38.送別会
送別会の会場となった森の奥にある花園には、季節が秋にもなろうというところだが、ピンクや黄色、紫など、さまざまな色の花が美しく咲いていた。
花の種類は違うが、マヤの腰の高さで揃うように生育されており、妖精は植物の生育に長けているのだと納得した。
マヤはいつも以上にはしゃいでいた。それは先ほどのアクシデントの記憶を頭の中から追い出すためでもあった。
応接間に取り残されたマヤとリビトは時間が止まったように暫くの間、動けずにいた。
――どうしてリビトの顔が目の前に? こんなに近くでリビトの顔を見たのは旅を始める前にリビトと2人で海に行った帰り以来だ。見れば見るほど端正な顔だよね、ん? 柑橘系のいい匂いがする、香水でもつけてるのかな?
意外と睫毛は長いのね。青い瞳は夏の空のようだ。鼻筋も通っていて、唇も色っぽくて――!? 私ったら何を考えているのよ! 早くここから抜け出さないと。
「……!」
マヤは両手を突き出すようにリビトの厚い胸板を押したが、ビクリとも動かない。リビトの左腕はマヤの左肩をがっちりと掴み、リビトの右腕はマヤの腰を抱いている。マヤは体を斜めにしたままリビトに抱きしめられており、ハイヒールの先が何とか床に触れている状態である。
――リビトはどうしちゃったの? ボケっとして全く動かないんだけどっ!
「ちょ、ちょっと、リビトっ! ねぇ!」
「ん?」
「う、腕の力を、緩めてっ」
「ん? あ、あぁっ、悪かったっ!」
リビトはようやく腕の力を緩めてくれた。マヤの足は床をしっかりと捉え、起き上がることができた。
柑橘系の匂いがマヤの鼻腔を掠め、すぐ後ろにリビトの存在を強く感じる。すると、リビトの腕に抱きしめられていた時のことが頭から離れなくなった。全身が沸騰したかのように温度が上がった気がした。
マヤは頭をぶるぶると振り、頭の中に占めるワンシーンを消し去ろうとした。小さく深呼吸をして冷静さを取り戻してきた時、振り返って「私たちも会場に行こう」とリビトに声をかけると――。
「…………!」
リビトは口をぽっかり開けていた。その視線は何故かマヤとは合わず、肩先を見ているようだった。次の瞬間、顔が真っ赤になったかと思うと、口元に手を当てて顔を横に向けた。
リビトの不自然すぎる行動を不審に思い、マヤはその疑問を投げかけた。
「リビト? どうしたの?」
「…………いや、何でもない――」
リビトからは何とも歯切れの悪い返事が返ってきた。
その後に小さく溜息を吐くような声が聞こえてきたと思いきや、マヤの方とは逆に視線を向けているリビトが話しかけてきた。
「俺たちもそろそろ会場に向かうか……」
リビトはそう言うと応接間の出口に向かって歩いていった。マヤは慣れないハイヒールで転ばないように細心の注意を払いながら、リビトの後を追ったのだった。
送別会には妖精王とジオウ、セリンの他にもフィデリスやサーティス、長老など見慣れた顔ぶれだけでなく、これまでにお世話になった護衛騎士や侍女、侍従の人たちも集まってくれていた。
会場には椅子のないテーブルがいくつかランダムに置かれている。セリンの発案で、皆が気兼ねなく楽しめるように立食式にしてくれたそうだ。
マヤは食事の作法やマナーに自信がなかったから、サーティスから立食パーティーだと聞いた時は心の中でセリンに感謝した。もちろんセリン本人に会った時にも感謝の気持ちを直接伝えることも忘れなかった。
マヤとリビトはセリンに呼ばれ、妖精王や長老、ジオウがいる上役専用のテーブルに招かれてしまった。結局のところ、緊張しっぱなしで食事の味はよく分からなかった。
「マヤ殿、森の暮らしで不自由はなかったかな?」
「妖精王様、皆さんがとても親切にしてくださったので、不自由を感じることはありませんでした。それに、図書館の出入りを許可してくださって、学びある時間を過ごすことができました。改めて、ありがとうございました」
「そうか、それなら良かった。して、ジオウの教育ぶりはどうだったかな?」
「あっ、はい。ジオウ様はとても丁寧に分かりやすく教えてくださいました。執務でお忙しい中、この世界のことを教えていただき、本当に感謝しています」
「そうか、そうか」
妖精王は息子のことを褒められて満足したのか、いつになくやさしい笑顔を浮かべながらグラスに入った花蜜水を味わっている。
リビトはいつの間にか他のテーブルに移動しており、護衛騎士たちから期待の眼差しを一身に受けていた。
