30.三本勝負(一・後)
ジオウがリビトと模造剣で打ち合いをするのは久しぶりだった。前回はいつだったかと記憶を辿ったが、浮かんできたのはまだ幼さの残るやさしい微笑みを浮かべる兄の姿だった。
リビトとはそう年齢も変わらなかったが、リビトに剣で勝ったことは一度もなかった。リビトが妖精の森に滞在している時は、毎日のように模造剣を持って勝負しようと誘いにいったものだ。
リビトの剣捌きは見事なもので、圧倒的な強さを感じた。いつだったか、リビトにどうしたらリビトのように強くなれるのか、と聞いたことがあった。
リビトは自分の強さを鼻にかけることもなく、「強さの秘訣は毎日の鍛錬と実践だ」と教えてくれた。
その言葉を信じて毎日鍛錬を続けていたが、リビトとの差は縮まるどころか、その実力差は次第に大きくなっていると感じていた。
ジオウはそこで気付いたのだ。自分には実践経験が足りないのだと。だから、父にどうすれば実践経験を積めるのかと聞いてみた。だが、父の返答はジオウが求めるものとは違っていた。
「お前は妖精族だ、剣など強くならなくてもいいのだ。それに妖精族は戦闘に向いていない。お前がリビトに憧れて森の中で剣を振るう分には構わないが、決して森の外で実践経験を積もうとは考えるではないぞ」
父の手前、その場では納得した振りをしたが、到底受け入れられるものではなかった。その後も剣の稽古を毎日続けた。少しでも体力をつけようと肉体改造にも積極的に取り組んだが、リビトのように厚みのある胸板や二の腕にはならなかった。
暫くしてから、妖精族は他の種族に比べて筋力がつきにくい、と森の図書館で各種族のことを調べている時に知った。
ジオウなりに森で出来うる限りのことはしたが、リビトのように強くなれなかった。落ち込んでいた時、リビトは言った。
「ジオウには高い魔力があるじゃないか。俺は魔力が平均並みである分、剣の腕を磨いている。ジオウは魔力の扱い方がうまくなれば今よりも強くなれるはずだ」
「そうか! ありがとう、リビト兄上。私は魔力操作を磨いてリビト兄上に負けないくらい強くなります!」
「あぁ、そうだ。その意気だ! お互いに頑張ろうな」
「はい!」
――私はいつだって剣ではリビトに勝てたことはなかった。剣の稽古は続けているが、それほど上達したとは言えない。それに比べてリビトはあの頃と比べ物にならないほど強くなっている。お前は何故それほどまでに強いのだ!
その時ジオウの脳裏に浮かんだのは、先ほどマヤが手にしていたハンカチだった。マヤがちょうど熱々の紅茶を啜ってむせた時のことだ。
ジオウはポケットからハンカチを取り出そうとしたが、マヤはすでに自分のポケットからハンカチを出していた。
ハンカチを先に差し出して紳士らしいところをアピールするつもりだったか、マヤは隙を見せてくれず、ジオウはどうしたものかと考えあぐねていた。
だが、マヤがハンカチで口元を拭っている姿をボンヤリと見ていたところ、気付いてしまったのだ。そのハンカチには青色の刺繍が施されていた。そこにはリビトと。
ついついリビトの名が装飾されたハンカチを見て、リビトが羨ましいと思ってしまった。それどころか、それほどまでにマヤから好意を向けられているリビトを妬ましくも思った。
真剣勝負の最中、そんな記憶を思い出し、地面につきかけた膝を必死で堪えた。
――今、リビトの方が優勢なのは目に見えて分かっている。だが、自分も簡単に引き下がるつもりはない。これまで忙しい執務の合間にも、苦手ながらも毎日、剣の稽古を続けてきたのだから。こんなあっさりとお前に勝利をくれてやるものか!
