29.仲直り作戦
「マヤ、じゃあ兄上のことはよろしくね!」
「う、うん、分かった……」
――ついに来てしまった。リビトとジオウを仲直りさせるというセリンの作戦を実行する日が。
今日の作戦確認のため、マヤとセリンは早朝から温室で打ち合わせをしていた。
打ち合わせといっても大したことはない。セリンが全てを把握しており、マヤの役割はジオウを待ち合わせの場所に連れて行くだけだからである。
そもそもジオウを連れてくるのはセリンでもできたのではないだろうか。そんな疑問をセリンに伝えてみると、セリンは「マヤが誘った方が兄上も必ず来てくれるはずだから」と譲らなかった。
セリンが何故そこまで自信たっぷりに言うのかは分からないが、他に自分が協力できそうなこともないし、セリンの提案に従うことにした。
そして作戦を実行すべき今日が来たのである。
機嫌良さそうなセリンに対して、マヤは抱える不安を隠せずにいた。鏡を見た訳ではないが、恐らくその不安は顔に出ているのだろうと思った。それもそのはず、すれ違う妖精たちは皆、心配そうな顔をマヤに向けているのだから。
マヤは何とか愛想笑いを返し、挨拶を返すので精一杯だった。
ジオウは鍛錬にレッスン、執務と多忙なため、確実に時間を取ってもらうためにも数日前に約束をしておいた。
そうでもしなければ前日や当日に約束を取りつけようと動いても、断られる恐れがあるからだ。
ここはセリンの作戦を成功させるためにも、確実にジオウを約束の日に約束の場所へ連れて行かなければならない。
数日前、ジオウの講義後を狙って、庭園でお茶を一緒にしたいと誘ってみたところ、二つ返事で了承してもらえた。思いの外、簡単に約束を取りつけられたので気が抜けてしまった。
だが、ジオウから1つの条件を付け足されてしまった。その条件をクリアするため、マヤは今ジオウの執務室へと向かっている。
妖精の森にお城は存在しないが、森全体が要塞でもあり王宮でもあった。
最初に訪れた王の間や執務室、王族が暮らす宮は限られた者しか出入りができないようになっている。
王の客人とはいえ、来訪者であるマヤも自由に出入りはできない。だが、王族の従者や護衛が一緒であれば一時的に出入りが許されるのだ。
マヤからするとどこも森の風景にしか見えないのだが、妖精たちには違う景色が見えているのだろうか。
案内役を買って出てくれた護衛の妖精に着いて行くと、最近では見慣れた従者の姿が見えてきた。
「マヤ様、お待ちしておりました」
「お待たせしてしまってすみません」
「いえ、こちらこそ殿下が我儘を言いまして、申し訳ございません」
「いえ、いえ! 私からお願いしたのですから」
「そう言っていただけると助かります」
ジオウの従者はマヤを前に大きな溜息をついている。その様子から察するに、普段から随分とジオウの我儘に振り回されているのだろう、と思った。
ついつい同情のこもった目を向けてしまったことに申し訳なさを感じた。
「ジオウ殿下、マヤ様がいらっしゃいました」
「通してくれ」
ジオウから入室の許可が下りると、葉のカーテンの両サイドに控える護衛の妖精がカーテンを捲り上げた。
中へ入ると、入り口の間口の広さからは到底予想できない大きな空間が広がっていた。
正面には太陽の光が燦々と振り注ぐ大きな出窓がある。入口から窓まで少し距離はあるが、それでも窓の大きさに驚かされる。
壁紙は白地に鮮やかなグリーンの細ストライプで、腰壁は落ち着いた濃緑の板張りだ。
室内には質の良い木製の調度品が所々に配置されており、その上には小さな棚や見頃の花々が飾られた花瓶などが置かれていた。
壁には天井まで届きそうな高さの本棚も設置されている。
豪華な内装に目を奪われていると、部屋の主が痺れを切らしたのか話しかけてきた。
「マヤ! いらっしゃい。よく来たね」
「あ、ご挨拶が遅れました。お招きくださり、ありがとうございます」
「ほら、マヤはすぐ堅苦しい挨拶をするんだから――」
ジオウは目を細め、拗ねたような眼差しでこちらを見る。マヤは慌てて、ジオウの機嫌を取るため持参した手土産を後ろに控えていた従者へと手渡そうとした。
「ジオウ先生、こちら手土産にと持参したお菓子です。従者の皆さんとお召し上がりください」
従者がマヤから紙包みを受け取ろうとした時、紙包みは突然、宙をプカプカと浮き上がり、ジオウの手の中に収まった。
