31.三本勝負(二・後)
「兄上、いつの間に魔法陣を?」
隣からセリンの驚く声が聞こえてきたが、マヤはじっとリビトの様子を観察していた。リビトの足元をよく見ると、うっすらと光のようなものが見えた。
「あれが、魔法陣?」
マヤはジオウの講義を思い出していた。
「マヤ、魔法陣を知っているかい?」
「魔法陣? 確か、円の中に文字とか線を引いたりする魔法の発動方法の1つですよね?」
「正解! 魔法陣は対象物に描いたり、空中で描いたりできるんだよ。ただ、魔法陣が完成するまで魔法が発動できないところが、欠点の1つだね」
ジオウ先生に褒められ、ちょっとだけ優秀な生徒になれたみたいでうれしい。ついつい調子に乗って思ったことを呟いていた。
「確かに、描いているうちに攻撃されたら元も子もないですよね」
「そう、だから協力者が時間稼ぎをするか、こっそり描くかのどちらかの方法をとる必要があるんだ」
「なるほど、協力者が敵と対峙している間に魔法陣を描ければ、それなりに高度な魔法を発動できそうですね。でも、後者は1人だけだと難しいのではないでしょうか?」
「その通り、マヤだったらどうやって敵に気付かれずに魔法陣を描く?」
――相手に気付かれずに魔法陣を描く? そんなことたった1人でできるんだろうか?
マヤはジオウを納得させられる回答を導き出せなかった。その代わり、ふと思い浮かんだアイデアを口に出していた。
「分からないですね。相手の隙をついて描くとか? もう、いっそのこと、魔法陣も透明にできたら便利ですよね!」
「……!」
マヤは思いついたことを言っただけなのだが、ジオウの反応がなく不安になってそちらを見ると、口をポッカリと開けたままのジオウがいた。
そばに控えていたジオウの従者がコホンと咳払いすると、ジオウは先生の顔に一瞬で戻った。次の瞬間――。
「マヤ、君は天才だ! そうか、その手があったか――。盲点だったな。さすが、マヤだ」
「えっ、あの――」
ジオウはマヤの両手を自分の両手で包み込み、上下に揺らしている。
マヤの体は両手から振動が伝わり、波打つように揺れていた。
――まさか、ジオウ様はあの時のことを今実践したということ? でも、セリンはジオウ様の発動方法は想像することだと言っていた。てっきりジオウ様は魔法陣を扱えないものだと。
「兄上、いつの間に魔法陣を習得していたのかしら?」
どうやらセリンもジオウが魔法陣を扱えることは知らなかったらしい。
「セリン、リビトが全ての発動方法を使えるのなら、ジオウ様も同じようにできるのかもしれないね」
「いいえ、普通なら有り得ないことよ。リビト兄上はそうね、規格外ですもの」
「規格外――」
「きっと兄上は魔法陣の才もあったのね。私にも隠していたなんてずるいわ。後でしっかり問い詰めなくては!」
セリンの顔がニヤリと何か良からぬことを含んだ笑みを浮かべている。
マヤはそんなセリンを見て、自分は関わらないようにしよう、と内心誓ったのであった。
「リビト兄上はどうするのかしら? このままでは兄上の攻撃をまともに喰らってしまうわ」
「――リビト」
******
その頃中央では、リビトはジオウの魔法陣の上で完全に動きを止められていた。
「見えない魔法陣か――これは想定外だったな」
「まさか、こんな子ども騙しに引っかかってくれるとは思わなかったよ」
「ふん、さっさと留めを刺したらどうだ? この通り俺は身動きが取れない」
「言われなくてもそうするさ。たが、せっかくだから教えてあげようと思ってな」
「教える? 一体何を?」
ジオウは含みのある笑みを浮かべていた。その様子に違和感を覚えたが、魔法陣が消滅しない限りどうにもならないのである。リビトは諦めたように、不敵に笑んでいるジオウの言葉を待つことにした。
「見えない魔法陣を描くなんて、誰も想像もしなかっただろうな。――ただ1人を除いては、ね」
リビトはジオウの自慢話でも始まったのかと思い、思わず大きな溜息を吐いた。だが、想定を斜めにいく話に耳を疑った。
「見えない魔法陣――。これは、マヤが私のために考えてくれた策なんだ」
「は?」
リビトは魔力も持たないマヤがこんな突拍子もない作戦を考えられるものかと思った。
「マヤにそんなことを考えられる訳がないだろう。あいつは魔力を持たないし、魔法には疎い」
リビトは半ば呆れたような声を漏らした。
ジオウはそれでもなお、余裕のある笑みを浮かべていた。勝ち誇ったような笑顔である。その様子を見ていたリビトは、ジオウが言ったことを反芻した。
――マヤが見えない魔法陣を考えただって? 魔力もないマヤが? 魔法のことは何も知らないはずだ。いや、ジオウが教えたのか? ジオウが言っていることが本当だとしたら!
リビトは顔をマヤに向けた。マヤはこちらをじっと見ている。それも物凄く不安そうな表情で。
――もしもこれが実戦で使われたら、マヤはどう思う? 自分が考案した魔法で誰かが傷つくことになったら……!
