行っていたものとは、似ても似つかない。

 ラディスが唯一神ラーヴをすんなり受け入れた理由は、この勇者伝由来だったようだ。


「伝説は、飽くまで伝説でしかありませんが」


 一息おいたレーモンドが、あとにそう付け足した。


「素晴らしいね。何か素晴らしいって、レーモンド氏の語りだよ。完璧だ」


 どうやら、私と同じところに目をつけていたアレンが、感嘆の息を漏らしてレーモンドを見つめる。


「たしかにレーモンドさんのそれもそうだけど、勇者伝の方ですよ! 俺もあと五十年早く生まれてたら……」


 ひとり興奮しきったラディスが、食堂のテーブルに身を乗り出して訴えた。

 空になった皿が、軽快な音と共に跳ねる。朝昼兼用の食事を済ませたところだった。


「そうだね、これが本当だったなら、僕もすごいと思う」


「勇者を目指すのは、一筋縄ではいかないでしょうね」


 賛同を唱えたアレンを一瞥して、私は苦笑した。


 たとえこの世界が終末ではなくとも、本当に勇者になろうとするなら、ラディスは剣を一から覚えないといけない。自分を大きく見せようとする年頃である彼が、実は誰よりも小心者であることは、島の誰もが知っていた。


 それにやはり、倒すべき敵がいないと勇者にはなれない。


 ――魔王、人ならざる魔のもの。私は口の中で呟く。

 物語の時代を生きてきたが、そんなものを見たことがなかった。


 大陸で一番に勇敢で、剣に秀でた戦士と、一番に心が清らかな乙女。その一文を思い出して、私は笑いを飲み込んだ。


 興奮冷めやらぬ様子で、どうしたら勇者に近づけるかと、アレンに問いただし始めたラディス。レーモンドはまたバツの悪そうな顔で、それらを見守っていた。

 その彼がふいに私を見た。思考を巡らせたような瞳だった。


「美味しいと食事と、それを共に出来た時間の感謝として、よければご覧になっていきませんか?」


 何をとは言わない彼の言葉を聞いたラディスが、途端口を閉じて、立ち上がった。好奇心と衝動に体を支配された彼のそれが、私の返答の代わりをした。







 聖堂の裏に、隠されるように続いた狭い通路の先には、教会には似つかわしくない太い鎖に巻かれ、冷たく錠の落ちた扉があった。


 大きくない扉は鉄製で、鍵の持ち主すら拒むように、しばらく耳障りな音を立てる。錆びた音のあと、重苦しい響きを足元に伝えて、ようやく扉は開いた。


「ああ、灯りを忘れました」


 レーモンドは一言添えて、来た道を引き返していく。

 私は背後で扉が閉まってしまう恐れを感じて、扉先で留まることにした。


 その間にも、危機管理とは無縁の二人が、我先に部屋へと入っていく。

 部屋に窓はない。暗闇の中では何も見えないと唸りながら、それでも部屋の正体を探ろうとする、ラディスの声が響くばかりだった。


「すみません、お待たせしました」


 蝋台を手にしたレーモンドが戻ってきて、やっと私は彼について部屋に入った。


 かすかな灯りが行き渡るほどの小さな部屋には、壁に飾られた絵が三つ、その壁際には小さな棚、それで全部だった。


 まじまじと絵を眺めるラディスの隣で、レーモンドが言った。


「もう覚えていないのが残念ですが、私は一度だけ、聖女様にお会いしたことがあるそうです」


 彼は絵の縁をそっとなぞると、棚に置かれてあった古びた冊子を手に取った。そこには平たいガラスのような何かが挟まれてあった。

 火に照らされたそれは、七色の輝きを放つ宝石のように見えた。


「前司祭、私の祖父になりますが。これはその時、聖女様から賜ったものだと聞かされました」


 それをまずラディスが受け取った。彼は少し眺めるだけで興味を持つことはなく、次にアレンの手に渡る。彼は一瞬見ただけで、すぐに私へ渡してきた。


 宝石というには荒く、周りの削れた平たい手のひらほどある鉱石。

 深く観察してようやく見つけられる、その石の本来の姿は、深い青と白の斑模様だった。それが七色の光に、覆われている。


 ああ。私は納得の息を、口の中に留めた。


 海と空の青、潮と雲の白。それらが斑として織り交ざるこの石は一時期、聖職者の中で、重宝されていたものだった。


 天と地はいつもひとつであり、神はいつでも人と共にいてくださる、ということの象徴である尊い石。

 そんな風に言われていた。だが、思い出したのはそれだけだった。この鉱石の名前までは浮かばなかった。


 私はかすかに聖女の力を残すその石を、レーモンドに返した。


 その間、なぜか会話はなかった。あのラディスでさえ、絵を注視するばかりで、何も言わない。


 レーモンドが先に踵を返した。

 彼自身、この部屋のことをすっかり忘れていたらしい。勇者伝を語っているときに、ふと壁に飾られた絵の存在が、頭に蘇ったそうだ。


「これも神のお導きでしょう」


 彼は扉を閉めることはせず、一度だけ振り返ると寂しそうに笑った。




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