ジオウは立ち上がり、再び剣を構えた。
数歩先に立つリビトの口元は緩やかなカーブを描いていた。
――私はこれほどまでに息が荒くなっているというのに、リビトは全く息を切らしていない。それどころか剣も構えず、余裕の笑みすら見せている。
はっ、随分と私を馬鹿にしてくれるではないか。
私が立ち上がる前にもう一手攻め込めば、今頃リビトの勝利で終わっていたはずだ。お前は一体何を考えている?
リビトは下ろした剣を構える様子がない。
――真剣勝負と言っているのに笑わせてくれるな。私の息が整うまで待ってやるとでも考えているのか? 本当にふざけた奴だ。そこまでして私を貶めたいのか? マヤに近づく私への警告か? それとも――。それが何だろうと構わない。私をこけにしたのだから、ただで勝たせてなるものか!
ジオウの瞳に再び強い炎が灯った。その瞳の変化にリビトも気付いていた。
リビトはようやく下ろしていた剣を持ち上げ、構える。口角は弓のように大きく反っている。まるでジオウとの打ち合いを楽しんでいるようだ。
「もう終わりかと思ったぞ。もっと俺を楽しませてくれるんだろ?」
「はっ! 望む通り、すぐに追い詰めてやるさっ」
******
ジオウが立ち上がり、剣を構えた姿を見てマヤは安堵した。
――2人は何か話してるみたい。ここからは何を話しているのか分からないけど、怪我はなさそうね。良かった。
熾烈な打ち合いが再び続き、皆息を飲むように中央へ視線を向けている。
時折、東屋の周囲に控える従者たちから「あぁ」「おぉ」など、歓声や不安の声が漏れ出ていた。
模造剣を激しく打ち合う速度はさらに上がり、マヤは2人の姿を捉えられなかったが、カーン、カーンと明らかにさっきまでと違う剣を打ち合う音が響いており、打ち合いの激しさが増していることだけは理解した。
暫く激しい打ち合いが続くと思われた中、セリンの護衛騎士から驚きの報告が飛び込んできた。
「王女様、勝負がついたようです」
「そのようね」
マヤがセリンから視線を中央に向けると、すでにジオウの片膝が地面についていたのだ。
ジオウは「クソッ」と東屋にも聞こえるほどの大きな声を上げ、地面に拳を打ちつけていた。
マヤは何が起きたのか全く分からなかった。そんな様子を察したのか、セリンの護衛騎士が詳細を分かりやすく説明してくれた。
掻い摘んで話すと、ジオウが渾身の一撃をリビトに浴びせようとしたところで、呆気なくリビトに剣をかわされてしまい、ジオウから一本獲ったとのことだった。ジオウは膝をつかないように1度は堪えたが、リビトの追撃をかわせず、地面に足がついてしまったのだという。
主とリビトの勝負を少し離れた場所で見ていたジオウの従者がセリンに近寄り、片膝をついて片手を胸に当てながら礼をした。
「王女様、私から殿下に判定を下させていただいてもよろしいでしょうか?」
勝負はついたのだ。セリンはジオウの従者にコクリと頷いて見せた。
「有難うございます」
従者はセリンから承諾を得て立ち上がる。マヤは騎士が俯いたままでいるのが不思議になり、じっと見ていると、あろうことか彼は口角を上げていた。
それは一瞬のことだった。すぐに顔を上げ、固い表情に戻っていた。従者が中央へと向き直ろうとした時、マヤと目が合った。
――ヤバっ! 見ちゃいけないものを見ちゃった、気がするんだけど……。こっちをじっと見てるし、どうしよう!
その従者は口元に人差し指を立てながら薄い笑みを浮かべた。
マヤも無言のまま、コクリ、コクリと首を勢いよく縦に振った。
従者は何を言う訳でもなく、今度は悲しそうな感情を乗せた真剣な表情を作り、リビトたちの方に体を向けた。
――怖っ! ジオウ様の従者さん、腹黒すぎるっ!!