「お前! 2度とこれを使うな! 絶対にだ!!」
「マヤが私のために考えてくれた方法だからって、妬いているのか? 愚かだな」
「何っ! 俺はそんなことを言っている訳じゃない! お前は、これを使う前に、マヤが何を思うのか、を考えたのか?」
「何を訳の分からないことを言っているんだ。私に負けるのがそんなに悔しいのか?」
「――愚かなのはどちらだ? お前はマヤのことを何も分かっていないようだな」
リビトの体からビリビリっと何かが裂けるような音が聞こえた。
「まさか! 魔法陣を破壊するつもりなのか?」
リビトの不審な動きをいち早く察知したジオウは、片手を上げ空中に竜巻を発生させた。
「これで、私の勝ちだ!」
竜巻はリビトの頭上に迫る。身動きの取れなかったリビトの手足は少しずつ感覚を取り戻していった。
「勝負あり!」
ジオウの従者の声が会場に響き渡った。
「リビト兄上、惜しかったわね」
「そうなの? 私にはリビトが動けなくなって完全に負けだと思ったけど、違うの?」
「マヤ、全然違うわよ! いい? 確かにリビト兄上は兄上の魔法陣の罠にかかってしまったわ。でも、兄上の風魔法が直撃する寸前に、リビト兄上は魔法陣を消滅させていたのよ。ほんの僅かでも早く魔法陣を破壊できていれば、兄上は負けていたわ」
「そうなの? そう、なんだ」
マヤはそんな白熱した戦いが目の前で繰り広げられていたとは思いもしなかった。
それよりもリビトがジオウの攻撃をまともに受けた時、東屋を飛び出しそうになっていた。あの時、セリンが叫んでくれなかったら、私も危なかったかもしれない。
セリンには散々叱られて怖かったけど。私の安全を考えてのことだから、素直に謝罪して、もうバリアの中から飛び出したりしないと誓った。
その後、セリンは「もう安全だからバリアを消すわね」と言って、解放してくれた。
リビトはジオウの風魔法によって上から押さえつけられるように両膝を地面につけた。ここで2本目の勝敗が決した。
ジオウの従者がリビトへ駆け寄り、怪我がないことを確認すると、東屋の方に向かって怪我はないと大声で教えてくれた。
リビトも誰の支えもなく起き上がって歩いていたから、本当に怪我はないのだろうと安堵した。
リビトはいつになく冷静な顔でこちらへと歩いてくる。一方の勝利したジオウは浮かない顔をしていた。勝ったというのに、何か受け入れ難そうな表情をしているように見えた。
リビトは着替えたいから、と会場を後にしようとした時だった。
「やり直しだ。今の勝負は無効だ!」
その場にいる誰もがジオウの言葉に耳を疑った。
リビトは会場に背を向けたまま、ピタリと動きが止まっていた。
ジオウの従者もその場にいた皆と同じ気持ちだったのだろう。呆れた顔をしなから、東屋のそばまで歩いてきたジオウに近寄った。
「殿下、何をおっしゃっているのですか? 今の勝負、ジオウ殿下が見事な勝利を収めたのですよ」
「違う! そうではないのだ! 奴はわざと負けたんだ……」
「何を言うかと思えば――!」
ジオウの発言の意味を正しく理解できた者はいるのだろうか?
セリンの言うように、リビトは最後の最後で抵抗を見せ、ジオウの魔法陣を破壊した。だが、それよりもジオウの風魔法による攻撃の方が早かった。
その結果、リビトは地面に両膝をつき、負けた。誰もが一部始終を見ていた。どこからどう見ても完全なジオウの勝利である。それを疑う者など誰もいない。
それでも納得しないジオウはリビトへ詰め寄り、突き上げる勢いで胸ぐらを掴んだ。
「おい! リビト! そうだよな? お前は最初から私の魔法陣に気付いていたのだろう?」
「何を言っている? 勝者が勝負のやり直しを申し立てるなど聞いたことがないぞ。さっさとこの手を離せ。俺は着替えをしに行きたいんだ」
「ふざけるなっ! 私が気付いていないとでも思ったか?」
「…………」
セリンはリビトの胸ぐらを掴む兄を諌めようと2人に近づいた。マヤもセリンの後を追った。
「兄上、どういうことでしょうか?」
セリンも動揺を隠せなかったらしい。僅かだが、発した言葉が少し震えていた。
「セリン、お前も見ただろう。リビトが私の魔法陣を破壊したところを!」
「えぇ、確かにこの目で見ましたわ。ですが、兄上の風魔法の発動の方が早く、リビト兄上は地面に膝をつきました。何はともあれ、兄上の勝利で間違いございません」
「そうではないのだ! リビトは私が二重描きした魔法陣をあの短時間で破壊した。
最初から魔法陣の存在に気付いているか、私以上の魔力で破壊するかどちらかでなければ二重描きした魔法陣を消滅することなど不可能だ!」
ジオウはセリンに一部始終を説明した。
その説明を聞いて納得したのか、一部の護衛騎士や従者の顔が微妙な表情になった。
「兄上、それはつまり、リビト兄上は魔法陣の罠に気付かないふりをした、もしくは魔法陣を破壊できる魔力を持っているのを隠していた、ということでしょうか?」
「そうだ――」
「そんな、まさか! リビト兄上、どういうことなのか説明してくださいませんか?」
「…………」
セリンは心配そうな表情でリビトに説明を求めた。それでも、リビトは俯いたまま何も話そうとしない。