「これはマヤの手作りかな?」
「は、はい。妖精の森で収穫された木の実や果実の皮を練り込んだクッキーです。お口に合うといいのですが――」
「マヤが私の為に作ってくれたのだから、美味しいに決まっているさ!」
ジオウは紙包みを開けてクッキーを1枚口に放り入れた。
「ジオウ殿下!」
紙包みから直接取って食べたのが行儀悪かったのか、従者が止めに入ろうと声を上げたが、その制止も聞かずにジオウはクッキーを美味しそうに味わっている。
従者の顔は青くなったり、魂が抜けたように表情が消えたりと、まるで百面相のようだ。
マヤは、従者の役目は自分が想像できないくらい大変なのだと勝手に納得していた。特にジオウ殿下付きともなると――。
「マヤ、美味しいよ! 誰かに上げるのが勿体ないなぁ」
ジオウは棒読みの台詞を言い放った、それは大根役者にも負けず劣らない出来映えだ。
さすがに鈍感なマヤでも気付くわざとらしさだった。思わず苦笑してしまった。
主の言葉にいち早く反応したのは従者だった。
「ジオウ殿下、私は先ほど余った菓子を頂いて満腹ですので、どうぞお一人で――」
「そうか、そうか! 残念だなぁ。マヤの手作り菓子を味わえないなんてなぁ。まぁ満腹なら仕方あるまいな、私が残さず食べるとしよう!」
「――はい。私は紅茶をお持ちいたします」
従者は美味しそうにクッキーを味わう主に冷ややかな眼差しを送りつつ、無言で執務室を後にした。
ジオウは「うまい!」「マヤが作るものは何でも美味しい!」と言いながら、腰もかけずに紙包みの中のクッキーを次々と平らげていった。
「マヤ、セリンは何を企んでいるんだ?」
「――えっ!」
ジオウの執務室で紅茶を頂いた後、セリンと打ち合わせした通り、待ち合わせの温室へと向かっている時だった。
ここまで何の疑いもなく素直に着いて来てくれたジオウだったが、やはりマヤからの突然の誘いに何らかの思惑があると見透かされていたようだ。
それもセリンが言い出したことだと確信めいた言葉でだ。
「そ、それは……」
ジオウは上半身を折るようにマヤの顔を近くで覗き込んできた。
だが、セリンと約束した以上、リビトと仲直りさせるために呼び出しただなんて口が裂けても言えない。
マヤは真っ白になる頭を何とか回し、ジオウが納得できそうな言い訳がないか探していた。すると、ジオウは意外なことを言った。
「まぁ、セリンのことだから大体察しはつくけどね。それにセリンは案外頑固だし、断ればその先もずっとしつこく言ってくるだろうからね。今回はマヤへの貸しってことで付き合ってあげるよ!」
「えっ! あぁ、はい――」
「マヤは本当に嘘が下手だなぁ。ちょっと吹っかけるだけでボロを出すんだからなぁ」
「――!!」
――しまった! ジオウ様の誘導尋問に乗せられちゃった。こんなの、自分が嘘ついて呼び出したってバレバレじゃない。あぁ、もう!
「本当に可愛いなぁ、マヤは」
ジオウはマヤに騙されたというのに、マヤを責めることはなかった。
それよりもジオウの表情筋が固定化されたように変わらない笑顔が気になってしょうがない。確かに顔は笑っているのに、背筋がヒンヤリとしているのは何故だろうか。
それ以上何か言えば、さらにボロを出すと思い、口を固く閉じ、貼り付けたような笑顔で乗り切ることに全力を注いだのであった。
中庭の温室に入ると、セリンとリビトの姿はまだなかった。どうやらマヤたちの方が先に待ち合わせ場所に着いたらしい。
白の丸テーブルの定位置に座ろうとした時、ジオウは正面の席ではなくマヤの隣の席を陣取っていた。
夕食の時は決まって、ジオウはマヤの正面に座っていた。マヤの両隣はセリンとリビトと決まっていたのだ。
当然のことのように定位置の席に座ろうとしたのだが、ジオウは「マヤと2人でお茶をするんだから隣でも問題ないよね?」と言って、マヤの返事を待たずに座ってしまった。
ジオウの口元は上がっているが、目は全く笑っていない。よく「美形が怒ると怖い」と聞くが、どうやらそれは本当のことらしい。ジオウの笑顔が怖くて、目を合わせられないでいる。マヤの思いとは裏腹に、隣からひしひしと視線を感じる。
ゆっくりとそちらに視線を向けると、肘をついて顔を乗せたまま、もう片方の指でテーブルをトントンと叩いている。まるで「早く座りなよ」と言われているようだ。