「勝負あり! この勝負、リビト殿の勝利!!」
ジオウが負けた手前、手放しで喜ぶ者はいない。その代わり、騎士も従者も拍手でリビトの勝利を称えた。
こうして打ち合いによる1本目の勝負は、リビトに軍配が上がった。
2本目は魔力による勝負だが、その前にリビトとジオウは着替えを兼ねた短い休憩が設けられた。
ジオウは誰とも話さず、従者を1人引き連れて着替えをしに去っていく。
リビトは大して汗をかいていないから、とその場に残ることとなった。ジオウを待つ間、マヤたちと一緒に東屋でお茶をすることになった。
「リビト兄上! さすがですわ。打ち合いの速度が早すぎて分かりませんでしたけれど、あっという間に兄上の膝を地面につかせてしまったのですもの! 私、リビト兄上に改めて感服していましたのよ」
セリンは王女らしい言葉で勝利したリビトを労った。当の本人は喜ぶ訳でもなく、至って冷静なのだが――。
「毎日鍛錬を積んできたんだ。簡単に負ける訳がない」
リビトは無愛想な言葉で返事をした。
セリンはそんなリビトの態度に嫌な顔をせず、にっこりと笑顔を向けていた。
リビトは沈黙し続けるマヤに視線を向けた。
「おい、何か言ったらどうだ。まさか、ビビりすぎて言葉も出ないのか?」
マヤに向けられた視線を辿ると、いつもの悪戯好きなリビトの顔があった。マヤも思わず、リビトの売り言葉に買い言葉を返す。
「べ、別にビビってなんかないんだから! そ、それより。ジオウ様に怪我させていないでしょうね?」
「はっ? 何で奴の心配をするんだ? お前は俺の心配をしていればいい――」
「はぁ? リビトは見るからに元気そうじゃない! リビトなんて、ちょっとやそっとで倒れる訳じゃないでしょっ」
マヤがそう言うと、不機嫌だったリビトの顔はパァッと明るくなった。
「ほぉー、それはつまり、アレだな。お前は最初から俺が勝つと信じて疑わなかったと言う訳か。なるほどな」
「なるほどねー」
リビトの横でセリンも一緒にニヤリと怪しげな笑みを口元に浮かべている。そこでようやく自分が咄嗟に発した言葉がリビトを喜ばせていることに気付いたのだ。
「違うわよ! そんな訳ないじゃない!」
リビトとセリンは互いに目を合わせながら、笑みを浮かべながら「ふむ、ふむ」と顎に指を置いて面白がっている。
2人に弄ばれているようで恥ずかしくなったマヤは、慌てて紅茶を啜った。
「ゴホッ、ゴホッ」
案の定、また紅茶を飲んでむせてしまった。
「おい、またか。懲りない奴だな。もうお前に貸すハンカチは持ってないぞ」
マヤはむせながらも、リビトに自分の手を向け、「ハンカチなら持っている」とアピールした。すぐにポケットからハンカチを出し、口元に当てた。
「マヤ、大丈夫?」
セリンはマヤの後ろに回り、背をやさしく擦ってくれている。むせが治まると、セリンはひょいと自分の顔をマヤの顔に寄せた。
マヤの目の前には大きな瞳を揺らす美しい少女の顔があった。同じ性別でありながら、じっと見つめられて、ついつい顔を背けてしまった。
「マヤ、顔が赤いわよ。もしかして熱があるのでは?」
マヤは頬に手をやると、いつもより顔の温度が高くなっているのが分かった。
「大丈夫! 熱がある訳じゃないから、心配しないで! そ、そう、今日は少し暑いと思わない?」
セリンは「マヤ、暑いの? そうかしらね? 確かに暑いのかもしれないわね」と話を合わせてくれたため、何とか誤魔化すことができたみたいだ。
――まさか、美しい顔に見惚れていたなんて、そんな恥ずかしいことを本人の前で言える訳がない。あぁ、恥ずかしすぎる! 早く顔の温度よ、下がってぇ〜!