ジオウとの真剣勝負以来、リビトは護衛騎士の憧れの的になったようだ。いつものように中庭の温室で夕食をとっている時、その話になってジオウはリビトに恨めしい視線を送っていた。
マヤとセリンは、ジオウの視線も気にせずに黙々と食事をするリビトを見て笑い合ったのはつい先日のことだ。
あっという間の数カ月だったが、この森でいろいろな人に出会い、楽しい想い出が増えた。明日、ここを出て行くのは名残惜しいと感慨に耽っていた。
「ねぇ、マヤ。この後、2人だけでお茶会をしましょうよ」
セリンからのうれしいお誘いを受けた。セリンとこうしてゆっくり話ができるのも今夜が最後だ。行く当てのない旅を続ければ、次にいつ会いに来れるか分からない。
セリンはマヤがこの世界に来て初めてできた女友達だ。明日には離れ離れになるのは寂しいが、悔いのないようにしっかりとお別れの言葉を伝えようと思ったのだった。
******
「マヤ、またこの森に会いに来てくれるわよね?」
「もちろんだよ! 必ずセリンに会いに来るから」
「良かった……」
マヤは、セリンの笑顔に違和感を感じていた。伏せたその瞳にどこか切なげな感情を読み取ったからだ。セリンの様子が気になり、マヤはどうしたのかと聞いてみた。
「――私は森の掟でここを出られないでしょ?」
「うん、そうだったね」
「その掟ができたのは――実は、母上が攫われてしまったからなの」
「えっ? でも、確か、セリンのお母さんは――」
「兄上たちが仲直りした夜、父上が本当のことを教えてくれたの」
「本当のこと?」
「えぇ、ずっと母上は病気で亡くなったとばかり思っていたのだけれど、本当は奴隷としてどこかに売られてしまったみたいなの……」
「そんな――」
「でもね、母上はどこかで生きているかもしれないの」
「――セリン、一緒に探しに行こう!」
セリンはゆっくりと首を左右に振って、微笑んだ。
「父上に話してみたのだけど、やっぱり許可してくれなかったわ」
「そんな……」
「でも、父上はずっと母上を探していたの。これからもずっと見つかるまで諦めないと言っていたわ。だから、私は父上を信じてこの森に残ると決めたの」
「…………」
セリンの表情は心なしか明るい笑顔に変わっていた気がした。そして真剣な表情へと変わり、その眼差しはマヤに真っ直ぐ向けられていた。
「マヤ、母上は森の外で攫われたの。だから……だから、マヤも気を付けて!」
――セリンはお母さんが攫われたから、私の心配をしてくれているんだ。旅を続ければ、これまで以上に危険なことに巻き込まれるかもしれない。セリンはそれを感じ取っているのね。
「うん、だってまたセリンと会いたいもの! それにリビトもいるから大丈夫」
「――そうよね、リビト兄上がいるものね。うん、そうね」
それから暫くの間、マヤとセリンは言葉も交わさずに紅茶を静かに啜っていた。
その場に居心地の悪さはなく、むしろ温かい空気に包まれていた。ふと目が合った時にはどちらからともなく微笑み合った。ただそれだけで、ひんやりとした風が吹き込む心が温まった気がした。
マヤはセリンとの再会を約束し合い、2人だけのお茶会はお開きとなった。
マヤが宿にしている小屋の前に着くと宿の外壁にもたれかかり、両腕を組んだジオウが立っていた。
「ジオウ様? どうしたんですか?」
「あぁ、マヤと最後に2人だけで話したくってね」
「あっ、じゃあ、お茶を淹れますね。中へどうぞ」
「いや、もう遅いし、レディーと2人きりになるのはさすがにね……」
――それもそうか。ジオウ様はこう見えても妖精族の王太子で、次期王だもの。私と2人きりでいるところを見られたら、何かと後から大変よね。外でもいいと本人が言うのだから、立ち話でもいいのかな。
「マヤ、1つだけ聞きたいことがあってね」
「聞きたいこと、ですか?」
「あぁ、私にとってとても大切なことなんだ――」
「そう、ですか。それでどんなことを聞きたいのですか?」
ジオウは宿の外壁にもたれかけていた体を起こし、マヤに1歩近づいた。ギョッとしたのも束の間、ジオウがコホンと小さく咳払いをしたため、硬直しかけた体の力が少し抜けた。
「うむ、実は――、マヤは何故そこまでしてマグスのために必死になれるのだ?」
「えっ? それが、ジオウ様が聞きたいことですか?」
「あぁ、そうなんだが……私が聞いても良いだろうか?」
「はい、別に隠すことでもありませんし。そうですね、最初は必死という訳ではなく、咄嗟の思いつきだったんです」
「思いつき?」