席を隣にずらしたいところだが、すでに退路は断たれてしまった。仕方なく定位置の席へと腰をかけた。
席につくと、温室に待機していた給仕の妖精が2人分の紅茶を出してくれた。心を落ち着けようと紅茶を喉に一口分流し込んだが、熱くてむせてしまう。
「マヤ! 大丈夫かい?」
「ゴホッ、ゴホッ。はい……何とか」
苦しい中で何とか大丈夫だとジオウに伝え、ワンピースのポケットからハンカチを出し、口元を拭った。
ようやく落ち着いたところで、ジオウの視線に気付いた。
「――妬けちゃうな」
ジオウがポツリと何か呟いたが、マヤの耳には届いていなかった。
「えっ? ジオウ先生、どうかしましたか?」
「――いや、何でもないよ」
ジオウは視線を目の前の紅茶に向け、一口啜った。その瞳が少し寂しそうだったのはマヤの気のせいだったかもしれない。
ジオウはティーカップをテーブルに置くと、いつものように明るい笑顔で話し始めた。マヤもそんなジオウにホッとして、いつも通りに接することができた。
和やかな空気の中、マヤとジオウは会話を楽しんでいた。すると、ようやく仲直り作戦の発案者であるセリンがリビトを伴って温室に現れた。
リビトはマヤとジオウの姿を見るや否や不機嫌な表情になった。
「やぁ、セリン。君たちも2人で茶会かい?」
ジオウはセリンの策で呼び出されたと知っていながら、しれっと言い放っている。
「えぇ、兄上とマヤもここでお茶を? 偶然ですわね、私たちもなんですよ。ねぇ、リビト兄上?」
「…………」
セリンも負けてはいない。少々無理のある流れではあるが、偶然を装って4人でお茶をしようという本来の流れへと繋げようとしている。
リビトは苛立ちを見せながら無言を貫くばかりだ。ジオウはリビトを視界に入れず、貼り付けたような笑顔のままである。
異様な空気感の中で、マヤは内心「最早お茶会などできるのだろうか?」と呟いていた。
いつになく居心地の悪さを感じていると、あえて空気を読んでいないのか、言ったからには必ず作戦を実行するという固い決心の表れなのか分からないが、セリンが重苦しい空気の中、口火を切った。
「せっかくですから、4人でお茶でもしましょう! お菓子の準備をお願いね!」
セリンの言葉を否定する者も肯定する者もいなかった。というよりも、他者に反応させる前に給仕に準備をするよう伝えたからだ。テーブルを囲む空気感はどんよりとしたまま変わらない。
何とか空気を変えようとマヤは「そうね、4人でゆっくりお茶するのもたまにはいいですよね!」と言った。
「えぇ、そうですわ」
「マヤがそう言うなら、私は別に構わないよ。それに何か面白いことがあるかもしれないしね――」
「…………」
マヤの視線が泳いだ先はセリン。セリンもマヤの視線に気付き、マヤへ目配せする。それはまるで、「さすが、兄上ね。バレているなら仕方ないわ」とでも言っているようだ。
マヤはジオウを騙しきれなかった自分を情けなく思い、俯きながら紅茶を静かに啜った。
会話を続けようと必死になったが、参加者はマヤとセリンの2人だけだ。リビトはそっぽを向いたまま無言だし、ジオウはさっきよりもマヤ側に席を寄せてマヤの顔をじっと見つめている。居心地の悪さはさらに高まっていく。
すると突然、ジオウは怪しげに薄い笑顔を浮かべた。偶然見てしまったマヤとしては妙に嫌な予感がした。
「ねぇ、マヤ。私はこう見えても忙しい身だ、そろそろ2人きりでお茶をしないか?」
ジオウが妙に艶めいた眼差しで、マヤの顔を覗き込みながら言った。
マヤが返事に困っていると、先に反応したのはリビトだった。
「ジオウ、マヤから離れろ。お前は仮にも次期妖精王なのだぞ、ガキみたいにマヤにくっついていて王族としての節操がないぞ!」
ジオウはリビトの言葉にも反応せず、穏やかな表情のまま言葉を続けた。
「マヤ、ここは少し騒がしすぎる。私の執務室でもう一度お茶でもしようか」
「えっと、その……それは何というか――」
「マヤ! はっきり断れ! 相手が王子だからって遠慮はいらない。俺たちは妖精王の客なんだからな!」
「――リビト……」
セリンは「失敗だわ」と言いたげな表情をしている。すでに諦めモードだ。
――どうしたものか。まさかリビトがこんなに怒るなんて。それにしても何が気に食わないんだろう。そんなにジオウ様を嫌っているの?