マヤは片手を扇子のようにパタパタとはためかせて、何とか顔の温度が下がるようにと願っていたのだった。隣りにいるリビトはハァッと溜息をついていたが、そちらは見ずに気付いていないふりをすることにした。
リビトに揶揄われると思い、恐る恐るそちらへ顔を向けると、リビト真剣な眼差しをしていて、すでに別のことを考えているように見えた。リビトの視線を追うと、その先には着替え終えたジオウの姿があった。
「さて、勝負の再開だな――」
リビトの言葉に反応したのはセリンだった。いつものにっこり笑顔をリビトに向けていた。
「リビト兄上、頑張ってくださいね!」
「――あぁ」
リビトは小さく笑んでセリンに応えた。一瞬だけマヤに視線を向けると「行ってくる」とだけ言い、東屋を後にした。
マヤは何故か分からないが、胸騒ぎを覚えた。三本勝負で1勝し、王手となっているにもかかわらず、リビトの笑顔は少しもうれしそうではなかった。
リビトはどうしたのかと考えていた時、リビトと入れ替わるようにジオウが東屋に入ってきた。
「セリン、実の兄を差し置いて他の男を応援するのは酷いじゃないか。ねぇ、マヤもそう思わない?」
ジオウに突然話を振られて、何も思いつかず焦っていると、隣に座るセリンが助け舟を出してくれた、と思ったのだが――。
「そんなことを言ったって、兄上は崖っぷちに追い込まれているのですよ。そんな悠長なことを言っている場合ではないのでは? ねぇ、マヤもそう思うでしょ?」
セリンはすでに1敗した実の兄を慰めるのではなく、追い詰めるような言葉を言い放った。助け舟だと思って安心していたら、まさかのもらい事故だ。マヤの頭の中は真っ白。何か言おうとしても、全く言葉が浮かばなかったのである。
マヤの反応を気にせず、兄と妹の口だけの言い争いは続いていた。マヤはただただ額に流れる汗をハンカチで拭うしかできなかった。
そんな様子を見兼ねてか分からないが、ジオウの従者が会話に割って入ってきた。
「ご歓談中失礼しますが、殿下、リビト殿が首を長くしてお待ちですよ。そろそろ2本目を開始しなければ」
従者は、東屋にいる者にだけ聞こえる声で言った。
「はい、はい。分かったよ。それじゃあ、マヤ、私が勝利するのを祈っていておくれよ」
ジオウは爽やかな笑顔をマヤに向けると、後ろを振り返り、すでに準備し終えたリビトが待つ場所へと歩いて行った。
――もう! この兄妹の美しさが憎らしい。うっとりするような王女の笑顔の次は、キラキラと眩い光を放つ王子の笑顔ときた。もう勘弁して欲しい! 平凡な私には2人の笑顔は眩しすぎるのよ。
マヤの額には引いたばかりの汗が流れている。しまいかけたハンカチを手に、こめかみを伝う汗を拭ったのだった。
******
自分の笑顔がマヤを悩ませているとは知らずに、汗をハンカチで拭うマヤを心配していたセリン。
だが、マヤが額に当てているハンカチを見た時、青い刺繍が目に入った。思わず口元が緩んでしまったが、マヤには気付かれていないようだ。
――なるほどね。マヤ、あなたは兄上を本気にさせてしまったようね。1本目は兄上が苦手な剣の打ち合い。リビト兄上が勝つのは予想の範囲。でも魔力の勝負となったら、いよいよ結果が分からなくなったわね。兄上は今度こそ絶対に落とせないもの。マヤのためにもね。
「マヤ、兄上とリビト兄上のどちらが勝つと思う?」
「へっ? うーん、どっちかなぁ。ははは……」
「マヤったら、うふふ」
――もしかして、マヤはあまりこういった催しが好きではないのかしら。それなら無理に巻き込んでしまって悪いことをしてしまったわね。でも、マヤのおかげで、久しぶりに兄上の本気を見ることができそうだわ。
「次の勝負、一体どうなるかしらね?」
セリンの呟きは突風に攫われるように、誰の耳元にも届いていなかった。爽やかな風がセリンの頬を掠めていった。