ジオウはマヤの返答を聞いて、訝しげな顔をした。
マヤはジオウの表情を見て、言葉が足りなかったと反省し、誤解のないように説明し始めた。
「いえ! そうではないんです」
「えっ?」
「その、言葉が足りなくてすみません。私はただ皆が森の外でも安全に、自由に歩けたらいいな、って思ったのがきっかけだったんです」
「…………」
「私は旅に出るまで、この世界のことを何も知らなくて。ずっとはじまりの森で安全に過ごしていました。でも、森の外では多くのマグスが捕らわれたり、命を奪われたりしていて……そんな話を耳にするようになってから、マグスと親しい人間が仲介したら仲良くなれるのではないかって思ったんです」
ジオウはマヤに真剣な眼差しを向けたまま、黙って話を聞いている。
マヤはジオウの表情を時々見ながら、自分がおかしなことを話していないかを確認しつつ、話を進めていく。
「マーモーは最後まで賛成してくれませんでした。マーモーは森の仲間やマグスの皆を守る責任があると。当たり前のことですよね。それなのに、私は簡単に口にしてしまったんです。私が考えていることは自分が思うよりも簡単なことじゃない、いいえ、何の能力もない私が言うことではなかったのかもしれません」
「…………」
「でも、私がいた世界は完璧ではないにしても、肌の色や言語、文化、習慣が違う人同士が家族になれるし、友達にもなれるんです。だから、この世界でも実現できるんじゃないかと思ったんです。
これは、私の勘違いかもしれないんですけど、もしかしたら、私はこのためにこの世界に来たんじゃないかって思うんです」
「――それはマヤの使命ってこと?」
マヤは無言のまま、首を左右に振った。
ジオウは真剣な眼差しをマヤに向けている。
「正直、分かりません。でも、そんな気がしてならないんです。もしかしたら、全く的外れで何もできないかもしれません。だけど、何もしなければ今まで通り、何も変わらないですよね? 私はこの世界で精一杯生きると決めました。だから、何も変わらないかもしれないけれど、変化とも言えないくらい小さな一歩かもしれないけれど、前に進みたいと思ったんです」
「…………」
「――その、ジオウ様が聞きたいことの答えになったでしょうか?」
「…………」
ジオウからの返答がなく、マヤは不安な気持ちになった。
ジオウの表情は固まったように動かない、何か思案しているようにも見えるのだが。不安が押し寄せてきて、ついジオウの名を呼んでいた。
「ジオウ様?」
マヤに名を呼ばれて、ようやくジオウはいつも通りの表情に変わった。正確には話す前よりも一段とすっきりした顔をしているように見える。
「あぁ、すまない。マヤの気持ちはよく分かったよ、ありがとう」
「良かったです。私、的外れなことを言っていたら、どうしようかと思いました」
「あははは、そんなことはないよ。私の想像を遥かに超えた素晴らしい答えだったよ」
「そう、なのですか?」
「あぁ、そうだよ」
ジオウはにっこり笑顔をマヤに向けた。
「マヤ、夜遅くに押しかけて悪かったね。今夜、話ができて本当に良かったよ」
「はい、私もです。セリンともさっき最後にお茶会をしてきました。セリンにも言いましたが、必ずリビトと2人でまたこの森に会いに来ますね」
「――そうだね。また来よう」
「――えっ?」
「じゃあ、おやすみ。明日に備えて、今夜はゆっくり休んで」
「あっ、はい。ジオウ様もおやすみなさい」
「マヤ、おやすみ。また明日ね」
ジオウはそう言うと、宿を後にした。
――ジオウ様の様子が変な気がするんだけど。一体何だったんだろう。それに、「また来よう」じゃなくて「また来てね」が正しい言い方じゃない? 変なの。
「ふぁ~」
マヤは宿の前で大きな欠伸をした。
「今日は朝から忙しかったし、送別会ではずっと妖精王と同じテーブルだったから緊張しっぱなしだったなぁ、セリンとのお茶会でスイーツもたくさん食べてお腹は一杯だし。欠伸が出るのも当然か。さぁ、お風呂入って早く寝なくっちゃ」
マヤは宿の小屋に入ると、すでに浴槽にお湯が張られていることに気付いた。湯の上にはピンクの花びらが浮かんでいる。花のいい香りもして、極上のバスタイムを堪能できそうだ。
「サーティスがお湯を張って、花びらを浮かべてくれたのかな? 有難すぎる~」
マヤは熱くもなく温くもない丁度いい温度の湯に浸かり、腕やふくらはぎをやさしく揉み解していく。花の香りに包まれ、1日の疲れが癒されていったのだった。