マヤが困り果てていると、ジオウが立ち上がり、マヤの手を掴んだ。
「マヤ、もう気が済んだだろう。さぁ、行こうか」
ジオウは「これ以上は無駄だ」と言いたそうな顔をしている。
セリンに視線を向けると、「仕方ないわ、今回は諦めましょう」とでも言っているような表情をしていた。
それならと、一先ずリビトとジオウを引き離すため、温室を出て行こうとした時だった。
マヤはすぐそばでバチッ、バチッという音と共に手元が光ったと思ったら、次の瞬間ジオウがテーブルから数メートル後ろへと移動していた。それは強制的に移動させられたというのが正しいのかもしれない。
地面にはジオウが立っていた位置から今いる場所まで引きずられたような跡がくっきりと残っている。
ジオウはやや前屈みになった状態でギリギリ立っているようにも見えた。
ジオウは俯いていた顔を上げると、そこにはいつもの笑顔はなく、見たこともない凍てつくような笑みを浮かべていた。
「ジオウ様――」
「――兄上」
マヤとセリンの言葉が重なったが、ジオウには届いていなかった。
「こちらが大人しくしていれば、いい気になりやがって。言いたいことがあるならはっきり言えばいいだろう! 全く! 昔からお前はいちいち分かりにくいんだよ!!」
ジオウはすっかり王子様キャラがどこかへ飛んで行ってしまったらしい。完全にキレている。顔にはくっきりと血管が浮き上がっているのが分かるほどに――。
「はっ! いちいちガキを相手に説明しろってか? そんな面倒臭いことできるかよ! 第一、お前みたいな考えなしに説明したところで理解できる訳がない」
リビトの顔にも青筋が浮かんでいる。最早マヤでは2人を抑えることはできない。
セリンを見ると、怯えているどころか、満面の笑みを浮かべながらマヤに親指を立てている。
マヤの口はあんぐりと開いて固まった。暫し間を置き、緩んだ顎を元に戻す。
実はセリンが笑顔で見せてきた親指を立てるポーズは、少し前にマヤがセリンに教えたサインの1つである。セリンがマヤのいた世界のことを教えてほしいと言ってきたため、話の種にと教えたものだった。
まさかこんな修羅場で使うのは間違っている、と言いたかったが、とてもそんな雰囲気ではない。
――一体、セリンは何を考えているの? 何故こんな時に笑顔でいられるのよ。もしかして王女はこれくらいの修羅場をくぐり抜けられるようレッスンでも受けているのだろうか。
完全にキレているリビトとジオウも怖いが、何よりこんな一触即発の状況下でも笑顔でいるセリンが一番怖いと感じるのは私の間違いだろうか。
マヤがセリンの強固なメンタルを知ったところで、目の前ではさらなる状況悪化へと傾いていった。
「何だと! 黙って聞いていれば偉そうに! 古傷を未だに舐めている愚かな男が私に大口を叩けるものか!」
「何っ! お前!!」
次の瞬間、リビトが数メートル先にいるジオウの胸ぐらを掴んでいた。
――ひぃっ! これはさすがに止めないと殴り合いになる。何で従者は止めに入らないのよ~!
セリンの従者は作戦の中身を知っているだろうし、主から指示がない以上は手出しはできない。
だが、ジオウの従者が何もせずにいるのは疑問だ。王の客人とはいえ、主の胸ぐらを掴んでいるのだ。普通なら割って入ってもおかしくないのではないか。
そんな疑問が脳裏に浮かんだが、その答えを教えてくれる者などおらず。ただ1つ分かったのは、この場に2人を止める人が誰もいない、ということだ。それならば――。
――私が止めないと!!
マヤが口を開きかけた時、セリンがようやく重い腰を上げた。
「兄上、リビト兄上。暴力では何も解決できませんわ。それにレディーの前で喧嘩だなんて、はしたなくてよ。ここは正々堂々と勝負をつけてはいかがでしょうか?」
セリンはすでにリビトとジオウのそばにおり、自分が練り上げた台本通りに台詞を言い放った。女優も顔負けの演技力である。
それでもなお、リビトとジオウは動きが止まったまま互いを睨み合っている。2人は血が上っていてセリンの話が耳に入っていないのだろうか。
マヤは緊迫する中、何もできずにいた。ただ3人のやり取りを見守っているだけしかできなかった。
すると、リビトは掴んでいたジオウの襟から手を離した。ジオウは襟元の皺を伸ばすように上衣を整えている。
「いいだろう。俺はセリンの案に賛成だ。お前はどうする?」
リビトがセリンの提案を受け入れた。するとジオウも。
「構わないさ。一度お前とは決着をつけるべきだと思っていたからね」
リビトとジオウは冷静さを取り戻していた。先ほどまであんなにキレていたというのに――。
「そうでなくては!」
セリンは両手をバチンと合わせて、楽しそうな笑顔を浮かべている。
そしてマヤへと視線を向け、手を高らかに上げている。その手の先を見ると、親指がしっかりと立てられていた。
マヤは薄い笑顔を貼り付けるので必死だった。




